空き家対策

  (岩井川の空き家)                                                                                                   (五里台の空き家) 豪雪時になると決まって問題となってきているのが「空き家対策」である。 この空き家についても、いろいろな形があって、冬期の雪下ろしなど管理自体がそのものが「放棄」されてきているとしか考えられないケースが増加してきているのが実情のように感じている。 村においても、複雑な事情が絡んだケースもあり、その所有者と連絡を取ってもなかなか解決できないで困惑しきっているケースもある。 なんと言っても、第一義的には所有者が自ら良好な管理をしていただかなければならないわけですが、それができずに、この雪によって、歩行者やその周辺の家屋にも影響を及ばさない共限らない状況下での中、何とか解決の方向を探るべく努力をしているところです。 条例などによって空き家対策を進めているが、一定の手続きで強制的に解体整理をさせていただき、それに要した経費は請求するという「代執行」制度もできるのであるが、それは最後の対応策であり、円満に事情をご了解いただき、納得の上での手続きを進めたいと考えているところです。 最近は、保存登記手続きをしないままの家屋があり、この雪の中1回も雪下ろしをしないままの家屋もあり、あらゆる手だて、八方手を尽くしても、解決の糸口さえつかめない状況に現在は困惑しきっている。 何と言っても個人所有の財産を勝手に行政が手をつけるわけに行きませんが、これからは空き家対策の適正管理に関する条例などを活用して、具体的な対策をしなければならない時期に来ているように感じている。 大変な作業や手続きになるものと思っている。  

今日は大寒

いつもの日課である雪払いに朝の5時30分に玄関を出た。 冷え込みは厳しく、何でも一日のうちで最低気温を記録するのは日の出の時間帯に近い時間が一番冷え込みが厳しいと言うことを聞いたことがある。 今朝もまさしくその通りで、雪も軽く降雪量はそんなに多いわけではなく、扱いは楽であった。 昨日溜まっていた雪をある程度処理したので、朝の除雪時間は短めにすんだ。 それでもこのところの連日の雪堀には参ってしまったのが正直なところでした。 昨日は実家の義姉が、昨年の豪雪の時に除雪作業をしていての事故死をして1年になるのが21日であったが、早めての1回忌を行い、そのための玄関除雪やら何やらで結構忙しかった。 昨年の事故の際は、秋田で会議中にその連絡が入り急遽帰ったが、身の内の者が、こうした事故に遭遇するとは夢にも思わなかったことであり、びっくりするやらなにやら、そうしたことが思い起こされた。 今冬もまた、隣部落の主婦がやはり雪による事故でなくなっており、屋根雪を滑らせる構造が、かってはなかったのが、今は屋根雪を滑らせる構造が多くなってくるにしたがって、こうした事故が出るようになった。 後1か月、雪との戦いは続くことでしょう。 今朝は、時折朝日も差す天候で、少しは落ち着いてくれればと願っているところですし、気持ちもほっとするものがあります。

東成瀬キッチン登場

土曜日に秋田県ゆとり生活創造センター遊学舎というえらい名称の長い施設である通称「遊学舎」で「ひがしなるせキッチン」という催ものが開催された。 主催は日本一美しい村づくり東成瀬協議会(代表・谷藤トモ子)でこの構成員は、なるせ加工研究会、エスコーター岳遊会、仙北道を考える会、東成瀬昔っこの会、秋田山の学校、秋田花まるっグリーンツーリズム協議会、NPO法人あきた地域資源ネットワーク(事務局)、東成瀬村となっている。 既に、昨年もこの団体では秋田市を中心にして参加者を募集して東成瀬ツアーを募集しての企画も実施しており、これからも仙台でもいろいろ企画をされておるようです。 今回は料理監修・瀬田川千秋さんのご指導をいただきながら秋田県食品研究所とも連携をとりご指導をいただいたりしての東成瀬の特徴をふんだんに表現した料理の数々を紹介したものでした。 約100名を超えるお客さんで会場はにぎわい、皆さんそれぞれその料理に感嘆の声を上げながら、にぎやかな交流の場と化していました。 終了の時間になっても料理のおいしさの余韻に浸っておられる様子がありありと感じられた。 メニューは、納豆汁、餅入りトマトのミネストーネ、米粉フオー、いぶり平良カブ、山菜の一本漬け、米粉カステラ、あきたゴールドのデザート、お手軽アップルパイ、リンゴこんぽーとでの簡単ミルクプリン、餃子皮ピザなどでした。 会場ではたくさんの貴重なご意見をいただきすごく参考になりましたし、今後の企画や村おこしにも活用できる内容のものであった。 会場ではアンケートをとっていましたし、報道関係者も結構いらしてくださっていました。 東成瀬村フアンクラブの立ち上げもお呼びかけてくださっていました。 ありがたいことです。

少し落ち着くか

挨拶は「すごい雪だもんだ!」「48豪雪と同じだ!」といった言葉が日常会話になっている。ところが、その48豪雪についてはほとんど思い出す人が少なくなっている。 かくいう私もその思い出が定かではないのが本当のところである。 やっぱり、災害などは忘れたころにやってくると同じで、その頃の難儀や苦労などは忘れがちである。 それでも断片的には思い出せる、村内を回っていると、玄関からの出入りはほとんど無理で、二階からの出入りをする家庭や、私なんかは電話線の引き込み線をまたいで家にたどりついたことがあったり、役場の付近を流れる伊達堰が雪のため溢れ付近の住家の床下浸水になりその対応のために夜の10時過ぎに歩いて5kの道のりを帰ったり、それが連日となると役場の当直室に泊めてもらったりした記憶がよみがえってくる。 水対策の後は、ぬれてしまった衣類を薪ストーブで乾かしてからの帰宅、道路も途絶状態で、自衛隊派遣による除雪、排雪の緊急応援があったのはあれはいつだったんだろうか? 38豪雪だったのかなーどうであっただろう? 当時は、機材が今のような状況ではなく、そうした支援は本当にありがたかった。 今回の豪雪は、県南部特に我々の地域は特殊なような気がする。 なのに、県の出先機関での対応は案外ずらーっとしている。 何か、基準でもあるんでしょうなー、県道関係でも通学路や法面など危険と思われる個所が結構あるように感じているし、連絡もしていると思うんだが、なかなか手が回らないんでしょうなー。 我々のところだけが48豪雪とほぼ同じだと言ってみても、全体的にはそんな危機感は無いんでしょうか? 22日には臨時議会を開催し5千万円を超える対策費をご審議願うことにしている。 昨日は保育園の雪下ろし除雪を総がかりで、夕方遅くまでやってくれた。 このようにして次第に対策は取られるようになってきた。 機材の確保、雪捨て場の確保、人的支援、など段々に具体的になってきた。先日はNHK秋田放送局による豪雪の模様が結構長く放映されていた。 見ていた知人や親せきから改めてその豪雪状況を心配してメールなどが届いた。 私もここ数日、夕方と朝の約2時間ずつ、窓の雪堀の連続であり、それをしないとff暖房やボイラーが不燃焼になって困ったことになりつつある。 そんな合間に、突然星空になったりお月様が見えたりすると、少しお天道様も落ち着くかなとかすかな期待をしたりする。 まだまだ雪は続くでしょうが、民家の方がたに対しても協力し合い、しっかりと手が行き届くように手立てをしっかりとしていかなければならない。 これにもまた多くの方々のご協力が必要だし、雪下ろしをしてくださるボランテアの方がたも限度を超えるような疲れ具合だろと思う。 よろしくお願いしたいと願うばかりです。

昭和48年豪雪ペース

(上の2枚の写真は、48豪雪と今年の豪雪比較で、黒線が48で赤い線が今年の積雪を表しています。)(下の写真は保育園の雪下ろしで屋根に除雪機をクレーンでつり上げて作業をしているところです。) 小康状態を保っている豪雪状況ではありますが、その積雪状況は、確実に昭和48年ペースきわめて似通った状況で推移しております。 昭和48年は降り始めが11月17日で以降間断なく降り続き、ついに1月13日には2・26cmになりました。 一方今年は、11月11日の小雪から始まり12月初旬までは小康状態でしたが112月12日頃から本格的に降り始め、それ以降は昭和48年の降り方と大変よく似たパターンとなって参りました。 そのパターンで推移しますと、相当厳しい状況も予想されますし、3メートルを超えるような状況になった場合は、緊急事態ともなりうるわけで、今からその心構えをしっかりと持たなければならないだろうと考えておるところです。 当面、道路交通の確保のためと、住宅周辺や除雪に支障のあるような地域の排雪のための場所確保を各地域、特に田子内、岩井川、椿川などにその場所を確保したところです。 既に村の建設業協会とも協定を結んでおる除雪、排雪のための重機、機材の借り上げ料金についてもしっかりと対応できるようにしている。ただし、このような状況では、特定期間に要請が集中することから、ある程度の時間、期間を要することはご理解いただかなければなりませんし、ご協力も願いたいと存じます。 48豪雪では1月26日に3・10cmを記録している。 なんとかそうした事態にならないように願うばかりである。 村では、豪雪対策関係の補正予算を編成しその具体的な対策をとるためのご審議をいただきたく、近く議会の再開を申し入れさせていただきたいと考えているところであり、その補正予算規模も大幅となる見込みです。