ミュージカル「 小野小町」

わらび座で「小野小町」のミュージカル初日公演が25日から始まった。 脚本が内館牧子さんであり、普段から秋田魁新報の寄稿を必ず読ませてもらっているし、どんな「小野小町像」が演出されるのか、内館さんの考える歴史上の絶世の美人、秋田美人の原点とも言われる人物がどう描かれ、歌人としての小町、教養豊かな小町がどのようにして育ったのか、出羽の国から京に上り、帝の寵愛を受ける迄になったのかが、どのようなストーリーで進むのか非常に関心があった。 約2時間、休憩も入らず、一気に舞台は進み、私は小野小町の全体像も、人物像も考えてみると何の知識もなかったことに気づいた。 もちろん、古今和歌集の六歌仙の歌人の一人として、いろいろな場面で必ず紹介されていたので少しは理解していたぐらいであった。 それが今回のミュージカルで「花のいろはうつにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」を詠んだ小町が晩年になって「我死なば焼くな埋むな野に捨てて 痩せたる犬の腹を肥やせよ」と呼んでいたことを知り、その激しかったであろう京での短くも燃えるような生涯と達観し尽くしたような心の変遷を今回のミュージカルで知ることができ、しかもその人となりが見事に演出され、全体像が理解できて、とても楽しいものになった。 その生い立ち、京に上ることになったいきさつ、京でのめまぐるしく変わる生活と環境、その後の出羽の国、雄勝に帰ってから、92歳までその地で暮らしたといわれていることなど、実にわかりやすい構成となっていた。 もちろん、この構成などには全国の多くの地域で小町ゆかりの地があるように、異論もあるようでありましょうが、脚本を担当した内館さんの豊富な資料収集によったものであり、私たちはそれはそれとして理解してよいとも思っている。 初日公演には、内館さんも見えられ、フィナーレであいさつをされていた。 どんなミュージカルになるのかどきどきハラハラの2時間であったが、幕が下りとほっとしたし、素晴らしい演劇であり、構成であった、と脚本家としても満足しておられたようでした。 京の都から見た出羽の国(蝦夷の国)という地方蔑視、、女性に対する偏見に敢然として立ち向かう小野小町像が見事に描かれていたものと思った。 それはとりもなおさず、現代の地方に対する考え方、見方と同時に、女性に対する偏見などに対する作者の強烈な考え方でもあるように感じた。 いつの時代も女性は強い、強くなければならないのでしょう! 小野小町とその母親「大町子」の熱演が輝いていたし、作者の心が写っていたように感じた。

縄文土器完成

祖父母と孫たちが共同で作った土器が自然乾燥した後から焼き上げて見事な土器が完成した。 素晴らしい色合いの土器で、家に持ち帰って、母親は花を生ける花器にしたというし、私は水差しにして使うといっていたら、どうやらどちらも、孫の反対にあって無理であった。 つまるところ、水を入れると時間経過してから自然に水が漏れるとのこと。 砂を使っていないし、あくまでも土器の形づくりをしたわけで、そうした使い方をするためのものではないことが分かった。 考えてみればその通りであり、しっかりと飾っておくことにしよう。 この、土器つくりの際に天候の都合で実現しなかった、石器発掘作業を経験したようですが、何点かの石器などを発掘して大喜びで、その様子を帰ったらさっそく報告してくれた。 とてもうれしそうで、いい経験をしたようです。 正しく縄文ロマン事業であり、子供たちの夢も広がったことでしょう。

熱い思いは強く

道路アクセスの整備を求めて結成されている道路整備同盟会はたくさんある。 そんな同盟会の大半は、公的な同盟会が中心であり、民間が主導しての同盟会は極めて珍しい。 その一つに、県道、横手・東成瀬線の整備促進期成同盟会の総会が開かれた。 もともと、旧横手市十文字町から岩手県一関市に通じる国道342号線であったが、国道397号線が同じく十文字から水沢市に通じる路線と一部重複し、この両路線整備の優先整備のためを考慮して路線を変更せざるを得なくなり、横手市山内村を通る路線を、県道横手東成瀬線としたことにより、その沿線住民である横手市山内村三又地区と東成瀬村岩川地区の住民が立ち上がり、その整備促進に同盟会を自主的に立ち上げた。 これに、横手市と東成瀬村が参加しこの同盟会が結成された。 これが昭和55年代で、この整備に部分改良ながら少しずつ地域住民の要望にこたえる形で、秋田県による整備が進んだ。 しかし、同盟会の最終目的は通年通行であり、現路線は標高、除雪対策、維持管理などの面から極めて厳しい環境にある。 そのために調査が必要ということで、厳冬期を含め4回にわたり秋田県、横手市、東成瀬村の職員による冬季の現地調査が実施された。 片道4時間以上もかけての腰までの雪をかき分けてラッセルをしての調査は厳しかったのであるが、問題点がわかり、路線変更を含めて今後具体的な対応策が見えてきたような感じがしている。 部分改良を含め、今後の具体的な方向を県議会の方々とのご指導をいただきながら進めてまいりたいと考えている。 総会後の交流会でもそうしたことを含めて活発な話題が提起され、盛り上がった総会となった。 岩井川、三又地区は古くから交流があり、お寺さんの檀家など結びつきの強い地区で、この同盟会の絆は切れることなく続くであろうし、同盟会も通年通行の目的完遂までは途切れることはないであろうと思われる。 そんな思いのする同盟会の総会であった。  

秋色かすかに

お盆が過ぎると、私たちの周囲にもかすかな変化が日に日に感じられてくる。 暦でもそうですが、今日は「処暑」、夏の暑さが和らぎ、暑さの峠を越える頃で、萩の花も咲きだす頃、そう言えば、先日の朝の散歩でその花を見かけた、そんな24節気での一つであるそうですが、まさしく暦通りの天候になりつつある。 一方で、東日本、西日本では暑さが続き、雨のほしい地域や、ダムの水も干上がり、取水制限など厳しい状況であるようです。 先日帰省した息子の住む、沖縄那覇も連日30度を越しておるばかりか、もう台風12号が発生近づいているとの情報に気を病んでもいる。孫たちも暑いだろうなどと。 こちらの孫も夏休みも終わりに近づき、宿題の仕上げが大忙し。 そんな朝、空にも微妙な変化があり、雲の変化を見るのもまた楽しいひと時である。  

路傍の草花

  散歩の途中で見かける草花をよく見ると、それぞれに特徴があって楽しいものである。 そのためにもじっくりと眺めることがとても大事であり、観察能力、草花に対する知識もなければならない。 当然のことながら、図鑑などに親しみ、普段からそうしたたしなみと、関心を持っていなければならないし、何よりも、散歩だからと言ってむやみにただ単に歩くのでは、とてもとてもそうした草花の名前などや特徴をつかむことは無理である。 そういったことで、自分の無能ぶりを弁解みたいにしているのが情けない。 どうしてそうしたことを言っているかと言えば、自分の息子たちにはそうしたことには、ほとんどかまってやれなかったし、一緒に散歩などと言うことはなかったこともあり、何か質問をされても、うるさいぐらいで片付けてきたような気がする。 それが今、孫が散歩についてくるようになり、あれこれ質問されても答えることができない! これは問題である。 とにかく気象のこと、草花のこと、動物、昆虫などなど、ものすごい範囲での質問にネットで調べたり懸命にやっては見るものの、こと路傍にある草花は調べようにもとてもとても無理である。 しかもそれが、雑草であったりもするものですから、これは大変である。 昭和天皇は、植物研究の大家であられたようですが、雑草であっても「名前のないものはない」、とのことであり、さてこれからどうするか? とりあえずは、そうした路傍の草花を県内の植物研究家が発行している植物図鑑などがないのかを探してみたいと思う。 これは気の遠くなうような話でもあるが、まーじっくりとやってみようと思う。 一番いいのは、知り合いの方の自然観察会への参加や詳しい方からお聞きするのもいいでしょうが、時間もあり(またまた言い訳めいている)、とりあえずそうした本があるのかないのかから始めよう。