カテゴリー別アーカイブ: 地域興し

過疎自立連盟45回総会

image (総会の模様) image (昼食は大変混んでいてハンパーグ定食ランチ、メルペルクは郵便関係施設で美味しかった!) 第45回全国過疎地域自立促進連盟定期総会が東京メルパルクで開催された。 総会に先立って理事会も開かれ、新たに副会長に三村青森県知事が承認されたほか、総会に付議される案件が決定された。 総会には総務副大臣が大臣代理として出席してくださいました。 また、総務省からは地域力創造審議官、過疎対策室長、農林水産省担当課長などが出席してくれました。 秋田県の席には代議士秘書がたくさん挨拶にみえられました。 総会では、事業報告などが承認されたほか、役員の承認と専務理事の再任が決定した。 続いて、27年度政府予算、施策に関する決議・要望も承認された。 主なものとして、地方の創世と人口減少の克服、さらには新しい交付金せいどを創設すること、特に新しい交付金制度については自由度の高い交付金制度になるように求めている。 同時に過疎債の 特別枠の創設も求めていくこととした。 地方の創世と人口減少の克服、新しい交付金制度の創設、安心・安全な生活基盤の確立、高度情報通信社会基盤の整備、地域資源を活用した産業の振興と雇用の創出、集落対策の促進と地域の活性化なとを強力に要望することとする、決議をした。

要望活動一日目

二日間の日程で村の議会と合同要望活動を行った。 一日目は国交省での要望から始めた、予め国会議員を通じて面会予約をしてもらっており、ありがたいことに東北地方整備局長から事務方のトップである次官に次ぐ技監に直接要望出来たし、成瀬ダムの直接担当局長は予算委員会でお会いできなかったが、大臣官房審議官、担当課長、更には湯沢市出身の企画専門官など主要な部署で成瀬ダム予算、工事事務所設置など強く要望できた。 この件では、菅内閣官房長官に大変お忙しい中なのに、時間をとっていただき、力強い対応をしていただき有りがたかった。 総務省では、あかま総務大臣政務官にお会いでき、地方財政、ICTなどの要望についてじっくりお話しすることができた。 ここでは、秋田県庁に若い時代に研修のため勤務経験のある将来性ある官僚秘書官や課長補佐がわざわざ案内してくださり、大変効率的な要望ができたし佐藤財政局長にもお陰様でじっくりとお話しができ、地方創生対策についてもポイントを伺うことができた。 財務省でも御法川副大臣に予算委員会の終了を待って、じっくりと要望させていただいた。 ここが大きなポイントであり、主計官にも連絡をいただいてくれたようで、しっかりとお願いできた。 これまでもかなり要望活動をしてきたが、今回ほど内容のある、手応えのある要望は珍しかった。 ありがたいことです。

初めてのそばうち体験

義弟が勤めている鶴岡の農水省事務所の関係が主催する「田んぼの学校」で、ソバ打ち体験に参加した。妻と弟夫婦での参加。 何しろ初めてのことであり、どんなソバになるのか? 約40分、いい体験をした。 ゆでかたは妻がやったが、食べてみたら立派のものでした。 初めの一杯はタレで冷やがけ!旨い!次にネギ、大根おろし、七味唐辛子で一杯、これもよし!次に練りワサビ、これが美味しかった。 弟夫婦の打ったソバは、少し固かったが味が良かった。 打ち手によって皆違い、それぞれの味があってソバ打ちの楽しみ方でもあるようだ。 この分だと自宅ても思ったが果たしてど うなるか? そのあと、色々なイベントがあり、結構工夫してやっているものです。 その後、村上の塩製造直売所、道の駅、物産館などを回ってきた。 賑やかさ、入り込み状況は雨のなかでも多かった。 どうしてか? いろいろ考えさせられた。

遠藤堰の歴史

私の地域の重要な水利である「遠藤堰」の歴史についてはほとんど知られていない。 史実としてあるのは、地域の鎮守様である「岩井川神社」の御神体とされている銅版に遠藤氏の名前があるのみで、それ以外は、口承で遠藤堰を開削したと伝えられているのみであるようだ。 それが、岩井川部落長が秋田県の移動歴史研修かなんかで偶然手掛かりを得て、講師である元県立図書館長半田和彦氏に遠藤氏のことについてご相談をしたところ、早速調べてくださり、その報告をかねた講演会があった。半田さんは、「武士について」の研究を専門としており、古語の読解にも当然精通されており、系図などから順々に読み下げていき、「遠藤伝左衛門」を発見、秋田藩主佐竹氏の城下町であり随分と位の高い武士が住まわれている西根小屋町に300坪を越える屋敷に住まわれていた武士でおよそ2百石とりの高級武士であることがわかった。しかも、増田の奥岩井川郡での新田開発も佐竹藩主から許可されていることもわかった。 加増された禄高もその新田開発からの禄高をそっくり加増されていることも判明。 そうした経緯が、遠藤堰開削の許可を得たのが遠藤氏であり、それに協力したであろう地元の肝煎りに何らかの記録がないかどうか今後我々がそうした発見につとめることが必要であろう。 当時の徳川時代、1729年、享保14年の岩井川村の戸数が83戸、それが遠藤堰開設により新田が開かれ戸数も96戸人口も487人に増えている。馬70頭とある。 大変興味のある歴史であり、郷土を知るよい機会であった。 同時に、秋田藩主の歴史、福島県岩城、などとのつながりなども知ることができた。

山村振興連盟理事会

11月の総会に向けて、提出議案の最終確認のための理事会がひらかれた。 会長の中谷元会長、自民党山村振興特別委員会会長、金子議員、吉野議員などが出席されて朝の早い時間から時限立法である山村振興法が来年3月に期限切れとなることから、その継続に積極的に自民党の特別委員会としてものりだし活発な議論をしたとのことであった。 しかし、連盟から提出議案に、我々が今一番の関心事である、地方創生の文言が全くないことに不満が続出、そういった文言をしっかり記述することで原案可決された。 肝心の文言がないのに、原案可決もないだろうが、副会長会議、議長である副会長に一任ということになった。 こうしたことはこれまでもあり、私が秋田県て提案した、ラジオ難聴地域解消対策でも、あったことからいいだろうと感じた。 農水省、国土交通省、総務省、などから担当課長が出席していたが、地方創生についての具体的な提案もなく、我々としては極めて物足りないものであった。 逆ににこんなものかな?とも思えてくるのは残念。 総会の前には、総決起大会にすることだけは確認しあった。 ひと、まち、しごとはいいが何をやるのか、やはり自分達が考えなければならないのだろう! 今回の理事会は、そうした地方の声が積極的に提案され極めて活発であった。 このあと、私はダム事務所の件で国会議員会館にお邪魔し来月要望する内容についても説明してきた。 雨もふり寒くなって来て、いよいよ秋深しの感じの永田町、霞が関でした。