カテゴリー別アーカイブ: 政策

村制施行125周年

        image 1989年に村制施行100周年記念式典を行ってから今年は更に25年を経過し、この間多くの激しくも厳しい荒波をのりこえてきたことになる。 この世代に生きる村の方々と、来し方に思いを致し、新たな時代に向けて強い意志で村づくりをしていただくために、125周年記念式典を行った。 この式典に先立って、タイムカプセル「未来号Ⅱ」の埋設式がふるさと館前で行われた。 1989年に埋設した村民の夢や希望、思いのメッセージが入ったカプセルを2039年に開披する時に、125周年の今年も入れて同時に開披しようと考えて計画したものです。 村制施行100周年を記念して編成された成瀬仙人太鼓の初演奏局曲の演奏と東成瀬小中学校の児童生徒による「悠久の風にのせて」によっての力強い歌声が大地にしっかりと溶け込み、新たなタイムカプセルに夢と希望がしっかりと埋め込まれた。 2039年にはどんな形で、開披されるのか、ドキドキして来る。 その頃、村はどうなっているだろうか? 私は?あなたは?もしかして生きている?ヤメテヨ!と言われるかも! 逆らって?市町村合併しなかったという意見もあるが、決してそうではなく、しっかりと村民の意志を大事にした結果であることがどんな評価されるのか? 歴史として結果が示されていることでしょう。 この後、式典が行われ、作家の石川好さんによる、地域をどう発展させるのかと題しての講演があった。 具体的な提言も頂き、とにかく何でも活用しよう、ありきたりではなく、特異性を発揮し、発信ではなく、交流によって色々な意見、考えを取り込んで行くことによって、活路は開ける!と理解した。 そのためにはお手伝いをしていただけるとのこと! 大いにご協力いただこうと思う。

活発な地域おこし

        山村振興の東北・北海道ブロック研修の二日目は、青森県の田舎館村の「田んぼアート」を視察、21回目になるそうで始めた当初は全く関心がなかったようであるが、なぜ田んぼアートなのか?日本に稲作が九州に入ってから約2、100年前それから400年後に、この津軽平野の山もなければ海もない、平野に稲作が根付いたことに由来するようであり、その後大洪水によりすべての田んぼが流され残るは、男女の足跡のみの遺跡が発見された。 九種類のイネの苗を専門の農家に植えてもらい、見事なアートとして完成されていた、始めた当初は平面的であったようであるが、城郭に見立てられた役場庁舎に展望台が作られ、遠近法による作付けが絵画の先生の指導により行われ、視察者も増え続け、展望台に上るには、混むときは1、2時間待ちといった状況になった、その対策に苦慮しているようであった。現在は入場者から一人当たり1,000円を落としてもらうために食事やらお土産やらといろいろ考えているとのこと、それだけで、20万人の入場者ですから2億円!すごいことです。 次には何を考えられるんだろうと思ってしまった。また言ってみたいところです。どう変わっているか!今年の作品は、梅沢富富夫さんに町長がお会いした際に花魁姿を参考にすることをご了解していただいたとのことで、傑作であるようです。もう一つはハリウッドスターであるが、その名前を使うと何か問題があるようでそうした名称にしているとのことであった。とにかく、秋田青森が豪雨でその一瞬の晴れ間の視察はとてもきれいで鮮やかであった。第二展示場には、「ウルトラマン」が車から見ることができた。 次の視察地、板柳町では青森県がリンゴ生産の約60%を占める中で第5位に位置しながら病害虫や災害などで生産が大きく減少し危機的状況の中で、林檎に変わる町おこしの方向を探るるために、7人の職員を全国に1年間調査派遣をして探った結果、結論は「リンゴ生産」にやはりかけるべきであるとのことから、リンゴの研究施設、二次加工生産、工業製品など総合的な総額22億円による施設整備により大きく変革をしている様子を視察をした。 町長のリーダーシップで次々に打ち出される施策を着実に実行している様子がうかがえた。 青森での視察コースの一つになっているようである。県を挙げての支援も集中的で効果的なものがった。 国の省庁の方々の事務担当者とも十分に話し合うこともできたし、今後のつながりを大事にしたいし、地域おこしの発想の転換、確認、ある意味での開きなおりも重要であるように感じた。 田舎館村の役場庁舎は青森県では最も豪華だそうですし、板柳町のふるさとセンター(写真)を中心とした整備は集中的で周辺には宿泊施設、温泉付きコテージなどお土産、食事、体験施設など集中的に整備されていた。 ところで、食事は必ずそのたびごとに夏でも貝焼き鍋がついていた。暑いのにです。面白いものです。これも食文化かな?

山村振興を話し合う

image image image image 指定山村の振興対策について、制度活用と制度の充実などを政府の担当と東北・北海道の指定山村の代表が意見交換しあう研修会が青森市で行われた。 毎年行われている会合で、今年は、各省庁の縦割り制度ではなく、総合的なパッケージとしての制度化が強く求められたことが大きな特徴であった。 これは、縦割りの各省庁個別対策行政からトータルな山村地域対策を求めるある意味では、かなり踏み込んだ意見が具体的な形として表れたものと考えている。 それはそれとして、各省庁の担当と当面する対策について、具体的な話し合う機会でもあり、それはそれとして意義があるものと考えている。 それにしても、各省庁とも沢山の制度があるものであると思った。 それを活用しないてはありません。 この前の理事会で提案したNHK第一ラジオ放送難視聴対策を再度申し入れたところ、中谷会長が急遽要望を指示し、一歩前進したように感じた。

小さな集落こそ大事

                              国文祭のPRにスギッチが来てくれた。 部屋にあいさつに来てくれる直前に毎年ではあるが、この時期私の部屋に「オニヤンマ」(私の地域では「ヤマアケズ」という、その語源はわからない?)が毎日のように飛び込んでくる。そのアケズを捕まえようと必死になっていたところでしたが、昔取った杵柄?、うまい具合に捕まえた。早速糸をもらい飛ばして遊べるようにして持ち帰ることにした。 ついでに、スギッチの胸につけてやった。 この暑いのに本当にご苦労さん!聞くとあいさつを言葉にしては基本的にはいけないんだそうで、本当に済まいないような気がする。 あまり堅いことを言わないで、自由に喋れるスギッチでもいいのではないだろうか? 記念写真のバックにする幕も持参!しかもこれが優れ物! 早速、わが方でも取り入れてほしいと言ったところでした。 そのあと、村の集落会館の竣工祝賀会に出掛けた。 小さな、それこそ12戸ぐらいの地域でありながら、皆が集まってのコミニュテー活動の中心施設として整備要望があり、その必要性を感じており、いろいろな整備手法と合わせて村単独の制度とを組み合わせて実施している。今回これに沿ってわずかではあるが住民負担も求めしかも住民の自主的運営をしっかりと確認しての完工となった。 どちらかと言うと、大きな規模集落は公共で整備ができるし、運営もほとんど公的な施設運運営が可能であるにもかかわらず、こうした地域集落は、負担が求められたり、運営も自主運営が、つまり住民負担がある訳で、これは本質的には無理があるのではないかとの考えから、村としては積極的に支援していく必要性を感じて、取り入れている制度である。 その喜びの祝賀会が、何と正午開始となった。 集落からは全員、しかも二人ぐらいの参加と、ご婦人がたの手作りの料理、若い世代も6人も参加しての盛り上がりぶりで、真昼間からの祝宴も賑やかなものでした。 この施設を利用して、冬期などは留守番役の方々の集まりの場にし、午後からは学校や保育園からの帰りの子供たちの集合の場、迎えの場所、老人と子供の語らいの場、等無限に広がる場として活用してほしいと願っている。 若い連中は私も野球やスキーで一緒だったものですから、しっかりと地域活動を頑張るように気合をかけてきた。

村の花「やまゆり」

どうも梅雨空が続くばかりで、当然見たいに雨が多い。 そのせいか、山々の緑も濃くなってきているし、田んぼの濃さも一段と強くなってきている、もちろん雑草もすごい勢いである。 昨日は、米寿のお祝いと出生祝い金をお届けに回った。 今回は4月から6月までの対象者にお届けをしたところでした。 出生者が3名でしかも2名が第3子でもう一人は第2子であった。 特に統計を取っているわけではありませんが、最近は1子のみや2子までといったような雰囲気ではなく、第3子を持つ若い親たちが増えているように感じられる。 たまたま、そうした話をしながらお祝いをさせてもらっているが、秋田県内の自治体で昨年1年間の人口増減についてのニュースが朝のニュースで報じられていたことを皆さん見ておられたようで話も弾みましたし、県内では3自治体しか増加はなかったようです。 そんな中で出生者がこうした形として第3子までもつようになったことはうれしい限りです。 若いお母さん方からは、子育て環境に配慮してもらってうれしいし、助かるといわれるととてもうれしいものです。 米寿の方は2名でしたが、やはり元気で、昔話などをしながら思い出話しをしながらお茶をいただき、かってお世話になった元村長さんの写真に手を合わせさせてもらいました。 そんな話の中で、田んぼでは出穂がちらほら見えてきた話もありました。もうそんな時期になったんです。 村内を回って今年は、特に村の花である「山ゆり」が目に付くような気がしている。 ワラビ畑や山沿いのあちこちに、白い花が多く見受けられるようになって来た。この根っこを食用にしていた時代もあったし、現在もご家庭によっては、いろいろな料理に使われる家庭もあることでしょう。 これを元村長が活用しようといろいろ提案し、増殖しようとしてある程度増えると、ごっそりと持っていかれてしまい、なかなかうまくいかなかったが、今度は何とかうまく増やす方法を考えてみたいものですし、それを活用した調理法も検討勉強したらどうだろうかと思っている。 ユリの根っ子も結構重なっていてたくさん増える。子供もたくさん生まれればいいですよねー。