カテゴリー別アーカイブ: 雑感

東北パークゴルフ選手権大会

image (開会式) image (スコアボードにみいる選手たち) image (閉会式前の談笑) 第4回目になる東北パークゴルフ選手権大会が行われ、開会式で挨拶をさせていただいた。 デンバーから帰って直ぐに、九州での行政視察と体調の維持にはかなり苦労したように思っている。 日常的には大して変わった生活をしていないように感じても、からだの内部では、相当異常だったんではないだろうか。 どこかスッキリしない。 体内時計は間違いなく、異常になっていたのでしょう。 昨日の夕方、つい横になって休んだところ、ぐっすりと寝てしまい、そうしたらスッキリした。 パークゴルフ大会は、203名の参加で、東北全体からの出場。 それぞれ相当自信満々の選手たちばかりで、レベルも相当高い大会となって来ている。 天候が雨模様で選手は相当苦労したようであった。 優勝は男女とも奥州市の選手であった。 これから、仙北道の踏査隊の歓迎会があり、これに出席します。

武雄市と白石町を視察

image image (武雄市の図書館) image (白石町のマスコット・みのりんちゃんと) image (挨拶をして下さいました田島町長) image (研修中) image (合併して建設した3年目の庁舎が立派) image (干拓地ではムツゴロウが跳び跳ねていました) image (干拓記念館展望台から有明海を望む) image (白石町の田島町長さんと) 図書館を蔦屋を中心としたccc民間化(カルチャー、コンビニ、クラブ)株式会社を指定管理者としての複合的図書館運営に先駆的に乗りだし見事に成功している施設を研修した。 施設には、スターバックスコーヒーも入り、コーヒーを飲みながら読書をすると言う、画期的な取り組み、更には開館時間も大幅に延長し、年間の閉館も極力少なくし、限りなく通年で開く方向に向けて着々と取り組んでいる。 次には、有明海干拓地の白石町の六次化産業の取り組みを町長さんの他8名もの課長、係長の説明を受け、干拓地の現地を丁寧に見せてもらった。 基本的には二毛作で、農地の利用率は180%といいながらも、後継者不足、農業従事者の減少率が大きく、その対策に懸命な対策を取っていた。 かなり、強硬な日程での研修であった。

開国の窓口と重工業発祥の地

image image image image image image image 秋田県町村会の行政視察一日目は、長崎県美術館で秋田県出身の外交官・須磨弥吉郎コレクション、総コレクションは500点にも及びその内から100点が展示されていた。 大半が祭事場に飾られていたもので、木製に描かれた作品の多くは、極めて管理がよく、珍しいとのことであった。 なぜ秋田に無いのか?これは外交官としての須磨弥吉郎が、日本外交の発祥地でもある長崎に寄贈したことにあるようだ。それにしても秋田にないのは残念な気もした。 常設展示場には、竹田信平のアンチモニュメントが出迎えてくれ、長崎原爆死没者追悼をするもので、声紋から、作品を描き出すと言う初めての作品に出会った。 ここでは、瀬戸内寂聴さんの企画展示があり、時間を忘れて見せていたただいた。 美術館が大変に広々と使われ、ゆったりとした雰囲気で観覧出来ることがとても嬉しかった。 次に、日本の重工業発祥の三菱重工長崎造船所の史料館を見学、岩崎弥太郎が引き継ぎ現在の造船の基礎を築いた歴史、そしてその家系としての系譜や人材の豪華さ等とともに、坂本龍馬が土佐から長崎に渡った経過などを思い起こしながら、改めて日本の開国と工業と、造船との関わりを知ることになった。 このあと、やはり開国の窓口、交易の発祥である「出島」の役割と意義を知った。 ここでもまた、日本の夜明けに関わった長崎の歴史を改めて強くした。 自然遺産が長崎だけでも8箇所もあることも歴史の地であることも物語っているのでしょう。 夜には、これまた現在秋田魁新報に連載されている小説に登場する、長崎の「しっぽく料理」を経験させていただいた。

実り多い八日間

image image image image image image image image image デンバーでの交流は実に実り多い八日間となった。 最終日は全くの移動日となったが、時差が15時間と言うことで、このblogもなんだかとんちんかんの日付けになってしまっている。 移動日の前日は、ホームレスの方々への給食サービスのボランテア活動のあと日本人学校の生徒と父兄への日本文化の課外授業が行われた。 まず、館長の本間学さんから日本館での合気道が紹介された。礼儀に始まり、その由来、着けている袴など、更には収蔵されている日本の民俗資料などのいわれ、使い方等私も勉強になった。 次に、今回のテーマの一つである日本文化の「ぞうり」作りの実業がおこなわれた。 ワラの持ち込みが出来ないため、布切れを活用したぞうり作りには、凄い関心が示された。子供たちばかりでなく、親たちも初めてのことであったようで、一定の時間では出来ないため、予め準備した制作過程での最後の仕上げ部分だけでしかできなかったのは残念であった。約20足は父兄に、子供たちにはミニチュアのぞうりをプレゼントした。 このあと、二回目の押し花作りの実演を予定したが、時間的に無理で、一部を見せてプレゼントで終わったが、わーきれい!と感嘆の声が上がった。 日本人学校の子供たちの積極的な質問が多くその積極性には驚かされた。 こうして、今回の交流活動の全てが終わったのが午後2時過ぎで、それから昼食は本間館長の手作りのお茶漬け! 帰国準備をして、夜には、関係者との「DOMOサヨナラ」パーティ。市議会議長オルテガ女史、ホームステイ先のジョウジさん、小学校美術担当の教師、日本館の弟子達との交流など実に充実した日程となった。 今回参加した高校生達も、行ったときとは見違えるようになったように感じた。 積極的な英語での会話もしていたし、交流にも入っていた。 今後の日本館との交流再開に一つの見通しがついた感じがした。 形式的な交流とは別な形の、実態のある交流がより求められてくるのではないだろうか? その、きっかけ、糸口が見えて来たと感じたし、その具体的な準備に入ろうと長い飛行中にに考えた。 本間館長とは、最後に「出来ることからどんどんやりましょう」と話して別れた。 約50年前に単身でアメリカに渡り、車で移動し、その車が壊れた所で住み、活動を展開した本間氏には確固たる信念と哲学があり、一方で日本文化の大事さを持ち続けている人間性豊かな人格者を見るこどができた。

ホームレスへのボランテア

image image image image アメリカでは寄付行為が、社会活動の大きな事業となっているとのこと。 そうした活動の一環で、ホームレスへの食事サービス、ボランテア活動が継続して日本館で行っている。 その活動のためには、日本館の協力者や日本館の職員など大勢が約一時間の間に集中的にそれはそれは忙しい時間になった。 カレーライス、ビーフン・餃子スープ、パン、ケーキ、コーヒー、ジュースなど多彩なものでした。 我々7人も、前日からの準備、当日の給食に当たった。 サービスを受けた方々は300人を越えたようで、準備した食事が無くなってしまうような状況でした。 かなり緊張した時間となった。 ホームレスのかたがたの全てが、サンキューとしっかりとお礼の挨拶をしてくれました。 緊張したと同時に大変に充実した時間となった。