カテゴリー別アーカイブ: 地域興し

活発な地域おこし

        山村振興の東北・北海道ブロック研修の二日目は、青森県の田舎館村の「田んぼアート」を視察、21回目になるそうで始めた当初は全く関心がなかったようであるが、なぜ田んぼアートなのか?日本に稲作が九州に入ってから約2、100年前それから400年後に、この津軽平野の山もなければ海もない、平野に稲作が根付いたことに由来するようであり、その後大洪水によりすべての田んぼが流され残るは、男女の足跡のみの遺跡が発見された。 九種類のイネの苗を専門の農家に植えてもらい、見事なアートとして完成されていた、始めた当初は平面的であったようであるが、城郭に見立てられた役場庁舎に展望台が作られ、遠近法による作付けが絵画の先生の指導により行われ、視察者も増え続け、展望台に上るには、混むときは1、2時間待ちといった状況になった、その対策に苦慮しているようであった。現在は入場者から一人当たり1,000円を落としてもらうために食事やらお土産やらといろいろ考えているとのこと、それだけで、20万人の入場者ですから2億円!すごいことです。 次には何を考えられるんだろうと思ってしまった。また言ってみたいところです。どう変わっているか!今年の作品は、梅沢富富夫さんに町長がお会いした際に花魁姿を参考にすることをご了解していただいたとのことで、傑作であるようです。もう一つはハリウッドスターであるが、その名前を使うと何か問題があるようでそうした名称にしているとのことであった。とにかく、秋田青森が豪雨でその一瞬の晴れ間の視察はとてもきれいで鮮やかであった。第二展示場には、「ウルトラマン」が車から見ることができた。 次の視察地、板柳町では青森県がリンゴ生産の約60%を占める中で第5位に位置しながら病害虫や災害などで生産が大きく減少し危機的状況の中で、林檎に変わる町おこしの方向を探るるために、7人の職員を全国に1年間調査派遣をして探った結果、結論は「リンゴ生産」にやはりかけるべきであるとのことから、リンゴの研究施設、二次加工生産、工業製品など総合的な総額22億円による施設整備により大きく変革をしている様子を視察をした。 町長のリーダーシップで次々に打ち出される施策を着実に実行している様子がうかがえた。 青森での視察コースの一つになっているようである。県を挙げての支援も集中的で効果的なものがった。 国の省庁の方々の事務担当者とも十分に話し合うこともできたし、今後のつながりを大事にしたいし、地域おこしの発想の転換、確認、ある意味での開きなおりも重要であるように感じた。 田舎館村の役場庁舎は青森県では最も豪華だそうですし、板柳町のふるさとセンター(写真)を中心とした整備は集中的で周辺には宿泊施設、温泉付きコテージなどお土産、食事、体験施設など集中的に整備されていた。 ところで、食事は必ずそのたびごとに夏でも貝焼き鍋がついていた。暑いのにです。面白いものです。これも食文化かな?

小さな集落こそ大事

                              国文祭のPRにスギッチが来てくれた。 部屋にあいさつに来てくれる直前に毎年ではあるが、この時期私の部屋に「オニヤンマ」(私の地域では「ヤマアケズ」という、その語源はわからない?)が毎日のように飛び込んでくる。そのアケズを捕まえようと必死になっていたところでしたが、昔取った杵柄?、うまい具合に捕まえた。早速糸をもらい飛ばして遊べるようにして持ち帰ることにした。 ついでに、スギッチの胸につけてやった。 この暑いのに本当にご苦労さん!聞くとあいさつを言葉にしては基本的にはいけないんだそうで、本当に済まいないような気がする。 あまり堅いことを言わないで、自由に喋れるスギッチでもいいのではないだろうか? 記念写真のバックにする幕も持参!しかもこれが優れ物! 早速、わが方でも取り入れてほしいと言ったところでした。 そのあと、村の集落会館の竣工祝賀会に出掛けた。 小さな、それこそ12戸ぐらいの地域でありながら、皆が集まってのコミニュテー活動の中心施設として整備要望があり、その必要性を感じており、いろいろな整備手法と合わせて村単独の制度とを組み合わせて実施している。今回これに沿ってわずかではあるが住民負担も求めしかも住民の自主的運営をしっかりと確認しての完工となった。 どちらかと言うと、大きな規模集落は公共で整備ができるし、運営もほとんど公的な施設運運営が可能であるにもかかわらず、こうした地域集落は、負担が求められたり、運営も自主運営が、つまり住民負担がある訳で、これは本質的には無理があるのではないかとの考えから、村としては積極的に支援していく必要性を感じて、取り入れている制度である。 その喜びの祝賀会が、何と正午開始となった。 集落からは全員、しかも二人ぐらいの参加と、ご婦人がたの手作りの料理、若い世代も6人も参加しての盛り上がりぶりで、真昼間からの祝宴も賑やかなものでした。 この施設を利用して、冬期などは留守番役の方々の集まりの場にし、午後からは学校や保育園からの帰りの子供たちの集合の場、迎えの場所、老人と子供の語らいの場、等無限に広がる場として活用してほしいと願っている。 若い連中は私も野球やスキーで一緒だったものですから、しっかりと地域活動を頑張るように気合をかけてきた。

県際の道路整備

国道342号線整備促進同盟会(会長・勝部修 一関市長)の総会が一関市で行われ出席した。 会長のあいさつで、特に強調されていたのがそれぞれの県境に位置する地域を通過するこうした三桁国道の整備が極めて遅れていることを危惧し、積極的にその整備に努めたいし、運動を展開していきたい。 県境にある道路は、観光道路であり災害時における物資輸送の有力なルートとしてすでに、3・11大震災でも話題に上ったこともあり、今後ますますその重要性が地域のみならず、地方全体にも波及することから遅れを取り戻す意味からも頑張らなければならないと感じた。 もともと県際道路の重要性については、観光面からもわたくし自身かなり強調してきていたことから、思いが一致して力強く感じた次第でした。  

理解できない論調

新聞報道などのマスコミ報道を我々は、確実な情報のもとにしっかりとした根拠のもとで我々国民に真実を知らせ教えてくれるものと思っている。 また、そうでなければならないと思っている。 その論調にもそれぞれの考えがあって記事になることであろうが、読む側に立って言えば必ずしもそうではないこともあるように感じることもある。 あれ!それってちょっとニュアンスが違うんじゃないの。どうしてそうしたことになるのと思われることもある。 例えば、公共事業の在り方一つをとっても、インフラが整備が進み、ほとんど公共交通機関によって日常生活を享受できている都市生活者と、今なお年間の約6か月間隣県との交流が全く途絶されている地域や、新幹線、空港とも縁のない地域、さらには河川であってもその流域の内、堤防が整備されている延長がごくわずかで、常に洪水の危険にさらされている河川が今なお残されている実態などをご存じなのだろうか?この夏、このところの雨で何とか一息ついたところであるが、穀倉地帯の水不足は深刻であったことなど、そうした農家や地方の国民の苦しみや悩みについてはほとんど触れられてはおらない現実もあるように思っている。 我々の地域は、そんな地域事情を抱えながらも懸命に努力をし協力し合いながら我慢し、地方の役割を担ってきているし、公共事業によるそうした地域格差是正、生活環境の整備を求めて来たところである。 やっと、東北中央自動車道の山形県境と秋田県境区間が調査事業に入る見込みとなったようで大喜びをしているところである。やっとです! ダム事業であっても、長年、それこそ半世紀以上にもわたって、流域の住民が治水、利水の両面からその必要性を強く訴えてきた結果として、約3年間の検証作業を終えて、継続事業として機関決定される方向となった。 この夏ばかりでなく、これまで流域の住民がどれほど水道水などを切望してきたことか。一方で常に雨が降るたびごとに洪水の危険性にさらされ、その都度対策をとってきた。 雨が降らなければ、水田や畑地の農作物被害が懸念され、争いにまでなったことがある現実、その結果としての成瀬ダム建設の必要性が求められてきたところです。 ダムなど河川事業の多くは流域全体の問題であり、氾濫から灌漑用水、水道水などその多くは下流域、中流域などでの強い要望と必要性があるわけで、そうした地域住民の声はより多く取り上げられるべきであるがどうしたわけか、そうした需要の多い流域住民の声が出ないのは不思議であってならない。 上、中、下下流域のすべてにかかわるこうした大きな課題は、全体的にとらえられるべきであり、そうした傾向にないのは残念でならない。 言ってみれば、真に必要な水需要の多い住民の声が報道などに出てこない不思議さがどうしたことだろうか? 我々は、中下流域の方々のためにも、我々の役割として、流域全体の均衡ある発展、安全な生活維持のために懸命に協力し合っているのです。 そのための水供給の役割を果たしているものと考えている。 従って、こうした事業は、そこに住む人間にとって必要だからその対策を国に求めてきたのです。 人口減少は、公共事業投資のためにそうなるのでしょうか?どんな関連性があるのでしょうか?人口が減少するから公共事業は必要ないとでも言えるのだろうか?理解できません。 教育予算については、国レベルでの教育予算については言及はしませんが、我々としてはよそ様から如何なものかとのご意見をいただくようなことはしておらないつもりですし、ご意見をいただきながらしっかりと対応していると考えています。 もちろん、批判をあびている公共事業と称される事業は、それこそ報道などで知る限りあるようで、大きな怒りを覚えることも事実ですが、そうしたことと、地方が真に求めている公共事業とをごっちゃまぜにはしてほしくないし、そうした論調には理解できないのが正直な気持ちであるし、複雑な思いでいっぱいであると同時に、何か悲しいものがるのも正直な気持ちである。 今朝の成瀬川は、昨夜来の雨で水嵩を増しながらも、流域の方々のための役割りを果たしているのだといった自負心でもあるかのように水しぶきを上げて流れていました。 人間たちよしっかりせよ!協力し合ってこそこの川はあるのだぞと言っているようでもありました。    

地方財政の方向

image image image 昨日は大きな行事が二つあった。 まず、菅官房長官の政談演説会が湯沢市文化会館で行われた。 月曜日と言うのに、会場は満席状態で恐らく1000人を超える聴衆であったと思われる。 私は、こんな政談演説会を経験したことがないくらいであった。官房長官はこの直前に母校湯沢高校で後輩に講演をしてくれたそうで、若い後輩達も良い経験、今後の励みになったことでしょう。自らの経験、悩み迷いを糧に、現在の自分があることを紹介し、大いに悩み迷い、それを乗り越えてほしいと言った要旨であったそうです。 政談演説会では、毎日午前と午後記者会見をこなしておられ、淡々とした話しっぷりである中で、強い信念を感じる会見態度には安心感を覚える。 ご自分が師ともされておられる故梶山静六官房長官を越えるのではないかともいわれておるようである。 演説内容は、流石に辻立ちで鍛え上げた演説で、誠に説得力のある話で、分かりやすく、好感度の高い内容であった。 記者会見と全く同じ雰囲気で聞くことができた。 第一、悪口が全くない!これは聞きやすい。ある程度の批判はやむを得ないがそれも程度問題であることからすると、とても素晴らしかった。 ご自身の選挙で負けたことがないそうで、この演説では、さもありなん!納得である。 会場には93才になられるお母さんも姿を見せておられた。少しお話しをする機会があったので、なかなか話すこともないでしょう?とお聞きしたら、わざわざ行ってもなかなかゆっくりと話すことがないとのこと、今回も、チョピットと言って、親指と人差し指で表現してくれました。 私は 午後の日程もあり、大変残念でしたが、途中退席をして失礼しました。 今回の選挙はしっかりと応募しなければならないと思っている。 官房長官は就任6箇月にしてやっとのことで、ふるさとに錦を飾ったことになり、お母さんもさぞかし嬉しかったことでしょうし、同級生の皆さん、関係者の皆さんも頑張りがいが有ったと思う。 官房長官は、総務相のときもごく気安くお会いしていただき有りがたかったし、今回もまた 全く変わりなく声をかけてくださり、ありがたい限りです。 image image image 午後からは、町村会の研修会で総務省自治財政局長佐藤文俊氏を講師に迎え「地方財政と自治体運営」の講演を聞いた。 専門的な話しながら、国と地方の関係、つまり経済財政と地方財政のあり方を分かりやすく解説してくれました。 約1時間でしたが、あっという間の時間でしたが、こんな事もあまりないくらいの、内容の濃いものであり、良く理解できた。 それは、局長の話す内容と姿勢が地方を理解しての話しであるからであるように感じた。 この姿勢は、私も参考にしなければならないと思った。 地方財政の改革に向けてと題して、「地方財政を健全化し、自立を促進する」ために、現状を分析、わかりやすかった! 次に、今後の取り組み方針では、アプローチ1から3までが具体的に示された。 特に、頑張る地方の支援では、行革と成果などかなり具体的な内容にふれていただき、良く理解できた。 この項では、とかくすると、市町村合併促進に基づく対応があるように感じていたが、そうではなく、未合併自治体に対しても一定の深い理解があることがわかりましたし、合併自治体の算定替え問題も、特定した制度ではなく、トータルで考えた改革方向であることにある意味、ホットしたし、信頼感ができた。本来の姿勢であったのでしょう。 この支援のあり方では、行革努力と活性化の成果算定に指標導入をすることなど具体的でそれこそ頑張りがいがあるように感じた。 質疑応答でも、国保運営の一本化でも、私が危惧している国保運営と税負担能力などにもしっかりと問題点としてあることも理解されておられた。 何よりも、全体を通して、平成の大合併以降、多くの場面で理解しにくい政策であったように感じていたのか、必ずしもそうではなかったように感じた。 しっかりと、小規模自治体にもそれなりの理由があっての合併が出来なかったことであり、懸命に頑張っておることに対し深くしっかりと理解していてくれていることにありがたい感じであった。 充実した一日であった。