爽風雲 のすべての投稿

どうしても理解できない

間もなく新しいい政党が実現しそうだ。 しかも、これには元総理大臣も参加するとかしないとか、あるいは少なくとも選挙によっては協力関係を結ぶとかどうだとかといった話が飛び交っている。 ところで、その綱領なるものが発表された。 もちろん、深い意味があり練りに練った構想でしょうから実現可能な綱領を国民に向けて表明したことであると考える。 しかも、これに沿って、国民は来るべき総選挙で投票行動に出るわけですから、国民を欺くような構想であってはならないと考える。 まず、私が驚くのは、構想にの根底にあるのが、大都市中心の政治であり、地方の声が反映されない、人口中心の構想であることである。 衆議院の総定数を半減するんですって?そんなことできるんですか? 地方交付税は廃止する!勢いががいいですねー。地方財政を全く考えていない。 消費税は地方税にする。税源のあるところはいいでしょうが、ない地方はどうするんですか? こうしてみてみると、バックに大企業中心の政治思想が明らかになってくる。 議員数だって、人口集中地区で獲得することになって、地方には全く地方の声が反映する国政であり得なくなってくることが透けて見えてくる。 こうした数項目だけでもめっちゃくちゃな構想ではありませんか。 ただ、わずかに理解できるものに、政党交付金を半減するとしていることである。が、なぜ、廃止しないのだろうか不思議である。 それやこれやで、今最もにぎやかなのがこの政党であろうと思う。 野党第1党でも、新たな党首候補が出てきた。この方とも親交があるそうで、そうなるとその延長線上にはそうしたことが浮上してくるのか心配である。

紅葉でもあるまいに?

      このところ標高500メートル以上のところでの活動をしていて気になる風景にあっている。 周りは山また山で、青に近い目にも優しい濃い緑に包まれているのに、一部分がなぜか赤に近い、茶色がかった風景が目ににつくのです。 どうも気になって開会式なんかで、不遜な事ながら隣の人に「あれはなんだ?」と挨拶が終ったあたりで声をかけてみた。 多分、水不足で枯れてきたのではないかという。 ははーそうか、さもありなん、と納得していたら、どうも違うようだ。 ブナの葉が枯れ出しているようなのである。昨年もそうだった、という。 すわ!これは「ナラガレ」がブナにまで伝搬したのだろうかと思ったらそうではない。 葉っぱに虫がついて葉っぱは枯れるが、ブナの木本体には今のところ問題がないようである。 まずは一安心。 しかし、これまでこうしたことがあったのだろうか? 森林資源である広葉樹の元祖みたいな、ブナやナラがもしかして絶えるようなことになったらこれはどうなるだろうかと思えて成らない。 水も空気も山菜も山に生きる生き物すべて、いや我々人間だってどうするんだろうと思ってしまう。 自然の恵みをごく自然に享受している我々人間が、どれほど普段そうした自然現象に目を向けているのか?と思わずにいられない。 「ナラ枯れ病」もある一定周期で現れる現象であると言われているし、それは自然の摂理であり、新陳代謝の表れで会うというが、目にしたブナの葉っぱが枯れるのも、何かの警鐘ではないかと思えて成らない。 しっかりと、広葉樹を育て育成する試みは壮大な構想かもしれませんが、せめてもの現代社会に生きるものの勤めではないかと思っている。

久しぶりの校歌

  この週末は、パークゴルフ大会が二日間の日程で行われ、この開会式やら表彰式で日程が決まり。 その合間に、高校の同窓会の総会・懇親会があるので出られないかと、この同窓会の事務局長を長いこと頑張っておる同級生から電話があり、初めてどんなものかと参加してみた。 2,013年度が創立115周年になるそうで、会員数は26,400名で会員名簿の作成などの事業を計画しているようだ。 この名簿は結構活用されているようで、この名簿の発行についての質疑が総会ではあったようである。 私たちは56期生で、期ごとに懇親会のテーブルが配置されるのであるが、先輩方が多く、真ん中よりもずーっと下のほうの位置である。 かって聞いたことがある話であるが、日本間の料理屋でこうした総会・懇親会をやると、後輩の連中は畳になんか座る場所がなく、正面の役員が並んでいる場所なんか見えない廊下に座るのが当たり前であった、とのことがあながちウソではなかったんだなーと思ったところでした。 幸い、最近はほとんどホテルでの開催で、そんな思いをする必要がないようである。 同級生が副会長やら事務局長をやっているものですから、我々同期の参加者は今年は多かったようで10名を超えて、みんなどことなく我々の期が多かったと自慢げに話し合っていた。この調子で毎年集まろうということにもなったし、今年中に村の宿泊施設での同期会を計画しようということになった。 全国で多くの先輩後輩が大活躍しておりそうした話も伺うこともでき、先輩や、後輩との挨拶もしあうことができとても懐かしかった。 そうしたの話の中で、何と言っても話題になるのが同級生の動向、特に体を悪くしたとか、他界したとかといったことと同時に孫の話も多い。 今回は、10人中4人も癌などで手術した話が出てびっくりした、俺もだ!俺もだ!といい、しかも手術をしてくれたのが後輩の外科医であったというのである。 そうした医療分野でも、同窓生が大活躍しておることに、どこか誇らしさを感じたところでした。 参加者全員での校歌合唱、しかも1番と4番はかなり厳しく気合いをかけられた思い出もあり何とか歌えるが、2番3番はいけません、印刷されたものを見て思いっきり歌った。何やら爽快な気分になった。 ほんとうに久しぶりの「校歌」でありました。 みんな頑張っているんだなあ。

ブルームーン

8月31日に、8月に2回目の満月があった。普段から満月は一か月に1回と決まっているものと思っていたが、そういうこともあるんだということを夕食の時に息子から聞かされた。 ドッグ帰りの夕食時、そんな話をしながらその2回目は「ブルームーン」ということも教えられた。 なぜ「ブルームーン」なの? 調べてみたら、条件が良ければ、実際青っぽく見えるそうですが日本ではあるのかな?。 3年あるいは5年に一回起こるそうで、めったに起こらない、まれな現象だそうです。 次の「ブルームーン」は2015年とか。 では、1回目は「フアーストムーン」なのかなと思って調べたら、そのようでした。 では、「フルムーン」は? そんなつまらないことをつぶやきながら、夏の暑い夜を窓やら戸を開けて、しばし素晴らしい月をぼんやりと眺めた。 「月」は満月もよし、下弦の月、上弦の月、三日月、おぼろ月もよし、次々と月にちなんだ言葉が浮かんでくる。 悲しいかな、和歌、俳句などといった高尚な素養もなく、この素晴らしい「月」をどのように表現すればよいかも出来ず、もどかしい限りである。 そうこうしているうちに、ついうとうとしてしまい、「夜風は体に悪いよ」言われてしまった。  

水不足が深刻

     暑い暑いと言って過ごしていた8月も過ぎ去り9月である。 残暑は依然として厳しいし、農作物にはよいだろうなどとのんきなことを言っていたら、農家の方々に往復ビンタの一つももらってしまうような雨不足である。 それでも、村の場合何回か、それこそ「ところにより」のところに当たって雷雨やわずかな雨の恵みもあったところもあった。 村内でも「ところ」に当たった地域はは良かったが、そうでない農家にとっては本当に雨が欲しいところであるし、わずかに降ったであろう地域であっても全くのお湿りにもならなかったと思う。 特に、畑ものには、雨が欲しく欲しくてたまらないところであるようです。 玉川ダムでも秋田県営ダムが発電を休止することになったとの報道があるし、成瀬ダムからの引水を計画している大仙市の一部でも、緊急的に、雄物川からの取水要請をしておられるようだ。 こうしたときこそ、お互いに融通しあって、生活用水の利活用ができるよう協力し合うべきであり、灌漑用水であってもお互いが緊急的に協力し合うことの重要性を確認し合いたいものである。 玉川ダムであっても、相当な貯水量で計画的な放水をしてきたにもかかわらず、不足し発電休止という手段を選ばなければならないことになったのでしょう。 ダムの機能は広範であり、災害防止対策ばかりでなく、生活に密接に結びついておる訳で、こうした効能、効果を水不足の時こそ、世の中の人たちが真剣に考え、ダムや水の重要性を訴えるべきであると思う。 ところが、なぜか玉川ダムのそこが見えて、発電を休止すると言ったことばかりで、ダムの果たす役割などには触れておらない。 ダム建設反対を主張しておられる方々は全く発言なし!、みんなが協力し合ってこの急場をしのぎ、乗り切ると、その苦しみ、協力などはどこ吹く風である。 そうした水不足の一時が過ぎ去ると、十分に水は間に合っている、従ってダムは必要ない、と言う声が大きくなってくるのがこれまでのことであった。 われわれも、こうしたことをわきまえて、しっかりと訴えていかなければならないと思っている。