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福祉を考える

41回目を数える東成瀬村社会福祉大会が「ゆるるん」で開かれた。 例年、秋に開催されていたのであるが、気温も寒くなってくる頃であり陽も短くなってきて何かと気忙しくなり、気持ちも落ち着かい季節であることから、ここ数年開催時期を検討してきたところでしたが、今回実行委員会などを開き、思い切って変更したところ、皆さんたくさん参加していただき、ゆっくりと福祉について考える機会になったことと思っています。 会長表彰は手倉寿会の活動優秀団体、感謝状贈呈は最上谷健さんの社会福祉功労、高額寄付者の株式会社・菅与に贈られた。共同募金活動功労としては佐々木勝治に県共募会長表彰の伝達がありました。 体験発表では東成瀬小学校6年の佐々木唯さんの「地域の方々に支えられて」と題して普段の生活において地域の方々に支えられて自分たちがおるということに気づき、感謝の気持ちを持ち続けたいことを述べておりました。 東成瀬中学校3年の佐々木葵さんの「私の夢」と題し母親の介護福祉士としての活動を見、実際に体験し、将来の夢として介護福祉士としての夢をしっかりと実現したいとする発表で、子は親の背中を見て育つを、実践しているようなすばらしいい発表でした。 皆さん感動して聞いておられました。 講演は、ラジオパーソナリテーとして歌手として東京で活動しておられ、10年目でふるさと秋田に帰り、積極的に秋田の良さ、秋田を変える活動をしておられる藤田ゆうみんさんの「故郷への感謝~メリットとデメリットを愛する~」と題して講演してくださり、ライブで来年秋田で行われる国民文化祭のテーマ音楽などを披露してくださいました。 講演では、なぜ秋田に帰ったかなどとともに、学生生活など東京での10年間で感じたことに、北海道や沖縄の方々は故郷を自慢し誇りに感じ、それぞれを「いいところだよー」と会話をし「来てよ!」「行ってよ!」と言っているのに、秋田にはそれがない!、これではだめだ!帰って自らよさを発信しようと思われたような感じのお話であったと思った。 これからじわじわとそうした発信が秋田に変化を与えてくれることを、確信したところでした。 内容の濃い社会福祉大会であったと思った。 続いて、助け合いチャリテーショーも短い時間ながらそれぞれのグループが普段練習している成果を発表してくださり、入場券610枚、協賛企業、団体の方々の協力で今後の福祉活動の資金として活用させていただけることになりました。ありがとうございました。

災害時協定締結

ヤマト運輸株式会社と東成瀬村との災害時における物資等の輸送並びに物資拠点施設の運営に関する協定の締結を結ぶことができた。 この協定はヤマト運輸さんからの提案で、秋田県内ではすでに、15自治体と協定が締結されており、我が村は16番目の締結となりました。 内容は物資の輸送のみならず、物資の保管、運営業務などにも及びこれまでの経験と実績から大いに頼りになるものと考えているところです。 締結式の前に、ヤマト運輸・末次秋田主管支店長さんとお話をしている中で、3・11大震災においてヤマト運輸さんが果たした支援状況の中で、物資輸送のみならず、ドライバーがそれぞれの担当地域のご家庭をいかに綿密に把握してのお仕事をされていたかがよく理解できることがあった。 それはとりもなおさず、被災地域を熟知し、ご家庭の方々をしっかりと把握していることでもあった。そのことが、物資をスムースにお届けできたことであり、被災された方々がどこに現在住んでおられるかも知っているからこそ、物資を届け、相談にも乗ったことがよくわかった。 どんなに、被災者の方々が頼りにしておられたか計り知れない。 さらに、物資の保管から整理、配送までの段取りまでの「プロ」であるとする自信が強いものであることもよくわかった。 それは、あの災害以来、よく話題となった、われわれが集めた物資が、届けたであろう物資がどうなっていたのであろうか?といった疑問がなかなかよくわからない。これではよくないことである。 わたくしたちは、直接お隣一関市の土木部を通して道案内をしていただき、日赤奉仕団のご協力で集めた物資を直接、陸全高田市の避難所に届けることができた。朝に握ったおにぎりも、お昼には、まだ温かいおにぎりを被災者の方々にお届けすることができた。 こうした体制をこうした連携ができることによって可能になるのではないかとも考えられるところです。 今回の災害協定の締結はいろんな展開も考えられると思うし、有効に機能するよう工夫していきたいものである。

県際の道路整備

国道342号線整備促進同盟会(会長・勝部修 一関市長)の総会が一関市で行われ出席した。 会長のあいさつで、特に強調されていたのがそれぞれの県境に位置する地域を通過するこうした三桁国道の整備が極めて遅れていることを危惧し、積極的にその整備に努めたいし、運動を展開していきたい。 県境にある道路は、観光道路であり災害時における物資輸送の有力なルートとしてすでに、3・11大震災でも話題に上ったこともあり、今後ますますその重要性が地域のみならず、地方全体にも波及することから遅れを取り戻す意味からも頑張らなければならないと感じた。 もともと県際道路の重要性については、観光面からもわたくし自身かなり強調してきていたことから、思いが一致して力強く感じた次第でした。  

ミニライスセンター二つ

村内の農業法人化がこのところ随分と進んできている。 今年は岩井川と手倉に法人が組織化され農業法人としては滝ノ沢と合わせて、3つとなった。 手倉フアームは法人会員は5名で、農地の利用権設定面積は18.8ha、利用権設定者は23名、岩井川は法人会員5名、農地利用権設定面積は14.7ha、利用権設定者は11名となっている。 すでに、今年の春の田んぼの耕起作業から事業にそれぞれ計画的に入っており、これから具体的な法人運営に向けてそれぞれの活動をしていくことになる。 こうした動きは、高齢化しつつある農業後継者対策とそれに伴う、農地の集約化、耕作放棄地対策のためにもどうしても求められる対策の重要な行政施策の一つであると考えている。 農地の利活用、流動化は進みつつあり、この動きは次第に理解されていくのではないかとも思われる。 その意味からも、こうした法人が活動しやすいような施策を行政が先導し、中山間の農地を守り、農業をしっかりと支えていく体制は作っていかなければならないものと考えている。 そのための施策である、ミニライスセンターを設置し、作業を効率化し、受委託面積の拡大を図るような対策が必要であると考えていることから、このたび、滝ノ沢に続いて新たに2か所を建設することにしたものである。 その2か所の工事前の安全祈願が現地で行われた。 一日に2か所の安全祈願も珍しく、ご案内をいただいた方々も忙しくされたことでしょう。 無事に工事が進み、出来秋にはこうした施設がフル回転をし、農作業が安全にしかも計画的に進むよう願いたいと思います。  

連休をゆっくり

3連休、一日は職員の結婚披露宴で過ごした。 二日間は所要があって山形鶴岡での親せきとの打ち合わせがあって出かけた。 そのついでに、ゆっくり行ったことのない飛島に行ってみようということで急きょフエリーに乗った。あいにくの雨模様で相当の揺れを覚悟したが、双胴船であったせいかあまり揺れも少なく快適であった。 晴れた日は鳥海山、寒風山がよく見え、天気の良い日は佐渡も見えるそうです。所要時間75分は短い船の運航時間で、間もなくついた。釣りをするような天候でもなく、海を見ながらゆっくりとした。 飛島は台形状の島で、宿にある本や資料などを見ていると、島の歴史などがあり、6,000年から12,000年前にさかのぼり、洞窟には古代の人骨もあるという。さらに著名な文人墨客が島を訪れ、人間国宝の一番に指定された歌人の鹿児島壽蔵が詠んだ「鳥海山の山すそかすむ海のうへかぎりも知らに秀波(ほなみ)たちみゆ」の歌碑などもあった。 特に、島の成り立ちには科学的なものやら伝承などたくさんあってとても面白かった。 一夜明けた朝は雲間から朝日も昇りほっとした。というのも前夜にあまりに強い雨があり、方々で気象警報が出る状況で、船が出なかったらどうしようと心配であったがだいじょうぶでほっとした。 晴れた海は、私どものように山から行くととってもゆっくりとした気分になり、リフレッシュする。 出航までの時間もあり、朝のうちに約1時間以上も散歩をし、先ほどの洞窟があることや、鼻戸崎展望台、歌碑などをゆっくりと散策することができた。 港では、名物のトビウオが旬で大漁の作業をしている様子なども見ることができた。 何よりもぼやーっと海を眺めることができて、とてもゆっくりすることができた。 帰りの最上川はものすごい濁流で、名物の最上川舟下りも中止とのこと、氾濫したらどうするだろうと思わずにいられなかった。 戸沢村では韓国の商品が主流の道の駅がありこれまた珍しい趣向である。酒田港でのグルメどんぶり、海産物の数々、それぞれ工夫を凝らした商売にも感心した。 酒田では、わが村で講演もしてくれた泉椿魚氏がプロデユースした相馬楼も二度目であったが寄ってきた、最初の頃よりは工夫が凝らされており、説明も加えられ、入込状況も繁盛しているようで、文字どうり紅花色をした半畳の畳「繁盛畳」やリニューアルした色合い、芸子さんの踊り、お茶、竹久夢二館、建造物、など見事に復活した感があった。 泉氏は現在弘前に滞在中で、その前は男鹿半島に約3年ぐらい滞在、その男鹿では今、海フエスタが開会、氏であったらどんな感想を持つだろうかなどと思ってしまった。 ゆっくりとした二日間でした。