思いやりのコラム

猛烈低気圧の影響で日本列島は大荒れに荒れた。特に首都圏を中心に東北太平洋岸では、普段あまり雪が降らないために交通機関や歩行者にも大きなダメージを与えてしまった。 転倒者や骨折事故、車は全くダメといったことになってたほか、日本海側から太平洋岸の首都圏、東北太平洋岸に出かけたバスや自動車も、自分の車はそれだけの備えをしていたのであるが、他の車にはそれだけの準備がないために、渋滞に巻き込まれてしまったようで、12時間遅れなんかはざらであったようである。 そんな状況をメデイアは象徴的に報道していた。 気象庁の予報が外れたといったことも大きく報道されていた。 そんな中で、新聞のコラム欄でもこの爆弾低気圧と雪に対する考え方、あるいは基本的なそのコラムニストの考えが文章の中に表れていて興味深かった。 我々雪国に住む人間にとってはごく当たり前の備えなり日常の生活の一部であるのであるが、その違いについて、雪国に住む人間に対する、ある意味過酷な生活をしている地方に対する思いやりが感じられるコラムとまったくそんなこととは別に、他者についての気遣いなどは全く触れずに、ご自分の雪作業の大変さや、対応などのみを文章化していることに気づいたところでした。 「メートル単位の雪と暮らす北国の人には申し訳ないが」といった表現だけで、我々からするとどことなくこのコラム担当の方は、地方についてもしっかりと思いやりを込めて書いているんだという気持ちにさせてくれる。 やはり、こうしたわずかなことであっても、しっかりと気遣いは大事であるような気がしたところでした。 自分も何か書くときにはそうした心がけが大事であることをあらためて感じた次第でしたが、さてできるかどうか。 気持ちだけでも持ち続けたいものである。

「かまくら」を作る

小正月のころには「かまくら」を、友達同士で作り、敷物やら食べ物をあれこれ持ち込んで子供たちの世界というか、なんか特別な雰囲気で、こっそりと秘密めいた喜びを感じた思いでがあった。 最近の子供たちと言っても、孫たちはとてもまだ自分で作ることはできないので、親たちから作ってもらって中に入って遊ぶ程度である。 自分の息子たちはどうしたかというと、あまり作ってやった覚えもなく、どちらかというとスキー場通いが忙しく、そうしたことをやってあげた思い出が少ない。 そんな思いでいたところ、連休中の一日、息子が孫たちに「かまくら」を作ってくれていた。 雪も降り、出来上がったかまくらに、ほんわりと雪が積もり型の良いかまくらになっていた。夜になってから中で飲み物や、餅を焼いて食べることにしていたようだが、折からの吹雪もようになって、ローソクで明かりをつけて、中に入っただけであったが、孫たちは大喜びであった。 早速、沖縄にいる孫たちにメールで送ってやったら、うらやましがられていたようである。 天気具合を見て、かまくらの中で、甘酒を飲ませてあげる計画が進んでいるようだ。 ところで、昨日からサーバーが不調でパソコンがつながらず、こうなると全くお手上げ状態である。 電力がないと生活が混乱すると同じで、ITもどこかに異常が出ると相当な混乱をきたす時代であり、あまり頼りすぎもどうかと思うが、今更そうした時代での業務にすっかりと慣れっこになってしまうとどうしたらよいのか困ってしまう現実があり、複雑な思いがする。

年賀状に思う

毎年年末になると年賀状のことについていろいろな話題が出てくる。 それもこれも、時間に追われて、郵便局でお願いしている期日までになかなかポストに出すことができず、あーだこーだと言って弁明にこれ努めている。 そんな一人の私であるが、今度こそは、あて名書きだけは住所録から打ち出して印刷することをご勘弁願うことにして、必ず自筆で下手であっても何か一言添えてご挨拶をしたいと思っている。 今年の課題にしようと思っている。ちょっと気が早すぎはしないかなと思うが、実は、新聞を読んでいたら、投書欄に「年賀状を出せるのは喜びなのだ」という投稿があった。 80才になられる方で、「いくつになっても年賀状をいただくのはうれしい、家族の写真や消息を確かめ、手跡を確かめ、送ってくれた人の顔やその人とのつながりを思い浮かべるのは、元日ならではだ。」 私にもあるのですが、最近は「病気で体力も劣え、また加齢のため年賀状を書くのが億劫になってきたので、今年限りで欠礼させてくださることをお許しください」といった年賀状が届くようになってきた。どこかさびしく残念な思いに駆られる。 この方も、退職して20年余りやはり年賀状が億劫になって今年限りと思ったことがあったようですが、元日の朝のうれしさを思うと、やめることができない。とのことです。 年賀状を書きながら、そうか、年賀状を出せるというのは喜びなんだ、と気づいた。「私は元気です」と知らせることのできる喜びである。そして、「あなたを忘れていませんよ」という返信は、生きる励みになる。生きている限り、これからも書き続けよう。と結んでいる。 そうなんですよね! 特に私なんかは一昨年に大きな病変が見つかり手術という人生において最大の危機に直面したものにとって、その後の体調がどうなのか、あるいは、元気なのか、もう駄目なのか、その後の状況も知りたいこともあることであって、なかなか聞くことは気が引けるわけで、そうした意味合いからすると、その本人から年賀状が届くということは礼儀からしても大事なことであると思った。 そんな時に、一言添えた年賀状は非常に大事であると思った次第でした。ちなみに一昨年は「一陽来復」として年賀のご挨拶をし、できるだけの方々に対し一言を添えてご挨拶をした。 外国ではクリスマスカードが年賀状にあたると思うんですが、これは年賀状とはまた違った趣であり、やはり日本文化の「年賀状」はやはり年賀状であるのです。 そんな思いでこの投書を読んだところでした。 大荒れの天気も一息ついて、昨日の夕方はかすかな夕焼けもみられ、除雪機械も幾分緩んだ気温の中、排雪場所に雪を一気に押し寄せていました。

祖父母も参観

なるせ保育園で祖父母も参加しての事業が行われた。 何が可愛いかといっても孫のほど可愛いものはないといった感じの祖父母がたくさん参加していました。 私も時間を見つけて最初から参加したかったが、打ち合わせがあって、どうしても途中参加することになってしまった。 そうすると、孫は待っていたのか私を見つけるなり叫びながら、私に飛んできた。一緒に遊ぶことはできなかったが、ゲスト出演の、「手品」に夢中になって楽しそうであった。 父母が働いているでしょうから、普段の家庭生活はほとんど祖父母との生活が中心であろうと思うが、保育園でどのように生活しているのか、どんなことに気をつけなければならないか、祖父母としても知っていて、対応するようにするのも大事なことであると思う。 特に健康管理や保育園の送迎などでは、重要な役割をしている祖父母であることから、こうした機会は大事なことであると思う。 保護者である方々との連絡はしっかりしているとしても、連絡ミスになることもあるでしょうから、そこいら辺はしっかりと連携するようにしたほうがよいように感じる。 年末には、ノロウイルスの感染があり大変心配したが、すっかり落ち着き安どしているところでありますが、これからも気を緩めるといつ発生するかもわかりません。 そうしたことも懸念されることから、参観行事の最後には、保健士から健康管理、日常の手洗い、うがいの励行など基本的な健康管理についての話などがされていました。 村の大事な子供たちです。 皆が注意しあって、元気なこどもたちがすくすく成長することを心から願っている。  

職員で雪おろし

今冬初めての役場庁舎などの雪下ろしを職員がやってくれた。 このところ、毎年こうした作業を行ってもらっているが、何せ建物が高いうえ面積もあり、特に車庫なんかは面積も広く屋根の上で運ぶ距離も結構長い、さらには入りこんだ場所は、吹きだまりになって作業も難渋している。 いつもよりは早い作業となったのではないかと思っているが、この調子だと今年はまだ頑張ってもらわなければならないのかなと思う。 2、3日落ち着いたかと思っていたらまたまた寒波襲来で降雪も多くなりそうだ。 昨日は各集落の代表者さん方に、雪害対策の留意点や、隣近所に対しての支援、お手伝いなど関係する方々との連携を密接にして、事故防止の呼びかけ方を徹底するようお願いしたところです。 村道の幹線部分についてはかなり徹底した除雪をし、さらに今年は例年よりも早く排雪している場所の確保のためのブルドーザーによる押し方を、地域によっては3回目の作業をするなど十分に対処をしているところである。 先日秋田市に出張したら、小路の除雪が全く駄目で、車の交差もできないような状況で、非常時の際にはどうするんだろうと他人ごとではないような気がした。 何も、これは今年に限ったことではないようですし、苦情件数も4,000件以上とのことで、その苦情にこたえるとすれば、除雪費がいくらあっても足りないとの除雪担当の談話が載っていたが、除雪延長も長いことでしょうし、小路は網目のようになっているでしょうから、それもその通りでしょうが、毎年のことでどちらも困ったことである。がしかし我々のところであればそうしたことは言っていられないのが現実で、とにかく幹線道路だけはいつどんな時でも緊急車両が通行できるような道路状態にしている。 他所からくるお客さんも一様に東成瀬村の除雪は徹底していると評価してくださっているのも事実である。 雪が降れば降るほど、除雪対策は徹底し、住民の方々に不安を与えないようにしていかなければならないと思っている。 村の重要な施策である。