

村の方々とご一緒するといろいろなお話をお聞きすることができて、とっても充実した時間となる。
その機会が1年に一度の敬老会などとなると、お互いに「久しぶり!」といった挨拶から始まり、「まめだったが!」「病気したそうだったけれども、元気そうだな。」「俺も手術して1年になる」「誰それも同じ病院んで手術した」、全く知らなかったこと、初めて知ることも多い。そうした会話から始まり、世の中の話し、集落での出来事、人様の考え方などなどそれはそれは多種多様、それを聞いているうちに、ハッとさせられることも多いのです。あるいは、なるほどなるほどと教えられることも多い。
昨日も、椿川地区と大柳地区の合同の敬老会で久しぶりの皆さんとゆっくりとお話ができた。
80歳になられても毎日山菜取りに山に入っておるというDさんは「今年の山は異常だ、沢という沢は全く水が流れておらないばかりか、「白い」という、ジョリッコ履いて歩ける状態だ」「白いのは、水がなく地下からのわずかな噴気に温泉成分がありそれが白くしているのではないかと」という。
こうした現象は初めてである、おそらく、今年のキノコは「一回雪が降ってからでないか」という。それだけ山の水、山全体が水分不足であるといううのである。
こうした時に心配なのが、一気に雨が降ると、たまるところがなく、表面を雨が走ってしまい、しみこまずに災害が起きないか心配だという、そうした自然状況については我々も心配しているし、対応策も考えておかなければならないと感じた。
一方では、山菜である「サク」のすべてがクマによって根こそぎ食べられてしまっている、こんなことはこれまでなかったことであるという。ブナ栗やドングリも葉が枯れたり、楢枯れて十分ではないし、クマも里に下りてきている。
これから、熊の対応策も考えていかなければならないし、檻の設置場所についてのご意見もあった。
また、全く我々の配慮が不足していたこともあった。
それは、小学校統合と同時に考えなければいけなかったことに、バス停留所の課題があったことを気づかずにこれまで児童生徒たちに雨の中、雪の中、風の中、バスの停車場所付近でそのままにして、待たせてきたことに今更ながら申し訳ない気持ちでいっぱいであった。
実は、敬老会でその話をお聞きする前に、地区の代表が、林業関係の仕事をしていることから自分で木材を使って作ってやろうかとさえ思った、孫たちのためにそんな思いでいたが、息子から相談を受け、議員に話をしたら、早速村で作ってくれるとのことでありがたかったと言ってくれた。
そのご意見をいただいて、直ちに予算措置をしてすぐにかかることにしたが、来年度の部落からの要望事項に入れてからにしたらどうかとか、担当はどこだとかやり取りがあったようだが、「そんな問題ではないと!」きつく申し渡した。
極端な話し、これから間もなく冷たい雨、雪、風の季節、どんな思いで児童・生徒がバスを待っているのか、それを思ったら、予算がどうのこうの言った問題ではないとさえ思える。一刻の猶予もない、すぐに「やれ!」と言いたいぐらであるが、それはそれ、手続きが必要でしょう。いかに迅速に実行するかを考えたいと思った次第でした。
全く私の配慮不足から、卒業した子供たちもおることでしょう、そうした児童・生徒たちに不便な思いをさせて申し訳ない気持ちでいっぱいである。
やっぱり、地域の方々の会話、集まりには欠かさずに出かけて生の声をお聞きしなければと思うし、それをよく判断して実現していく必要性を改めて感じた機会でもあった。






山村振興ブロック会議の二日目は、朝早くから釧路湿原、釧路漁港施設、米町ふるさと館、釧路漁港が見渡せる公園、石川啄木歌碑、高浜虚子句碑など北の町の自然、文化、産業など極めて広い分野について棚野白糠町長さんのご案内をいただきながら研修した。
釧路湿原には実際に入る時間もなく残念であったが、全貌から推察すると、私が考えていた湿原とは全くちがったかんじであった。
それもそのはずで、湿原に入るには、厳しい規制があり、15分ぐらい車を降りてから時間を要し、またの機会にしてくださいとのことで納得。
全貌から推測しても、広大な面積でありちょっと立ち寄って見ようかと言った湿原ではない。
雄阿寒岳、雌阿寒岳が珍しいくらいだそうですがくっきりと見えました。
次の施設はそれこそいい時代に整備したようで、今ではとても考えられないような素晴らしい売り場と観光物産館であった、天気予報などでよく紹介バック画面にでてくるしせつだそうです。
米町ふるさと館は明治時代の建立で、当時の商家が保存されていた、懐かしく感じたし、米、塩、魚類日常生活などを取り扱っていた様子がよく理解できた。
この施設から目と鼻の先にある公園や歌碑、句碑のある公園は、遠い内地に思いを馳せた人びとの心が伝わってくるようであった。
この研修では、白糠町長さんのバイオマス発電にかける意気込みがひしひしと伝わってきた。
それは、北海道開拓歴史の苦難と経過からしても、不毛の土地を何とか活用しようとする構想、時代は自然エネルギーの時代であることが根底にあった。
その原材料として成長がきわめて早い優れもののアメリカ柳を植栽していること、そのチップがバイオマス発電のみならず畜産農家にも大きな需要があることが、熱い言葉として一貫して発信されていたことである。
この考えには、大規模農家が置かれている現状の厳しさと、裕福な農家ほど大規模ではなく、こじんまりとした経営をしており、昭和、平成の未合併町、村が財政的にもしっかりしていることなとを例をあげて述べておられた。
釧路市と隣接していてもおよそ1時間近くもかかり、近くには大規模工業団地もあった。それも製紙工場、魚貝類、畜産の食品工場もあるようであった。
植林なとの林業活性化、未利用地活用などをバイオマス、畜産にリンクさせていけたら、素晴らしいものである。
ちまちました構想とは違う、新たな発想に感銘し、心を
打たれ、刺激も受けた。翻って我が村ではどうするか?
林業の活性化は必ず時代が求めていると思っているし、これまでも積極的に取り組んできたがより重要であるとかんがえている。
その対策には雇用と合わせて努力したいものである。
国でも、新たな動きがこうした研修を受けて取り組むのではないかと期待したいし、あるようにも感じた。
外にでて研修すると刺激を受けて、とても新鮮な気持ちになる。
ただそれだけではいけませんよ!と自分自身に言い聞かせなければなりません。