遠藤堰の歴史

私の地域の重要な水利である「遠藤堰」の歴史についてはほとんど知られていない。 史実としてあるのは、地域の鎮守様である「岩井川神社」の御神体とされている銅版に遠藤氏の名前があるのみで、それ以外は、口承で遠藤堰を開削したと伝えられているのみであるようだ。 それが、岩井川部落長が秋田県の移動歴史研修かなんかで偶然手掛かりを得て、講師である元県立図書館長半田和彦氏に遠藤氏のことについてご相談をしたところ、早速調べてくださり、その報告をかねた講演会があった。半田さんは、「武士について」の研究を専門としており、古語の読解にも当然精通されており、系図などから順々に読み下げていき、「遠藤伝左衛門」を発見、秋田藩主佐竹氏の城下町であり随分と位の高い武士が住まわれている西根小屋町に300坪を越える屋敷に住まわれていた武士でおよそ2百石とりの高級武士であることがわかった。しかも、増田の奥岩井川郡での新田開発も佐竹藩主から許可されていることもわかった。 加増された禄高もその新田開発からの禄高をそっくり加増されていることも判明。 そうした経緯が、遠藤堰開削の許可を得たのが遠藤氏であり、それに協力したであろう地元の肝煎りに何らかの記録がないかどうか今後我々がそうした発見につとめることが必要であろう。 当時の徳川時代、1729年、享保14年の岩井川村の戸数が83戸、それが遠藤堰開設により新田が開かれ戸数も96戸人口も487人に増えている。馬70頭とある。 大変興味のある歴史であり、郷土を知るよい機会であった。 同時に、秋田藩主の歴史、福島県岩城、などとのつながりなども知ることができた。