私たちの地域の中核病院である雄勝中央病院の院長・中村正明先生が救急功労者表彰を受け、昨日その受賞祝賀会が開かれ、ご案内を受け出席した。
先生は、岩手県山田町のご出身で秋田大学医学部を昭和52年に卒業平成2年から雄勝中央病院外科部長として勤務、18年からは院長として地域医療特に外科学会の「環鳥海学会」を主催され、村のスキー場やホテル・ブランなども積極的にご利用いただいておられる方である。
一方で、医療制度改革では慢性的な医師不足に悩まされ続け、ちょうど市内から郊外に移転改築時期が重なり、移転した病院の一フロアの入院病床の閉鎖までも余儀なくされるという危機も乗り越えられた。
確かこの時期には、先生ご自身も体調を崩されかなりのご負担であっただろうと思いますが、今はすっかり回復され元気に日常の診察に当たっておられるようである。
私も、診療所の医師確保のためのご相談やら、緊急時の対策のためにその折々にご相談に乗っていただいておりこのたびの受賞をお祝い申し上げたところでした。
今回の受賞は、救急医療に取り組む中村先生の先導的な取組と湯沢・雄勝広域消防署との密接な連携と救急隊員の指導などの功績が認められたもので、秋田県では秋田組合病院の元院長・坂本先生に次ぐ二人目ということであるようです。
総務大臣表彰ということはなかなかないようで、それだけ権威のある表象ということが、来賓の祝辞から想定されたところでした。
この祝賀会は、湯沢・雄勝医師会、広域消防と病院の合同開催であったが、消防署の積極的な企画でドキュメンタリ映像など斬新なアイデアと企画で盛り上がっていました。
当然のことながら中村先生の奥様もご出席されていましたが、奥様にご挨拶をしたところ、先生から私のことも話があったようで、初めてお会いしたこととは思われないような話をしていただき、恐縮した次第でした。
奥様は外国語に堪能で、多くのサークルや外国人子女の日本語指導などのボランテア活動も積極的で、村の方々の中にもご指導いただいておられる方がたくさんいるようでありがたいことです。
今後ますますの先生ご夫妻のご活躍をご期待申し上げたいと存じます。
おめでとうございました。 救急功労表彰
私たちの地域の中核病院である雄勝中央病院の院長・中村正明先生が救急功労者表彰を受け、昨日その受賞祝賀会が開かれ、ご案内を受け出席した。
先生は、岩手県山田町のご出身で秋田大学医学部を昭和52年に卒業平成2年から雄勝中央病院外科部長として勤務、18年からは院長として地域医療特に外科学会の「環鳥海学会」を主催され、村のスキー場やホテル・ブランなども積極的にご利用いただいておられる方である。
一方で、医療制度改革では慢性的な医師不足に悩まされ続け、ちょうど市内から郊外に移転改築時期が重なり、移転した病院の一フロアの入院病床の閉鎖までも余儀なくされるという危機も乗り越えられた。
確かこの時期には、先生ご自身も体調を崩されかなりのご負担であっただろうと思いますが、今はすっかり回復され元気に日常の診察に当たっておられるようである。
私も、診療所の医師確保のためのご相談やら、緊急時の対策のためにその折々にご相談に乗っていただいておりこのたびの受賞をお祝い申し上げたところでした。
今回の受賞は、救急医療に取り組む中村先生の先導的な取組と湯沢・雄勝広域消防署との密接な連携と救急隊員の指導などの功績が認められたもので、秋田県では秋田組合病院の元院長・坂本先生に次ぐ二人目ということであるようです。
総務大臣表彰ということはなかなかないようで、それだけ権威のある表象ということが、来賓の祝辞から想定されたところでした。
この祝賀会は、湯沢・雄勝医師会、広域消防と病院の合同開催であったが、消防署の積極的な企画でドキュメンタリ映像など斬新なアイデアと企画で盛り上がっていました。
当然のことながら中村先生の奥様もご出席されていましたが、奥様にご挨拶をしたところ、先生から私のことも話があったようで、初めてお会いしたこととは思われないような話をしていただき、恐縮した次第でした。
奥様は外国語に堪能で、多くのサークルや外国人子女の日本語指導などのボランテア活動も積極的で、村の方々の中にもご指導いただいておられる方がたくさんいるようでありがたいことです。
今後ますますの先生ご夫妻のご活躍をご期待申し上げたいと存じます。
おめでとうございました。
村づくりのルールと参画と協働のシステムとして、村の自治の「基本ルール」を定める、つまり村の「良き家訓」を定めることにした鳥取県日吉津村を視察研修した。
石村長自らの説明と副村長を置かずに課長さん達から頑張ってもらっていること。
総務課に室を2つ設け集中的に調整企画をさせているとのことであった。
周囲を米子市に囲まれ、一方を日本海に面した、面積わずか4平方キロで、人口3,416人で何故この条例が制定されたのか?
それは、昭和の市町村合併での村を二分した賛否意見による顔が見えてしまう判断からではなく、住民投票による判断としたことのようであった。
直接的には、平成の合併で米子市からの合併呼びかけに対して、どう対応するかということもあり、単独村で行くことの、住民投票による結果で、自分たちで決めたことであるとする経過もあったようです。
では、どんなことを、住民投票の対象項目とするのかとなると具体的には特に定めておらない。
それは、当然のことであるようである。
つまり、村長としては 、住民投票に持ち込むような、行政運営をしないように努力しなければならない訳でり、市町村合併のような政治解決、最重要課題などのような大きな判断に限られてくるとのことであった。
そのためには、自治組織の自主性に大きな期待感があり、そのための行政運営には並々ならぬ配慮をしつつ支援しておられるようなてあった。
この意識が徹底しておるよで、7つの自治会とも、自分たちのことは自分達でやろうとする意気込みがあるなようであった。
これらに対しては、きめ細やかな支援がおこなわれているようでり、職員も配置し積極的に手伝っているとのことであった。
同時に、職員に対しては積極的にそれぞれの地域に顔を出すようにさせているし、村長自らも積極的に出るようにしているとのことであった。
自治会館などにも椅子とデーブルを配置して喜ばれているようであた。
揶揄的ではあるが、村長の考は、一に隣近所、二に、ボランティア、三に、消防、最後は村長がおればよいとの考え方もあるのではないかとのことであった。
一方、議会の考え方、意向はどうなのか関心があったが、はっきりとした意志表示はないようであり、どう判断してよいのかは、分からなかったのは残念であったし、村側からもはっきりとした話しはなかった。
議会改革や通年議会の取り組みもないようであった。
意義のある研修をした。
広島県境に近い島根県飯南町を視察した。
尾道・松江線の高速道開通による飯南町の発展性は厳しい環境下になることが予測されていたようで、このことは、高速交通体系の下ではどの地域でも大きな課題となっているように感じている。
その課題解決策としての小さな田舎(まち)からの「生命地域」宣言、〃いのち彩る里飯南町〃では、森林セラピーなどによる地域興しに取り組んでおられた。
石崎町長さんから町の概況をお聞きし、第3セクターのフロンテイア・あかぎ、の阿部社長(元特定郵便局長)から具体的な事業取り組みについての研修を受けた。
この話しで特筆すべきは町の総合振興計画に対して、第3セクターである「あかぎ」がどのように協力するかということと、何を成すべきかをしっかりと課題として、あるいは会社の方針として捉えていることであった。
町の91%が森林で、その資源を有効に活用し、通過型の観光客誘致から滞在型観光、健康、福祉、介護までも含めた森林セラピーを通した地域興しに取り組んでる行政運営はとても参考になった。
森林セラピーによる健康維持は大事であり、中長期的に渡る滞在を通して、収容能力は20人と少ないが、セラピストによる案 内とテレビなどはない清潔感一杯のホテル、地元の食材中心の食事などは、大変な好評で、広島県など都市部からの利用が倍増しているとのことであった。
この申し込みは、旅行業資格のある会社に一本化し、旅行プランから食事まで総てできる仕組みにしており、良い試みであると思った。
やまといもという特産品の生産取り組み、町の発展計画との整合性、協調性、高速交通体系からはずれた場合の考え方、次善対策等々大いに我々も参考にしなければならないと感じた視察研修であった。
スキー場とホテルプラン、栗駒山荘、焼石、栗駒、広大な森林資源、原生林、散策コースの設定、森林セラピーの育成、ガイドの養成とコース、案内の義務づけ、特産品としての、平良かぶ、トマトなどやれることはたくさんまだまだあると思った。
考えれば無尽にある資源を私達は持っていることを感じた視察でもあった。
セラピーは、人間の持っている五感のうち、70%は視覚を使っているそうで、目を閉じて、他の五感を活用し健康維持に活用することも、セラピーの一つであることをわずかな時間に感じた。
単純なのかな 
島根県で「島根博」が開かれている。
同時に過疎町村なども多い一方で地域起こしも積極的である、島根、鳥取を、視察地にして研修した。
初日は、羽田空港経由で出雲空港を起点にした。
先ずは、出雲大社を参拝、平成の遷宮を来年に控え、80億円をかけて本殿の改修工事中であった。
参拝の仕方を教えられたが、普通二礼ニ拍手一礼で参拝していたが、出雲大社では二礼四拍一礼であるとのこと。
初めてのことで、ちょっと面食らった。
平日とあって、参拝者も少なかったように感じた。
大観光地でありながら、こうした入り込み状況はどこでも同じ悩みを抱えているのでしょう。
島根博も財政難もあってかとても小規模な開催状況であった。
島根県は人口70万でこの状況を打破すべく、県民上げての活性化に取り組んでいるところてあった。
そうした活性化に向けた取り組みにかける県民の意気込みを、視察地で肌で感じることができた。
