名僧「了翁禅師」を知る
湯沢市八幡生まれで江戸時代に黄檗宗の名僧として知られた「了翁禅師」の生涯を勉強する国文祭事業として湯沢市の了翁禅師研究家が主催して「今なぜ了翁禅師か」としての、講演会、パネルディスカッション、演劇と講談が湯沢文化会館でで行われた。
了翁禅師についてまとまったこうした事業は珍しく、家内と一緒に参加した。
午前午後とほぼ丸一日の行事であったが、関心もあり充実した一日となった。
基調講演は、岩井川の龍泉寺で剃髪、得度した了翁さんが須川を超えて修行した中尊寺の貫主・山田俊和師からの講演、パネルディスカッションでのパネラー、上野寛永寺長老・浦井正明師、駒込学園理事長・末廣照純氏、萬福寺文華殿副館長・田中智誠師、弘前大学教授・渡辺麻里子氏さらには、講談師・宝井琴桜師の講談、演劇「了翁さん物語」(鈴木育郎氏脚本)などでその生涯を知ることができとても参考になった。
断片的にはお聞きしたことがあるのですが、このようにまとまっての勉強会はとてもありがたかった。
特に、了翁禅師が岩井川の龍泉寺で剃髪、得度したこと、その龍泉寺での修行当時、了翁のたぐいまれな特質を見抜き、大きな支持者としてご貢献した植田村源太の斎藤自得氏のことなどには大きな関心事であった。
齋藤自得氏直系のご子孫である齋藤さんとは私自身も高校の先輩であり今回も盛岡からこの行事に参加されており、下宿も一緒だったことからしばらくぶりにお会いする絶好の機会ともなった。
了翁さんが大蔵経(一切経ともいうようで、百科事典、解説書であるそうです)の収集という大願発起し、錦袋円という名薬を作り莫大な富を築きそれを皆さんからいただいた金子であるとして、すべてを人のため、世のために、あるいは大蔵経収集のために、あるいは世界で初めての公開図書館を作り、さらには寛永寺境内に勧学講院(学問所)を作り、そうした世のため人のためにすべて使い切った。
特に一つの宗派にこだわることなく、天台・真言・禅宗と三宗の21寺院に大蔵経を収めたことは師の強い信念でもあったことでしょう。
我々がよく食べている「福神漬」も了翁さんがなずけた漬物だそうです。
了翁さんは78歳で亡くなり、亡くなる前は古びた袈裟のみで亡くなったそうで、すべての財は世のため人のために使って生涯を終えられたようです。
郷土の偉大な名僧であったことで、そうした名僧が我が東成瀬村岩井川の龍泉寺で剃髪、されたことは誇りでもありありがたいことでもあります。
合掌