カテゴリー別アーカイブ: イベント

祖父母交流会

なるせ保育園の祖父母交流会が行われた。 日程をやりくりして、かわいい孫が保育園でどんな生活をしているのか楽しみにして出かけた。 今年の春からはもう一人お預かりすることのようで、まだ1才5ヶ月の孫も連れての参加である。 結局、祖父母の二人が参加することになった。 この猛吹雪でも、たいていのご家庭では、祖父母のどちらかが孫を、保育園まで送り迎えしているのが現実で、どうやらどこでもそうしたことで、みんな孫たちも祖父母にすっかりなついているのがわかるようでした。 まずは、お手洗いをして、おやつのミカンをごちそうになって、担当の先生の話を聞き、次に読み聞かせグループ「つくしんぼ」のボランテアの方々から絵本を読んでもらい、紙芝居を見、次にホールに集まって思い思いの遊びを孫たちと一緒にやるスケジュールでした。 今年は、保育園で英会話や遊びなどにも参加してくれているALT・イタンさんも来てくれて、いろいろ楽しそうにして遊んでくれていました。 いやー、それにしてもこの猛吹雪の中皆さん、孫のためにはなんのその、背やめないで、元気に来てくれて孫たちも十分に楽しかったことでしょう。

発展に向かって

地域の発展のための事業にはいろいろな手法があると考えている。 今年も取り組んできた農業振興のための集落営農と法人化、その事業展開としての施設整備であるミニライスセンターが岩井川と手倉に完成し、もうすでに今年の作業を終えたところである。 この状況を見て、新たに農家では作業委託を含めて委託したいとする農家が増加しているようである。 今後の村の農業施策の展開として、国の動向などを見ても一定の方向としてある意味で示唆を与えているように感じている。 新たな温泉施設もボウリング工事が見事に新たな温泉源泉に当たり、しかも分析した研究所でも、久しぶりの温泉らしい温泉を掘り当てたといった言葉を残すくらいのアルカリ性単純硫黄温泉(ph値9・8、毎分350ℓ、温度46・4℃)で、群馬県四万温泉、箱根湯本温泉、大分由布院温泉、飯坂温泉、長野野沢温泉、道後温泉、など全国的にも著名な名湯に匹敵する位の温泉であるようだ。これくらいの温泉は全国的にはベスト10に位置するくらいの温泉であるようで、これはすごいことであると思っている。 一方、須川温泉の栗駒山荘は、酸性の強い温泉として、全国レベルでもベスト3に値する温泉を持つことになった。 スキー場では休んでいた第4リフトを整備し、営業を再開することとした。人気のあるボーダー愛好者を中心に、滑走距離の長いこのコースの入込も期待している。攻めのスキー場としたいと考えている。 栗駒山荘も浴場を中心に第一期の改修が終わり、来春には2期工事を終えて文字通りリニューアルオープンしたい。 これによって、農業施策、雇用、物産、スポーツ振興、交流人口の拡大など村の振興対策としての一定の方向を示すことができつつあると考えている。 今後これらの施策をこれからの畜産振興、みちの駅構想などと合わせてどのようにリンクさせていくか、具体的な構想を多くの方々のご指導をいただきながら進めていかなければならないだろうを感じている。 そのスタートラインとしての今回の竣工式であると考えているところである。 たくさんの方々のご理解で竣工式典ができ、お祝いできたことを感謝しているところです。

成瀬仙人太鼓25周年

平成元年に設立された「成瀬仙人太鼓(会長 谷藤勉)」の創立25周年記念事業としての公演が昨日「ゆるるん」行われました
会場は200人近いお客さんで大いに盛り上がっておりました。
当初は愛好会としてスターとし、村内のイベントが華やかなりしころ、そのすべてに出演し、多くのイベントを盛り上げてくれました。
それは、村内のみならず他市町村はもとより、東京都庁前での公演、遠くアメリカのコロラド州デンバー市の「日本館」との交流のきっかけとなる公演など数え上げるにきりがないくらいの活躍をしてくれました。
この間、後継者の育成にも早くから着目し、子ども仙人太鼓の育成にも積極的に取り組み、それがしっかりと根付き、そうした経験者が現在の太鼓の中心メンバーとして大活躍をしてくれ
ている頼もしいい存在である。
圧巻は、「ジュネスの響き」を5年周期で記念事業として開催し、多くの賛助出演でその都度感動を与えてくれてきました。
今回は趣向を変え、太鼓3団体、成瀬YOSAKOI仙人響、田子内盆踊りなどの協賛をいただき落ち着いた記念事業となりました。
25年間には、メンバーによるオリジナル曲もつくり、昨日初めてのお披露目をした「きらめき」という、星空のきれいな東成瀬村をイメージした、横笛の入った新曲も披露してくれました。
全く違った感じで聞くことができたし、これぞオリジナルな曲目といった感じであった。
これからも、太鼓の発展に文化の面での発展にますます発展しつつ、とかく話題になっているどんな団体でも後継者不足に悩んでおりますが、そうした流れに臆することなくしっかりと歴史つくり、後世に伝えていってほしいと願っておるところです。
25周年を記念して、3尺の大太鼓も加わり、一段とレベルアップし、活躍の場も増えていくことでしょう。
25周年本当におめでとうございます。
益々のご活躍を願っております。

好天の秋

  気持ちの良い秋晴れとなった昨日、たくさんの飛行機が飛び交い見事な飛行機雲が空に描かれていた。 朝には、近くの89才になるTじいちゃんが亡くなり火葬に向かうじいちゃんをお見送りをした。 明るく快活な方で歌もうまく、昔のお祭りの納歌などをご指導いただいたり、冗談もうまく、人気者のじいちゃんでした。 敬老会や地域の集まりなどでは、会を盛り上げるのに欠かすことのできない貴重な人材でしたし、家族思いの強い方でした。 じいちゃんが西方浄土に旅立つのを皆がお見送りしたように空からも、地域からも多くのお見送りがあり、見事な紅葉、青空とこの上ない旅立ちであるかのようでした。 安らかにお眠りください。本当にありがとうございました。 そうしたことを思いながら、家の周囲を片付けるのにも、どこか気持ちの良い天気で孫たちも外に連れ出し、好天の中で思い思いに自由に遊んでいたし、息子は車のタイヤ交換と、冬の準備に忙しかったようです。 この後、昼食をとり、妻が習っているお茶の先生のところでのALTの方々との2回目のお茶会に呼ばれていたので、これの出かけお茶を美味しくいただいた。 アメリカからの6人のALTが日本文化のお茶を楽しんでおり、次は冬のお茶会が計画されておるようで、ぜひ参加させていただきたいと思っている。 そのあと、来年秋田で開催される29回目の国民文化祭のプレイベンとして「出羽(いでは)の国の昔っこ」が村の集会施設「ゆるるん」で開催され、開会式であいさつ、じっくりと聞かせてもらった。 村からは二人の昔語り、山形、福島、岩手からも三人の語り部からおいでいただき、聞きに来てくださった方々は、200名近くにもなったのではなかったでしょうか。実に内容の濃いプレイベントとなった。 一般参加者の方も含めた交流会では、東京、福島、神奈川、などからも40名を超える参加で大いに盛りあった。 開会式では、昔語りと、方言の大事さ、後世に残したい文化の一つに、昔語りと方言をぜひ残していきたいと申し上げた。 交流会では、そうした私の考えに、驚いたことに横浜から見えられた30代のご婦人んから、母親世代は方言をどちらかというと関心がないかもしれないし、恥ずかしいといった思いもあるようだが、私たち世代は、すごく関心があるし、「かっこいい」とおっしゃるんです。 しかもぜひ残して行きたいし、特に東北の方言は優しく、気持ちが良い、どこか包み込んでくれるようで大好きであるとのことでした。 ははーそうした思いの方もおられるんだなーとつくづく考えさせられたし、これは是非残すべき文化なんだなーと改めて感じたところでした。 羽後町、美郷町、秋田市などからも県内各地からもっと来ておられたんでしょうが、お話をしたかたがただけでも、こうした反応があるのですから、結構関心のある方々が多いように感じられた。 更には、昔語りの本の出版も企画してほしいとのご意見もあったし、方言の収集、DVD化なども計画しているが、これらの出版も将来的にはこの国文祭を期に検討することも大事なように感じた。

全県駅伝復活?

新聞などで全県駅伝復活と報道されているようである。 この内容については先日行われた秋田県と市町村の協働政策会議や懇談会などで提案されたものですが、この提案のそもそもは、作家の内舘牧子さんから秋田魁新報を通じて提案されたものではなかったかと思っている。 今回提案された内容によると一回目は秋田市内を循環するコースでの開催を計画されているようであり、かっての全県を縦断するコース設定ではないようであり、内舘さんの思い描いておられた構想とはちょっと違うのかなと感じた。 しかし、かって行っていた駅伝競走とは交通事情も格段の違いがあり、一般交通にも多くの支障もあるでしょうし、公安委員会など警察関係からもそんなに簡単には許可も難しいだろうとは思うが、そこをどう工夫するのだろうかと思っていた。 内舘さんの構想はどうなのかはわかりませんが、2回目以降はどうするのでしょうかなー。 いずれ、私たちが思っていた「駅伝競走」は全県を縦断し、その地域地域の方々が応援する熱い熱い思いではなかったのではないだろうか? ちょっとした違和感を覚えているがどうであろうか。 難しいイベントですなー。