長いフライト

image (長崎に出発) image (昨日成田に到着) デンバーから成田までおよそ9200kmのフライト、行くときは約10時間、帰りは偏西風の影響で向風、フライト時間は12時間、これは長い。 この間、いろいろと考える時間があって、それはそれでよかった。 今回の視察研修、交流について今後どうするかをじっくりと考えることができた。 今日からは、町村会の行政視察で長崎県と佐賀県を訪れての研修に参加する。 台風の影響でどうなるか心配だが、天気予報は大丈夫のようです。 デンバーでのメンバーとは羽田空港で別れた所である。

実り多い八日間

image image image image image image image image image デンバーでの交流は実に実り多い八日間となった。 最終日は全くの移動日となったが、時差が15時間と言うことで、このblogもなんだかとんちんかんの日付けになってしまっている。 移動日の前日は、ホームレスの方々への給食サービスのボランテア活動のあと日本人学校の生徒と父兄への日本文化の課外授業が行われた。 まず、館長の本間学さんから日本館での合気道が紹介された。礼儀に始まり、その由来、着けている袴など、更には収蔵されている日本の民俗資料などのいわれ、使い方等私も勉強になった。 次に、今回のテーマの一つである日本文化の「ぞうり」作りの実業がおこなわれた。 ワラの持ち込みが出来ないため、布切れを活用したぞうり作りには、凄い関心が示された。子供たちばかりでなく、親たちも初めてのことであったようで、一定の時間では出来ないため、予め準備した制作過程での最後の仕上げ部分だけでしかできなかったのは残念であった。約20足は父兄に、子供たちにはミニチュアのぞうりをプレゼントした。 このあと、二回目の押し花作りの実演を予定したが、時間的に無理で、一部を見せてプレゼントで終わったが、わーきれい!と感嘆の声が上がった。 日本人学校の子供たちの積極的な質問が多くその積極性には驚かされた。 こうして、今回の交流活動の全てが終わったのが午後2時過ぎで、それから昼食は本間館長の手作りのお茶漬け! 帰国準備をして、夜には、関係者との「DOMOサヨナラ」パーティ。市議会議長オルテガ女史、ホームステイ先のジョウジさん、小学校美術担当の教師、日本館の弟子達との交流など実に充実した日程となった。 今回参加した高校生達も、行ったときとは見違えるようになったように感じた。 積極的な英語での会話もしていたし、交流にも入っていた。 今後の日本館との交流再開に一つの見通しがついた感じがした。 形式的な交流とは別な形の、実態のある交流がより求められてくるのではないだろうか? その、きっかけ、糸口が見えて来たと感じたし、その具体的な準備に入ろうと長い飛行中にに考えた。 本間館長とは、最後に「出来ることからどんどんやりましょう」と話して別れた。 約50年前に単身でアメリカに渡り、車で移動し、その車が壊れた所で住み、活動を展開した本間氏には確固たる信念と哲学があり、一方で日本文化の大事さを持ち続けている人間性豊かな人格者を見るこどができた。

ホームレスへのボランテア

image image image image アメリカでは寄付行為が、社会活動の大きな事業となっているとのこと。 そうした活動の一環で、ホームレスへの食事サービス、ボランテア活動が継続して日本館で行っている。 その活動のためには、日本館の協力者や日本館の職員など大勢が約一時間の間に集中的にそれはそれは忙しい時間になった。 カレーライス、ビーフン・餃子スープ、パン、ケーキ、コーヒー、ジュースなど多彩なものでした。 我々7人も、前日からの準備、当日の給食に当たった。 サービスを受けた方々は300人を越えたようで、準備した食事が無くなってしまうような状況でした。 かなり緊張した時間となった。 ホームレスのかたがたの全てが、サンキューとしっかりとお礼の挨拶をしてくれました。 緊張したと同時に大変に充実した時間となった。

食事サービスの準備

image image image image image image image image 今日は明日からの食事サービスのボランテア活動準備に我々全員が、日本館の内弟子達と一緒に当たった。 人参、玉ねぎ、ジャガイモの皮むき、刻みで、普段やることのない仕事! ホームレスの人達に週一回提供する日本館の大事な事業。 特に日本館の食事には人気があって、300人分を準備する大がかりな作業。 この作業のあと、大型卸センターを見学、物価が高いと言っても、業務用の食品などすべてが揃うもので、米なんかも30kg2700円位であった。 全てが大がかりで、たまげてしまった。羊一頭が12000円、豚肉も15kg2700円位、買い方も半端でない買い方であった。 このあと、レッドロックに行ったが、年一回の円形劇場での野外コンサートがあり、残念ながら見学は叶わなかった。 レッドロックはガーデンオブゴッドと同じ赤い岩が特徴的でいかにもアメリカ大陸の中西部といった感じを強くした。 次にはアイダホスプリングスでの150年前に栄えたゴールドラッシュの街での当時の街並みと佇まいを存分に味会わせてもらったし、陽気なビール祭りにいきあわせ、路上でのジャズを楽しんだりとアメリカの雰囲気に触れる機会となった。 高校生達もかなり慣れてきて、日本館の内弟子達と英語での会話ているようで、その即応力を着けるために、現地での直接体験は貴重な経験になること請け合いであると感じた。

観光局を訪問

image image image image image image image (コロラド州議事堂) デンバー市の観光局を訪問し、観光交流についての意見交換をした。 観光局からは、デンバー市郡のテレック大窪常任理事とジエーンバック副社長がしてくれて、意見交換をした。 所管事業は128にも上る中で、2年前に成田からデンバー空港に直行便が運行されてから、飛躍的にデンバーへの観光交流が増加し、姉妹都市である高山市や、富山市、広島市等にもデンバーから観光客が増加している。 わが東成瀬についてはまだ理解不足の面があり、英文のウェブサイトでの紹介、村のイベントカレンダーなどが効果的であり求められることになるであろう。 これらは、早速出来ることであり、準備にはいる必要性をかんじたところでしたし、そのむね終わりの挨拶で申し上げたところその対応に喜んでおられた。 日本には多くの関心があり、これからも日本館を通しての交流が教育を含めて大事なことになることをしっかりと確認して参りたいとおもったところです。 予定の時間を大幅にオーバーしての意見交換であった。 このあと、デンバー市の博物館を見学、学校から歴史、原住民の生活を見学し、州の議事堂も見学した。 天候も聞いていた通りの暑さになり、スーツを着用しての訪問はさすがにきつかったが、真剣な話し合いと交流を今後に繋げていきたいものと強く感じた。