地域興し, 教育, 雑感 隠岐諸島へ 2013年10月6日(日曜日) 爽風雲 隠岐の海士町と西の島町を訪問している。 鳥取県七類港から フェリーで約3時間あまり途中知夫村の来去港、西ノ島町の別府港、海士町の菱浦港などに寄港しての航路である。 海士町では山内町長さんと離島振興、キャッチコピー「ないものはない」の趣旨、町おこしなどを、斎藤会長とご一緒に意見交換させて頂いた。昨日まで日本で最も美しい村連合の戦略会議が開かれており、最終日で出席した方々を見送りされていた、大変忙しい合間の町長さんに面接できて、恐縮した。 海士町にその手伝いを兼ねてきていた、地域おこし協力隊の佐藤さんの案内で町内を視察させて頂いた。 先日、魁新報のシリーズもので紹介された、海士町在住の秋田県出身の秋元さんと町営学習塾の話しができて、とても参考になり、今後の方向付けにもなった。 民家を借りての塾であり、間もなく、別建ての施設が計画されているとのことでもあった。 何よりも、この離島で秋田県出身者が頑張っていることに感激もした。 200人を超える移住者がいること、その多くが、教育などのための移住であること、そのきっかけ、今後にかなりの関心を持つこととなった。 それは秋元さんを含む指導者であり、勉強、受験生であることにも 強い関心を持ったところでした。 隠岐諸島は多くの島で構成されていた、歴史的にも古く、海路の重要港湾があり、後鳥羽上皇や後醍醐天皇などの遠流の地でもあり、政治に関わって流された著名人も多かった歴史の地域でもある。 直木賞作家・安部龍太朗さんの「天馬翔ける」の最後の場面で、天馬密輸の輸送中に、嵐に遭遇、避難した港はどこだったのか?船から下ろし疾走させた草原はどこだったのか?西ノ島の鬼舞展望か国賀の魔天崖の地であっただろうか?最終目的地の境港に無事つき、運んできた「天馬」を幕府に献上したロマンあふれる小説を思い出した。 そうした尽きない想像が次々と浮かんでくる、要衝の地の隠岐であった。 海士町は小綺麗な掃除の行き届いた、街で、気配りのある町とみた。 公共施設もさりげなく掃除が行き届いていた。
健康、医療, 医療, 福祉 村の診療所開設責任 2013年10月5日(土曜日) 爽風雲 全国国保地域医療学会の開設者サミットが私の役割、前段では保健師の発表が落ち着いてしっかりと無事に発表することができてホッと一息、私が心配することもないわけですが。 サミットでは、医師確保、行政の役割、福祉を含む地域包括医療・ケアを全国の都市へ、「連携と協働」が新たな目標として示されたように感じた。 この発表では大森病院の小野院長が宿題発表をし、極めて具体的な発表内容で会場は熱気が高く、感動的でもあった。 行政の協力、理解を求める声もあったが、私からすると、どうして住民の為になる医療現場を理解しないことが不思議でならない。 医療機関と行政である福祉と保健師、看護師、社会福祉協議会と同時に各種団体の連携がますます大事であることを確認できた。 現場主義の大切さを改めて感じたところでした。 この学会の創設者の一人でもある、広島県みつぎ病院の山口先生の特別発言で、保健師はデスクワークよりも、住民に出来るだけ接し以後の対策をとるべきであるとするのみならず、具体的な活動を求めていまた。
健康、医療, 医療, 福祉 地域医療を考える 2013年10月4日(金曜日) 爽風雲 第53回全国国保地域医療学会が、島根県松江市で開かれている。 地域医療と福祉を包括的に推進しようとする趣旨がこの学会の目的であると理解し参加しているし、地域医療と福祉のあり方を包括的に推進することは、合理的であり住民にとっても最も求められている施策であるものと考えている。 それだけにいろいろな課題もあり、それぞれの立場の役割には苦悩も多いことにもなる。 これに具体的にどう立ち向かうか、解決の方向をどう見いだしていくか、そうした課題を研究するきっかけにもなる学会でもある。 今年は、そうした趣旨に基づき診療所の看護士と民生課の保健師が仕事の合間に課題設定した研究結果を発表することになっている。 大きな学会での発表であり当然会場からは質問もありかなり緊張することであるが、普段の業務と違ったある意味では、晴れ舞台でもあり、頑張って欲しいし、本人たちにとっても良い経験になることであると思う。 こうした目的意識を持った業務執行がどの職場でも求められものではないかと考えている。 この学会のみならず、どの職域でも是非積極的に参加してほしいと願っているし、期待もしているとろです。
福祉 お祝いに歩く 2013年10月3日(木曜日) 爽風雲 今月のお祝いは出生4名、米寿2名の合計6名のご家庭を訪問した。 初孫の家、3番目の孫誕生で手慣れた孫扱いのおばあちゃんと嫁さん、遠く離れたところから嫁いできての若いお母さんと友達が少ないであろうと心配して交流するようにと気配りしてくださっているおばあちゃん、村内ではあるが里帰り出産している家庭などいろんな赤ちゃんをだっこさせていただいた。 それぞれにいろいろお話を伺うことができ、とっても楽しい時間であった。 皆さん元気な赤ちゃんで、とってもほのぼのとする感じでありました。 米寿の方二人は、話は尽きないといった感じで、おいとましようとすると、もう帰るのかと引き留められ、次の家に行かなければならないと言って何とかご勘弁願ったが、やはり米寿ともなると、昔話やらつもる話があるものです。 米寿を迎えられる世代は、戦争だらけであった、同級生の多くは徴兵、志願兵と言った形で多くの方々が亡くなってしまったことの話が多く、戦争に対する考え方も切実な問題であることがひしひしと感じられたところでした。
農政 東北農政局長との懇談 2013年10月2日(水曜日) 爽風雲 一昨年に引き続き3回目になる東北農政局長との懇談会が開催された。 局長が直接出向き市町村長との意見交換会を開くのは、それだけ農政全般にわたって課題が山積している証左でもあろうと思うし、一方で対象自治体抜きには、諸施策がうまく実行できないとの考えや、地方の声を率直に聞きながら施策に反映させようとする現れでもあろうと思う。 ところが、そうした考えとは裏腹に、局長が都合がつかず出席できないとの直前の連絡があったりして、どこか気まずい思いもしたことがありました。 今年は秋田県美郷町出身のキャリア局長が出席することでもあり、一部の市をのぞいて首長が直接出席し、親しく活発な意見交換をさせていただいた。 とてもわかりやすく話をしてくださり、意見交換でも丁寧な対応で、課題を正直にぶつけることができた。 特に、秋田県では本格的には話題になっていない「農地中間管理機構(仮称)」の対策の背景、趣旨などが局長から直接冒頭に説明され、大変よく理解できた。 しかし、課題もあるようであるものの、その趣旨については理解できるものがあった。 全国的には、中央で議論されていることが、県段階ですでに協議が進んでいるものの、秋田県はどうしたわけかまだ一回目の協議も行われておらないことはどうしたことであろうか。 具体的には、我が村での農地基盤整備が、中山間地という対策不利地域にあって、具体的にその整備の個人負担をどうするのか、更にはこの機構がどう係わっていくことができるのか、かなり問題もあるように感じた。 しかし、農地の基盤整備に当たっては、面積要件、単価などかなり具体的な有利な制度も考えられるようであり、今後個別に相談して行きつつ、法人との関わりなど総合的に対策を練っていきたいと考えている。 とても、意義のある懇談会であった。