カテゴリー別アーカイブ: 日美連合

チャレンジデーの一日

image image image (天橋立の朝日、約8千本の黒松で宮津湾と阿蘇海を隔てる) image image (日本三大文殊の智恩寺) 朝のラジオ体操から始まり、ワラビ畑でワラビを取り、デンバーの日本館・本間館長に記念事業パーティーのお祝いと私への祝意にお礼のメールを送信して、慌ただしく日本で最も美しい村連合の総会、戦略会議に向けて秋田空港から伊丹空港経由で京都府伊根町へ。 前泊地の天橋立町に午後5時30分着。同宿する長野県高山村、木曽町、静岡県松崎町、高知県本山町、企業メンバーのグラムスリー代表、それに連合発足から資格委員の佐藤熊本大学教授さんがたと、夕食をとりながら実に4時間近くの食事となった。 いつものことながら、この時間が物凄く貴重であり、参考になる。特に佐藤教授は幅広い見識・意見をお持ちの方で、美しい村連合の意義、方向、目指すべき考え方、歴史、人口問題、交流のあり方、リゾートの語源、文化、温泉、フオッサマグマ、地場、宗教、などなど実に広範であり、いろんな機会に紹介したいこともあった。丹後半島の夜は味わいのある夜となった。 ところでチャレンジデーの本村参加率は92・5という凄い参加率!村外から働きに来ている方や地域ごとの参加率が高かったようです。対戦団体の青森県新郷村は102・1で残念ながらまたまた惜敗ですが、皆さんの参加に感謝しこれかもスポーツで健康な地域作りにガンバロウ!

好天の秋

  気持ちの良い秋晴れとなった昨日、たくさんの飛行機が飛び交い見事な飛行機雲が空に描かれていた。 朝には、近くの89才になるTじいちゃんが亡くなり火葬に向かうじいちゃんをお見送りをした。 明るく快活な方で歌もうまく、昔のお祭りの納歌などをご指導いただいたり、冗談もうまく、人気者のじいちゃんでした。 敬老会や地域の集まりなどでは、会を盛り上げるのに欠かすことのできない貴重な人材でしたし、家族思いの強い方でした。 じいちゃんが西方浄土に旅立つのを皆がお見送りしたように空からも、地域からも多くのお見送りがあり、見事な紅葉、青空とこの上ない旅立ちであるかのようでした。 安らかにお眠りください。本当にありがとうございました。 そうしたことを思いながら、家の周囲を片付けるのにも、どこか気持ちの良い天気で孫たちも外に連れ出し、好天の中で思い思いに自由に遊んでいたし、息子は車のタイヤ交換と、冬の準備に忙しかったようです。 この後、昼食をとり、妻が習っているお茶の先生のところでのALTの方々との2回目のお茶会に呼ばれていたので、これの出かけお茶を美味しくいただいた。 アメリカからの6人のALTが日本文化のお茶を楽しんでおり、次は冬のお茶会が計画されておるようで、ぜひ参加させていただきたいと思っている。 そのあと、来年秋田で開催される29回目の国民文化祭のプレイベンとして「出羽(いでは)の国の昔っこ」が村の集会施設「ゆるるん」で開催され、開会式であいさつ、じっくりと聞かせてもらった。 村からは二人の昔語り、山形、福島、岩手からも三人の語り部からおいでいただき、聞きに来てくださった方々は、200名近くにもなったのではなかったでしょうか。実に内容の濃いプレイベントとなった。 一般参加者の方も含めた交流会では、東京、福島、神奈川、などからも40名を超える参加で大いに盛りあった。 開会式では、昔語りと、方言の大事さ、後世に残したい文化の一つに、昔語りと方言をぜひ残していきたいと申し上げた。 交流会では、そうした私の考えに、驚いたことに横浜から見えられた30代のご婦人んから、母親世代は方言をどちらかというと関心がないかもしれないし、恥ずかしいといった思いもあるようだが、私たち世代は、すごく関心があるし、「かっこいい」とおっしゃるんです。 しかもぜひ残して行きたいし、特に東北の方言は優しく、気持ちが良い、どこか包み込んでくれるようで大好きであるとのことでした。 ははーそうした思いの方もおられるんだなーとつくづく考えさせられたし、これは是非残すべき文化なんだなーと改めて感じたところでした。 羽後町、美郷町、秋田市などからも県内各地からもっと来ておられたんでしょうが、お話をしたかたがただけでも、こうした反応があるのですから、結構関心のある方々が多いように感じられた。 更には、昔語りの本の出版も企画してほしいとのご意見もあったし、方言の収集、DVD化なども計画しているが、これらの出版も将来的にはこの国文祭を期に検討することも大事なように感じた。

「時」をテーマに東中祭

東成瀬中学校の学校祭が、時永遠(ときとわ)  「感動の瞬間」「永遠の絆」のテーマの元、たくさんのご父兄を迎え、さらに折から村を訪問しておられた日本でもっとも美しい村連合の東北ブロック研修のお客さんも参加されての東中祭であった。 今回は、こうした方々ばかりか教育に関心のある方々はどんな学校祭になるのか結構関心があったように思われた。 合唱、全校ブラスバンド演奏、生徒会中心の運営など特徴がしっかりと発揮された学校祭であったように感じた。 ほかに椿川地区の秋のフェステバルがありそちらにも出席することとなり、全部を鑑賞できなく残念であったが、生徒たちのたくましく想像力あふれたイベントと企画には大きな拍手を送くりたいし、大いなる活躍と、前進を期待したいと思っている。 椿川地区では、落語家の桂三若さんを迎えての落語鑑賞と結構それぞれ工夫した地域活動を行っておりました。 大変結構なことです。 こうした形で、それぞれの団体、地域が自主的に活動を展開していただくことは何よりも好ましい姿であると考えている。

美しい村連合研修

日本で最も美しい村連合の加入団体の内地方自治体の加入が54団体に増加した。 順調に加入団体が増加しているようであり、好ましい傾向であると思っている。 基本的には、加入申請があると直ちに認められるものではなく、結構厳しい審査のうえでの加入承認でこのハードルをきっちりとクリアーしなければならないことは当然である。 更に5年に一度は再審査を経なければならない訳で、加入団体も神経を使っているところで、わが村も来年はその再審査の年にあたっており、どのような活動をしていくか、具体的に検討しなければならないと考えている。 ところで、この連盟では全国のブロックごとの組織化をして活動の活性化を図ろうとしており、東北ブロックでもその組織化のために、春に打ち合わせをし、組織化をすることにした。 その第1回目のブロック研修をわが村で10月19日20日の二日間にわたって行った。 東北ブロックでは7団体が加盟しており、その代表、地域の関係者約40名ほどが集まって、研修会とシンポジュームを行った。 講演では、日本で最も美しい村連合本部の資格審査委員の依田真美さんを講師に迎え講演していただいた。 本格的にこの運動に参加したのは新しいようですが、大学卒業以来外資系の投資会社勤務が長く、いろいろな調査活動の中でフランスなどの調査を通じて、この美しいい村連合の存在をしり、強い関心がもともとおありであったようで、その関係で北海道大学での研究室もあるようである。 そうした経験をもとに、すでにわが村にも何回か訪問していただいており、そうしたご自身の関心の深さと、その企業退社と同時にこの運動に参画しておられる方であった。 熱気ある講演で、熱い思いをこの運動にぶつけておられるようであった。 そのあと、村の鶴飼教育長から村の教育についての事例発表があり、私も事例発表を聞くのは初めて、とてもよくまとめられていた。 この後、7人のパネラーによるシンポジュウームが行われた。 内容は実に濃いものであり、予定時間を大幅にオーバーしてのシンポジュームで熱気ある内容となった。 一回目のブロック研修としては大成功であったと思っている。 この動きが全国組織での活動の活性化の一助なればこの上もない意義があるものと思っている。皆さん大変ご苦労様でした。 加工グループの皆さんの休憩時間のサービスもとても好評であったし、村内のパネル展示も素晴らしいものであった。 初めてめてきてくださって方々が、花いっぱい運動、きばなコスモス、ごみの散乱がなかったことなど、大変なお褒めの言葉やら、感想をいただきますますそうした面での努力の必要性を感じたところでした。  

決算審議を通じて

決算特別委員会を通じて感じたことの一つに、決算額の問題とは別に、その事業内容にふれられたことがあった。 一つは、道路整備促進同盟会の活動内容、動きなど具体的な内容にふれた質問であった。 こうしたことこそが、今後我々構成員が今後改善していくべき事業内容であり、決算特別委員会などで今後の方向などを真剣に議論をしていくべきものであり、重要であると感じた。 この同盟会は、県内であっても多くの同盟会組織があり、果たしてきた役割は大きいものと感じている。 それが、県をまたいでの組織となると、結構温度差があり、なかなか思うような活動にはなり得ない歯がゆさがある。 しかし、しかし現実には同盟会長の所在自治体の意向などが色濃く反映されるし、運営もその方向で進められるのが通常である。 当然のように、3.11大震災以降岩手県の沿岸部に対する復興整備は優先されている、従って、県境部に向けての整備は遅れがちであることは否めない事実である。 我々としては、それはそれとして県際観光を重視とする観点からの整備にはより力を入れていきたいところであり、引き続き強力に運動を展開する必要があるものと感じている。そうした観点からの議論を深めあい、行政、議会が一体となってこれまでも同盟会などに参加してきており、小さいことのように感じられるが、予算の多寡によることなく、本質的な議論の必要性を感じたところでした。 同じく、審議を通じて村が加入している「日本でもっとも美しい村連合」の運動展開で、職員の方々にもお願いし「まずは身の回りかの環境整備」からと言うことで、庁舎周辺の環境美化に取り組んでもらっているが、これが公共施設全般に及んでいないことが、図らずも今回の審議で明らかになった。 こうしたことも、もっともっと具体的に議論し合い、「それは行政のやること」から一歩踏み込んで、道路や路肩などの環境整備で、各集落の協力などの可能性を含めて議論していくべきものであるように感じた。 日本でもっとも美しい村連合というと、何かどこかよそ事のような感覚でとらえられ、あるいはそうした程度の関心しかないとするならば、折角、先人が築いてきた田子内橋、仙北道、緑の回廊という資産を、後世に残すべき責務を持っている我々の世代が、しかるべき機関に申請し、専門家による調査の結果、その団体加入が認めら、その運動に参加している意義がなんなのか?と疑問すらが浮かび、情けない思いでいっぱいである。 私自身その意義が周知徹底していないように思えて残念でならないし、改めてその意義を理解いただきこぞってこの運動に参加していただけるよう努力する必要性を感じたところでした。 そんな翌日の朝の雲は、孫が言うには「風雲」だそうです。そういわれてみれば、なんだか「風」を連想させるような雲でした。