カテゴリー別アーカイブ: 芸術・文化

光のページエントとガラス工芸

image image image image 松島にある藤田喬平美術館を初めて観覧。 その不思議な彩りに時間を忘れて見とれてしまった。 作品の制作状況もビデオ鑑賞したが、大変な工程を、ガラス職人と共に完成させる一体感は他の芸術にもあるのだろうか? 長男の作品も展示されており、親子での工芸作家は珍しいのかなとも感じた。 所々にある藤田喬平語録はユウモアに溢れ、とても読み応えのあるものでした。 そのあと、一度みたいと思っていた仙台の光のページエントの点灯の瞬間を見に行った。 生憎の小雨模様であったが、点灯の瞬間の一斉に上がった歓声ともどよめきとも言える雰囲気はさすがであった。 始まった頃よりは、景気の影響もあり、規模はかなり小さくなったとのこと。 それでも始めてみる私からすると規模はさすがに、大きいものでした。 仙台であっても復興景気とか言われてはいるが、こうしたイベントに対する寄付金も少ないということは、景気がここであっても及んでいないことの証左であることょうか?

国文祭閉会

10月4日から始まった国民文化祭が昨日で全日程を終えて閉会式を行って閉会、来年度の開催県である鹿児島県副知事に大会旗が引き継がれた。 来年は10月31日から16日間鹿児島県南北600キロの県土の全市町村で行われる計画で、かなり計画的に意欲的に取り組んでいる様子がうかがわれた。 奄美諸島から、めでたいときに歌われる朝花歌の歌人(うたにん)と伴奏者が来て懸命に歌やら紹介をされていた。 歌が聞くことのない発声でとても素晴らしく行ってみたいと思った。 閉会式のアトラクションは、ミュージカル「未来への架け橋」で、36人の応募者による演技に、県内の高校生による賛助出演で県民会館が満席となる大盛会てあった。 9月頃までは大丈夫かと心配されたが見事にやり遂げましたし、会期がちょっと長かったかなと思う反面、これで良かったのだろうという思いとが、あい半ばしているような感じでもある。 閉会前の土崎港の神明社の山車は圧巻だったなー!

遠藤堰の歴史

私の地域の重要な水利である「遠藤堰」の歴史についてはほとんど知られていない。 史実としてあるのは、地域の鎮守様である「岩井川神社」の御神体とされている銅版に遠藤氏の名前があるのみで、それ以外は、口承で遠藤堰を開削したと伝えられているのみであるようだ。 それが、岩井川部落長が秋田県の移動歴史研修かなんかで偶然手掛かりを得て、講師である元県立図書館長半田和彦氏に遠藤氏のことについてご相談をしたところ、早速調べてくださり、その報告をかねた講演会があった。半田さんは、「武士について」の研究を専門としており、古語の読解にも当然精通されており、系図などから順々に読み下げていき、「遠藤伝左衛門」を発見、秋田藩主佐竹氏の城下町であり随分と位の高い武士が住まわれている西根小屋町に300坪を越える屋敷に住まわれていた武士でおよそ2百石とりの高級武士であることがわかった。しかも、増田の奥岩井川郡での新田開発も佐竹藩主から許可されていることもわかった。 加増された禄高もその新田開発からの禄高をそっくり加増されていることも判明。 そうした経緯が、遠藤堰開削の許可を得たのが遠藤氏であり、それに協力したであろう地元の肝煎りに何らかの記録がないかどうか今後我々がそうした発見につとめることが必要であろう。 当時の徳川時代、1729年、享保14年の岩井川村の戸数が83戸、それが遠藤堰開設により新田が開かれ戸数も96戸人口も487人に増えている。馬70頭とある。 大変興味のある歴史であり、郷土を知るよい機会であった。 同時に、秋田藩主の歴史、福島県岩城、などとのつながりなども知ることができた。

名僧「了翁禅師」を知る

湯沢市八幡生まれで江戸時代に黄檗宗の名僧として知られた「了翁禅師」の生涯を勉強する国文祭事業として湯沢市の了翁禅師研究家が主催して「今なぜ了翁禅師か」としての、講演会、パネルディスカッション、演劇と講談が湯沢文化会館でで行われた。 了翁禅師についてまとまったこうした事業は珍しく、家内と一緒に参加した。 午前午後とほぼ丸一日の行事であったが、関心もあり充実した一日となった。 基調講演は、岩井川の龍泉寺で剃髪、得度した了翁さんが須川を超えて修行した中尊寺の貫主・山田俊和師からの講演、パネルディスカッションでのパネラー、上野寛永寺長老・浦井正明師、駒込学園理事長・末廣照純氏、萬福寺文華殿副館長・田中智誠師、弘前大学教授・渡辺麻里子氏さらには、講談師・宝井琴桜師の講談、演劇「了翁さん物語」(鈴木育郎氏脚本)などでその生涯を知ることができとても参考になった。 断片的にはお聞きしたことがあるのですが、このようにまとまっての勉強会はとてもありがたかった。 特に、了翁禅師が岩井川の龍泉寺で剃髪、得度したこと、その龍泉寺での修行当時、了翁のたぐいまれな特質を見抜き、大きな支持者としてご貢献した植田村源太の斎藤自得氏のことなどには大きな関心事であった。 齋藤自得氏直系のご子孫である齋藤さんとは私自身も高校の先輩であり今回も盛岡からこの行事に参加されており、下宿も一緒だったことからしばらくぶりにお会いする絶好の機会ともなった。 了翁さんが大蔵経(一切経ともいうようで、百科事典、解説書であるそうです)の収集という大願発起し、錦袋円という名薬を作り莫大な富を築きそれを皆さんからいただいた金子であるとして、すべてを人のため、世のために、あるいは大蔵経収集のために、あるいは世界で初めての公開図書館を作り、さらには寛永寺境内に勧学講院(学問所)を作り、そうした世のため人のためにすべて使い切った。 特に一つの宗派にこだわることなく、天台・真言・禅宗と三宗の21寺院に大蔵経を収めたことは師の強い信念でもあったことでしょう。 我々がよく食べている「福神漬」も了翁さんがなずけた漬物だそうです。 了翁さんは78歳で亡くなり、亡くなる前は古びた袈裟のみで亡くなったそうで、すべての財は世のため人のために使って生涯を終えられたようです。 郷土の偉大な名僧であったことで、そうした名僧が我が東成瀬村岩井川の龍泉寺で剃髪、されたことは誇りでもありありがたいことでもあります。 合掌

国文祭大好評

  国民文化祭「日本で最も美しい村」・昔っこの祭典が、今日10月13日午前9時から、東成瀬村地域交流センター「ゆるるん」で行われた。 全国からこの事業に関心のある方々が参加してのイベントであり、参加者は九州宮崎県高原町や福岡県東峰村、和歌山県、長野県、新潟県、福島県、栃木県、山形県、岩手県、青森県など広範な地域の語り部、方言などを紹介するもので、こうした分野に関心のある方が大勢参加してくれた。 受付で準備したプログラム450部が全部配布され、急遽追加する嬉しい状況であったようで、スタッフを含めると500人近い大きなイベントになった。 昔語りは、地域であるいは家庭で語り継がれてきた伝承文化であり、人としての生き方を物語で教えることであったり、守るべきルールを子や孫に教え伝えてきたことの歴史であることが、語り部によって心豊かに紹介された。 会場全体が一体となったほのぼのとした雰囲気で包まれ、とても穏やかなイベントとなった。 時間も少し押し気味ではあったものの、全体的に誠にスムーズな運営であった。 会場の外では、村内の物産の出店もあり、地元産の食事の提供などで大好評であった。 開発された特製弁当も好評であった。 台風19号の影響で飛行機の欠航が相次ぎ、九州便の利用者の方々には大変やきもきしたことであったでしょうが、無事に間に合い、出演していただいた。 村内外から本当に多くの参加者があり心から感謝したいし、準備から本番と献身的にご協力いただいた実行委員会の皆さんに心からお礼を申し上げたい。 本当にありがとうございました。 今年最大のイベントも一段落した。この国文祭も秋田県ではしばらくないわけで、それを無事に成功裏にやり遂げられて本当に安心しているところです。