県知事と市町村長懇談会

毎年行われている県と市町村の協働での行政施策展開に向けての連絡会議と知事と市町村長との懇談会が開かれた。 これまで、とかくすると知事と市町村長の敷居が高く自由な発想での話し合いや会談などができなかったのを、現知事は解消すべく「政策協働」という形で取り入れようとしての発想で提案し7年になるということになる。 確かに、気軽に話し合える雰囲気が出てきたことは間違いなく、今後もこうした形での意見交換ができることは結構なことである。 その反面、県の行政施策の協議が市町村に事前に協議がなされているかというと決してスムースにいっていないようなことも多くあるように会議の中の発言で感じられた。 また、積極的な進捗にかかわるような発言、回答もないのは少し知事の意向とはかい離しているようにも感じられた。 これも少しづつ課題解決に向けて解消するように、県と市町村が努力しなければならないことでありましょう。 それでも、市町村が抱えている課題について、知事に直接お話しできることはよいことであり、私も数点について直接申し上げてまいりましたし、今後に期待も致したいと思っている。 この会議の趣旨をどう理解し、活用するかということはそれぞれが努力することもまた大事であることを感じた。

いよいよ初冬

昨日の朝の雲 山には初雪(28日) 左「マジックハンドぴよーん」右が「体操パッチン」 一昨日はいやに寒く、しかも風が強い、遠くに望むむ山並みもすっかり雲がかかりよく見えない、そんな天候の中、散歩もそこそこにうちに引っ込んでしまった。 そうしたら栗駒山荘は雪のため国道342号線、須川高原にある栗駒山荘は交通止めとのこと。 降り出しは、午前3時ころで、日中も降り続き20㎝近くになったようだ、除雪車も出動、山荘のお客さんを職員が誘導して安全におかえりしていただいたとのこと、須川湖キャンプ場のお客さんも同じように誘導したようで安心した。 そうした状況を説明しながらも、予約してくださったお客さんはキャンセルもあったが、29日もせっかくだからと言って、除雪が完了、交通止めの解除が出てからお泊り願っているようだ。 ちょっと早かったなー。 寒冷前線はかなりの広い範囲で南下してきてそんなに長くは続かないようだが、この時期県内でもあられが降ったり、秋田市の太平山でも初雪観測、東北全体でも広く初雪が観測されたようだ。 空模様が少し落ち着いてきたら見通しもよくなり、ジュネス栗駒スキー場も白くなっていた。 おおよそ標高400m近くまで初雪があったことになる。 いよいよ初冬。 それでもこの寒気は長続きはしないようで、まだまだ栗駒山荘も小春日和の絶好の日々を期待したいものです。 里は、まだまだ紅葉が眺められ、短い晩秋の佇まいで明るい山里が楽しめる。 今日は村議会の臨時会、10件の議案をご審議していただくことになっている。 無線工事の専決処分、畜産センター設置廃止条例、公共牧場運営資金貸付条例の廃止、畜産センター指定管理者指定期間の変更、畜産施設及び公共牧場の管理者指定、資料米粉砕機、精米ユニットなどの購入契約案件、米価下落対策の助成(一等米60キロ550円の助成)を中心とする補正予算、などを提案することにしている。 昨晩は遅く帰ってきたら、孫二人が、私の誕生祝に手作りの、「エキスパンダー」と「マジックハンドぴよーん」をプレゼントしてくれた。うれしかったなー。 そうこうするうちに、秋田の孫の二人からはお祝いの電話をもらって、何歳になったと思うと言ったら、わからないという73才だぞ!と言ったら、へー!と驚いていた。 那覇からはメールが入っていた。  

住民座談会

今年度の「村長と語ろう!地区座談会」が岩井川地区で行われた。 3回目の昨日はいつもの年よりも幾分少ない参加者であった。 例年私の地元であるこの地区では、畜産、農業、水利、簡易水道など幅広い分野での意見があって、その内容についてはなかなか議論が噛み合わず、平行線であったり、かなりエキサイトする事もあった。 意見は意見としてお聞ききしてきたし、対応できることはしっかりと対処してきた。 今回も意見をお聞きし、しっかりと意見交換したところでした。 除雪対策や米価対策、防災無線対策などしっかりと対応することとしたい。 残るはもう1日、気を引き締めて内容のある座談会としたい。昨日は急速に冷え込み、スキー場にも初雪が降り、栗駒山荘では、28日午前3時頃から降り出したようで、日中も降り、午後には約20cmにもなり朝方から道路は通行止め、除雪車も出動した。 栗駒山荘のお客さんには送迎し対応したようで、それでも、お客さんはきてくださったようです。 事故防止には万全を期すように職員にはがんばってもらっている。

遠藤堰の歴史

私の地域の重要な水利である「遠藤堰」の歴史についてはほとんど知られていない。 史実としてあるのは、地域の鎮守様である「岩井川神社」の御神体とされている銅版に遠藤氏の名前があるのみで、それ以外は、口承で遠藤堰を開削したと伝えられているのみであるようだ。 それが、岩井川部落長が秋田県の移動歴史研修かなんかで偶然手掛かりを得て、講師である元県立図書館長半田和彦氏に遠藤氏のことについてご相談をしたところ、早速調べてくださり、その報告をかねた講演会があった。半田さんは、「武士について」の研究を専門としており、古語の読解にも当然精通されており、系図などから順々に読み下げていき、「遠藤伝左衛門」を発見、秋田藩主佐竹氏の城下町であり随分と位の高い武士が住まわれている西根小屋町に300坪を越える屋敷に住まわれていた武士でおよそ2百石とりの高級武士であることがわかった。しかも、増田の奥岩井川郡での新田開発も佐竹藩主から許可されていることもわかった。 加増された禄高もその新田開発からの禄高をそっくり加増されていることも判明。 そうした経緯が、遠藤堰開削の許可を得たのが遠藤氏であり、それに協力したであろう地元の肝煎りに何らかの記録がないかどうか今後我々がそうした発見につとめることが必要であろう。 当時の徳川時代、1729年、享保14年の岩井川村の戸数が83戸、それが遠藤堰開設により新田が開かれ戸数も96戸人口も487人に増えている。馬70頭とある。 大変興味のある歴史であり、郷土を知るよい機会であった。 同時に、秋田藩主の歴史、福島県岩城、などとのつながりなども知ることができた。

名僧「了翁禅師」を知る

湯沢市八幡生まれで江戸時代に黄檗宗の名僧として知られた「了翁禅師」の生涯を勉強する国文祭事業として湯沢市の了翁禅師研究家が主催して「今なぜ了翁禅師か」としての、講演会、パネルディスカッション、演劇と講談が湯沢文化会館でで行われた。 了翁禅師についてまとまったこうした事業は珍しく、家内と一緒に参加した。 午前午後とほぼ丸一日の行事であったが、関心もあり充実した一日となった。 基調講演は、岩井川の龍泉寺で剃髪、得度した了翁さんが須川を超えて修行した中尊寺の貫主・山田俊和師からの講演、パネルディスカッションでのパネラー、上野寛永寺長老・浦井正明師、駒込学園理事長・末廣照純氏、萬福寺文華殿副館長・田中智誠師、弘前大学教授・渡辺麻里子氏さらには、講談師・宝井琴桜師の講談、演劇「了翁さん物語」(鈴木育郎氏脚本)などでその生涯を知ることができとても参考になった。 断片的にはお聞きしたことがあるのですが、このようにまとまっての勉強会はとてもありがたかった。 特に、了翁禅師が岩井川の龍泉寺で剃髪、得度したこと、その龍泉寺での修行当時、了翁のたぐいまれな特質を見抜き、大きな支持者としてご貢献した植田村源太の斎藤自得氏のことなどには大きな関心事であった。 齋藤自得氏直系のご子孫である齋藤さんとは私自身も高校の先輩であり今回も盛岡からこの行事に参加されており、下宿も一緒だったことからしばらくぶりにお会いする絶好の機会ともなった。 了翁さんが大蔵経(一切経ともいうようで、百科事典、解説書であるそうです)の収集という大願発起し、錦袋円という名薬を作り莫大な富を築きそれを皆さんからいただいた金子であるとして、すべてを人のため、世のために、あるいは大蔵経収集のために、あるいは世界で初めての公開図書館を作り、さらには寛永寺境内に勧学講院(学問所)を作り、そうした世のため人のためにすべて使い切った。 特に一つの宗派にこだわることなく、天台・真言・禅宗と三宗の21寺院に大蔵経を収めたことは師の強い信念でもあったことでしょう。 我々がよく食べている「福神漬」も了翁さんがなずけた漬物だそうです。 了翁さんは78歳で亡くなり、亡くなる前は古びた袈裟のみで亡くなったそうで、すべての財は世のため人のために使って生涯を終えられたようです。 郷土の偉大な名僧であったことで、そうした名僧が我が東成瀬村岩井川の龍泉寺で剃髪、されたことは誇りでもありありがたいことでもあります。 合掌