消防団幹部会

春の消防団幹部会が開かれた。 すでに今年度の消防団活動はスタートしており、春の火災予防運動から駆け付け訓練など精力的に活動していただいている。 本来の仕事を持ちながら、ボランテアとしての活動に率先した活動していただいていることには、頭の下がる思いが強い。 消防活動はもとより、春先と秋の山菜取りの際の遭難は後を絶たず、その都度招集がかかり、懸命の遭難救助にも当たってもらってもいる。 もちろん、山岳遭難救助隊員の皆さんにも頑張っていただいているが、消防団員の皆さんにも手伝ってもらっているのが現状で、今年もそうした際の体制についても話し合われたようである。 また、消防競技大会も非常に関心の深い活動であり、審査基準などについてはかなり突っ込んだ話し合いがなされた。 特に、全県大会にこのところ毎年のように湯沢・雄勝の代表として出場している村の小型ポンプ操法については特に関心が高い。 ところが、この審査基準に「ポンプ操法要員」が開会式に出ないと減点対象になるという申し合わせがあるとのことで、私も初耳で、これは一体どこかで申し合わせたのか定かではないようで、疑問に感じた。 大体において、非常に緊張感漂う大会で、開会式に出ることはかなりの関心事ではあると思う。 なぜそうまでして開会式に出なければいけないのか分からない。 ここいら辺は、消防団でもしっかり確認しておかなければならないことであるように感じた。 いずれ、間もなくその大会に向けて、消防団では練習を始めるようになるでしょう。 そうした意気込みは、消防団活動にも大きな励みにもなっており、しっかりとその意欲を買ってやるように協力しなければならないようにあ感じている。 今年もよろしくお願いします。

米寿のお祝い

久しぶりに温かな天気、昨日は午後から会議が詰まっていたので午前中いっぱいかけて、米寿のお祝いと出生お祝いに村内のご家庭を訪問した。 訪問すると、年配の方々とは久しぶりにお会いするわけで、話は尽きないし、待っていてくださったように昔の話やら、経験談などいろいろ伺うことができてとても楽しい。 今回も、とてもとても88歳とは思えないような元気さで、若さの秘訣を話してくださった。 米寿を迎えられた方々に共通して言えることは「体を動かすことと、多くのことに関心を持っていること(物好き)、食事がおいしいこと」があげられる。 子供や親せき、兄弟姉妹が気にかけてくれ、いろんなお祝いをしてくれたりする方も多かった。 そんな中で「寿」という字を99も筆で書き、最後の一文字の「寿」を別行にして書き込み、百字にして百歳のときにまたお祝いに来るという甥がおられるといって、その額を見せてくれました。 すごいことである。ご自分も俳句を詠んだり、パッチワークをやったり、書を嗜んだりとこれでは年をとる暇なんかないと言っておられた。 さすが大したものです。 ますますお元気で、とりあえず百歳をめざしてほしいと心から感じた次第でした。 この分だと間違いなくその領域に達しそうだ。

地域要望を聞く

村の行政運営において、総合的な施策については執行部である我々が企画立案をして事業を組み予算化し、議会に諮りしっかりと議論をして議決をいただき実行していくことになっている。 その事業について、我々が気の付かない地域要望や考えなどを村内の各集落ごとの部落、自治会の代表者さん方にご参集願って、直接ご意見ご要望をお聞きし、事業計画に反映させるために毎年「部落長・行政連絡員会議」を開催している。 この会議には、その地域ごとの代表者さん方のほかに、村からの行政運営について資料を配布したり、行政全般についてのご協力をお願いする行政連絡員さん方にもお集まり願っている。 今年も、あらかじめ各地区の要望を取りまとめ願い、その要望についての説明をしていただきました。 この要望事業や要望箇所を、6月頃には村議会とともに実際にそれぞれの地域で現地で説明をいただき、対応策を考えることにしている。 これは非常に大事なことであり、行政と議会、地域が一体となって課題解決に向けていくことになる意義のある事業であり、とても大事な提案も出されてくる。 これからも、こうした地域の意見・要望を直接お聞きし、行政運営を展開できるよう努力していきたいと考えているところである。 これまでも、多くの事業をこうした形で実行してきており、行政と地域が密着し、村政が身近なところで行われる表れとしても、とても大事な手法であると考えているところです。 会議後の懇親会も盛り上がり、率直な意見交換は時間を忘れるくらいのものであった。

子育ての記憶力

もう少しで9か月になる孫がいる、その孫とこのところ休みの日ごとに留守することがどうしたわけか多い。 その成長ぶりは孫バカと言われるかもしれませんが実際驚くばかりである。 極端な話し、朝食の時にテーブルに立ち上がろうと懸命になっていることを話しになったのが、夕ご飯の時はもう立ち上がった、とか何とか言って話題となり、誰それの時はこうだったとかあーだったとかと話題が広がっていく。 そうなると私は全くのつんぼ桟敷、よくもまあー覚えているものです。その記憶力には恐れ入りましたとなる。世の女性はみんなそうなんでしょうが、私からするとそんな記憶はほとんどないのである。たまに、「まてよこんなこともあったなー」と言うとそれは違う、それは誰それであって違うとなり、反論も何もない。 それが、このところどうしたはずみか、休みごとに一番小さな孫とおる機会が多くなり、自然とそうした観察する機会も増えてきていることから、一応話題には入っていける。 従って、その成長は目覚ましく、こんなに早いものであるとは思っていなかった。 自分の子供の子育てにはあまり関わっていなかったことにもなるが、孫にはほとんどそうした思いや記憶があまりないのが実のところである。 それが、今更ながら孫の成長の速さに驚いている自分が逆に年を取っているのかと思うと、待てよ、孫には負けておられないぞという訳ではないが、体力の維持だけは孫に負けないように頑張らなければとつい思ってしまう。 そんな思いと同時に、子育ての記憶力の確かさは、自分の母親と同じように妻にはどうしてもかなわないし、その記憶力は母性本能なのでしょうかね-。  

お幸せに

知人の娘さんの結婚披露宴にご招待を受けて出席した。 久しぶりの結婚披露宴で、出席された方々も、何年振りだろうという方々も多かった。 私自身も数年前は、春と初夏、秋などにに何人かの結婚式や仲人を頼まれてのご祝儀があったのであるが、そう言われてみると最近はほとんどそうした機会がなかったと改めて感じた。 結婚適齢期の方々もおるにはおるのですがどうしたわけか結婚する話が聞こえてこない。 国や県を挙げて結婚奨励に取り組んでいるし、出会いの機会などあの手この手で懸命に取り組んでいる。 こればかりは、本人たちの気持ちでありなかなか難しい問題である。 結婚式で感じるのは、どうも高校の時からの付き合いが続き、その延長線上での結婚にゴールするといったケースが多いように感じる。 やはり、本人同士の積極的な交際などが最も結婚に結びつくように感じている。 そこいらあたりを、どう理解するかどう認めていくのかも考えていく必要があるのかもしれない。 そうした付き合いは、職場環境が違い、遠く離れていても、その付き合いは続き、今回のカップルも見事に結婚にゴールすることができたケースで誠におめでたい限りである。 これからは、いろいろなケースがあるでしょうが、何とか結婚に結びつくように考えていく必要があると思うが、妙案となるとなかなか難しいのが現実でもある。 しかし、結婚できる環境整備についてはいろいろ考えられることがあるように思えるような気がする。 皆で考えてみたいものです。 日本の 人口は減り続ける、秋田県の人口も東成瀬の人口も平成40年には2,000人を切るといっていたが、減少率そのものはわが村が特別に激しいわけではないものの、真剣に考えることが必要ではあることには間違いがない。