村づくりのルールと参画と協働のシステムとして、村の自治の「基本ルール」を定める、つまり村の「良き家訓」を定めることにした鳥取県日吉津村を視察研修した。
石村長自らの説明と副村長を置かずに課長さん達から頑張ってもらっていること。
総務課に室を2つ設け集中的に調整企画をさせているとのことであった。
周囲を米子市に囲まれ、一方を日本海に面した、面積わずか4平方キロで、人口3,416人で何故この条例が制定されたのか?
それは、昭和の市町村合併での村を二分した賛否意見による顔が見えてしまう判断からではなく、住民投票による判断としたことのようであった。
直接的には、平成の合併で米子市からの合併呼びかけに対して、どう対応するかということもあり、単独村で行くことの、住民投票による結果で、自分たちで決めたことであるとする経過もあったようです。
では、どんなことを、住民投票の対象項目とするのかとなると具体的には特に定めておらない。
それは、当然のことであるようである。
つまり、村長としては 、住民投票に持ち込むような、行政運営をしないように努力しなければならない訳でり、市町村合併のような政治解決、最重要課題などのような大きな判断に限られてくるとのことであった。
そのためには、自治組織の自主性に大きな期待感があり、そのための行政運営には並々ならぬ配慮をしつつ支援しておられるようなてあった。
この意識が徹底しておるよで、7つの自治会とも、自分たちのことは自分達でやろうとする意気込みがあるなようであった。
これらに対しては、きめ細やかな支援がおこなわれているようでり、職員も配置し積極的に手伝っているとのことであった。
同時に、職員に対しては積極的にそれぞれの地域に顔を出すようにさせているし、村長自らも積極的に出るようにしているとのことであった。
自治会館などにも椅子とデーブルを配置して喜ばれているようであた。
揶揄的ではあるが、村長の考は、一に隣近所、二に、ボランティア、三に、消防、最後は村長がおればよいとの考え方もあるのではないかとのことであった。
一方、議会の考え方、意向はどうなのか関心があったが、はっきりとした意志表示はないようであり、どう判断してよいのかは、分からなかったのは残念であったし、村側からもはっきりとした話しはなかった。
議会改革や通年議会の取り組みもないようであった。
意義のある研修をした。
広島県境に近い島根県飯南町を視察した。
尾道・松江線の高速道開通による飯南町の発展性は厳しい環境下になることが予測されていたようで、このことは、高速交通体系の下ではどの地域でも大きな課題となっているように感じている。
その課題解決策としての小さな田舎(まち)からの「生命地域」宣言、〃いのち彩る里飯南町〃では、森林セラピーなどによる地域興しに取り組んでおられた。
石崎町長さんから町の概況をお聞きし、第3セクターのフロンテイア・あかぎ、の阿部社長(元特定郵便局長)から具体的な事業取り組みについての研修を受けた。
この話しで特筆すべきは町の総合振興計画に対して、第3セクターである「あかぎ」がどのように協力するかということと、何を成すべきかをしっかりと課題として、あるいは会社の方針として捉えていることであった。
町の91%が森林で、その資源を有効に活用し、通過型の観光客誘致から滞在型観光、健康、福祉、介護までも含めた森林セラピーを通した地域興しに取り組んでる行政運営はとても参考になった。
森林セラピーによる健康維持は大事であり、中長期的に渡る滞在を通して、収容能力は20人と少ないが、セラピストによる案 内とテレビなどはない清潔感一杯のホテル、地元の食材中心の食事などは、大変な好評で、広島県など都市部からの利用が倍増しているとのことであった。
この申し込みは、旅行業資格のある会社に一本化し、旅行プランから食事まで総てできる仕組みにしており、良い試みであると思った。
やまといもという特産品の生産取り組み、町の発展計画との整合性、協調性、高速交通体系からはずれた場合の考え方、次善対策等々大いに我々も参考にしなければならないと感じた視察研修であった。
スキー場とホテルプラン、栗駒山荘、焼石、栗駒、広大な森林資源、原生林、散策コースの設定、森林セラピーの育成、ガイドの養成とコース、案内の義務づけ、特産品としての、平良かぶ、トマトなどやれることはたくさんまだまだあると思った。
考えれば無尽にある資源を私達は持っていることを感じた視察でもあった。
セラピーは、人間の持っている五感のうち、70%は視覚を使っているそうで、目を閉じて、他の五感を活用し健康維持に活用することも、セラピーの一つであることをわずかな時間に感じた。
単純なのかな 
島根県で「島根博」が開かれている。
同時に過疎町村なども多い一方で地域起こしも積極的である、島根、鳥取を、視察地にして研修した。
初日は、羽田空港経由で出雲空港を起点にした。
先ずは、出雲大社を参拝、平成の遷宮を来年に控え、80億円をかけて本殿の改修工事中であった。
参拝の仕方を教えられたが、普通二礼ニ拍手一礼で参拝していたが、出雲大社では二礼四拍一礼であるとのこと。
初めてのことで、ちょっと面食らった。
平日とあって、参拝者も少なかったように感じた。
大観光地でありながら、こうした入り込み状況はどこでも同じ悩みを抱えているのでしょう。
島根博も財政難もあってかとても小規模な開催状況であった。
島根県は人口70万でこの状況を打破すべく、県民上げての活性化に取り組んでいるところてあった。
そうした活性化に向けた取り組みにかける県民の意気込みを、視察地で肌で感じることができた。




山村振興ブロック会議の二日目は、朝早くから釧路湿原、釧路漁港施設、米町ふるさと館、釧路漁港が見渡せる公園、石川啄木歌碑、高浜虚子句碑など北の町の自然、文化、産業など極めて広い分野について棚野白糠町長さんのご案内をいただきながら研修した。
釧路湿原には実際に入る時間もなく残念であったが、全貌から推察すると、私が考えていた湿原とは全くちがったかんじであった。
それもそのはずで、湿原に入るには、厳しい規制があり、15分ぐらい車を降りてから時間を要し、またの機会にしてくださいとのことで納得。
全貌から推測しても、広大な面積でありちょっと立ち寄って見ようかと言った湿原ではない。
雄阿寒岳、雌阿寒岳が珍しいくらいだそうですがくっきりと見えました。
次の施設はそれこそいい時代に整備したようで、今ではとても考えられないような素晴らしい売り場と観光物産館であった、天気予報などでよく紹介バック画面にでてくるしせつだそうです。
米町ふるさと館は明治時代の建立で、当時の商家が保存されていた、懐かしく感じたし、米、塩、魚類日常生活などを取り扱っていた様子がよく理解できた。
この施設から目と鼻の先にある公園や歌碑、句碑のある公園は、遠い内地に思いを馳せた人びとの心が伝わってくるようであった。
この研修では、白糠町長さんのバイオマス発電にかける意気込みがひしひしと伝わってきた。
それは、北海道開拓歴史の苦難と経過からしても、不毛の土地を何とか活用しようとする構想、時代は自然エネルギーの時代であることが根底にあった。
その原材料として成長がきわめて早い優れもののアメリカ柳を植栽していること、そのチップがバイオマス発電のみならず畜産農家にも大きな需要があることが、熱い言葉として一貫して発信されていたことである。
この考えには、大規模農家が置かれている現状の厳しさと、裕福な農家ほど大規模ではなく、こじんまりとした経営をしており、昭和、平成の未合併町、村が財政的にもしっかりしていることなとを例をあげて述べておられた。
釧路市と隣接していてもおよそ1時間近くもかかり、近くには大規模工業団地もあった。それも製紙工場、魚貝類、畜産の食品工場もあるようであった。
植林なとの林業活性化、未利用地活用などをバイオマス、畜産にリンクさせていけたら、素晴らしいものである。
ちまちました構想とは違う、新たな発想に感銘し、心を
打たれ、刺激も受けた。翻って我が村ではどうするか?
林業の活性化は必ず時代が求めていると思っているし、これまでも積極的に取り組んできたがより重要であるとかんがえている。
その対策には雇用と合わせて努力したいものである。
国でも、新たな動きがこうした研修を受けて取り組むのではないかと期待したいし、あるようにも感じた。
外にでて研修すると刺激を受けて、とても新鮮な気持ちになる。
ただそれだけではいけませんよ!と自分自身に言い聞かせなければなりません。