カテゴリー別アーカイブ: 福祉

緊張の連続

今月は大きな事業が連続してあり、かなりハードな動きをしたためか、少し体力的にも精神的にも疲れが残っているような週初めである。 それに加えて、台風19号がかなりの大型で、村の事業に参加してくださる方々も交通機関の乱れやその動き、対応に職員は懸命に対応してくれたようで、何とか無事に終えることができそうである。 国文祭行事もまさしく、文化の原点でもあると思われる、昔語りや、方言など、地域に根ざした文化をしっかりと伝承しつつ、後世に残し伝えていくえていくことの重要性を「伝承文化」として確認し合えたものと確信しているところである。 先週は、医療保健部門では極めて権威のある保健文化賞を受賞することができましたことは、この上ない喜びであり村としても大きな誇りでもありました。その上天皇皇后両陛下にも拝謁することができ感激でもありました。 また、国保地域医療学会では村から4名の学会発表があり、これまで一番多い発表でありました。 このように医療、健康、福祉、教育など村が重点的に取り組んできた分野であり、これからもこうした取り組みを積極的に推進していきたいと考えているところであり、励みにもなりました。 そんな一方で、かねてから進めていた私の実家の解体作業が出張から帰った11日にはすっかりかたづけられ更地になっていた。 やむを得ない事情ではあるものの、どこか誠に寂しい限りで、自宅に入る前に実家の前にしばらくたたずんで育った当時を思い起こしたところでした。 時代は変化していくものでしょうし、空き家となってしまってはどうしようもありません。 複雑な気持ちで一杯でしたが、翌日からはそんなこととは別に忙しい日々を送っている毎日です。 昨晩は我が家の3年生になる孫が、野球スポーツ少年団の紅白試合があり、初めてバッターボックスにたち、レフトの守備位置についたそうで、いきなりデッドボールで出塁、それも緊張のあまり避けることができなかったりであり、出塁をしても足が震えて走ることができなかったなど、大笑いしました。夕食はたらこ飯のお寿司で初デビューをお祝いをしました。    

いつもながらのご挨拶

秋田県社会福祉協議会会長の佐々木滿さんのご挨拶は、以前にもこのブログで書き込みしたことがあるが、時代の流れ、日本の流れから世界をも見通した的確な動きを捉えた挨拶で何時も感銘深くお聴きしている。 今回も評議員会があり、出席したが、恐らく高齢とご本人は仰っているが、会長職を退任なさるようで、最後の挨拶であろうと思って感慨深くお聴きした。 人口問題とアベノミクスの関わり、特に第三の矢である「成長戦略」がなかなか進まないのは、経済学者は生産性を重視しているが、氏は、心理的な面からその進行が遅れておるように感じ、それが人口問題特に若者世代の減少にも起因しているのではないだろうかとおっしゃる。 20世紀は若者が増加し、それに伴った仕組み制度がつくられた、1990年代からは、高齢化、少子化が顕著になり日本などの先進国が悩んでいるし、そのフロントランナーは日本である訳です。しかし、その次は、中国が猛烈な高齢化に悩み、続いてインドとなる、つまりアジアの高齢化が進む、そんな中にあって、アメリカは違う、移民の国であり、若者が成功の国として集中する、そのアメリカも、違った大きな悩みがある。人種問題である。 また、福祉に対する考え方も違っておる。世界的な世論調査では、アメリカは負担は少なく福祉水準も低くともよいとされており、オバマ政権とは少し違うようだ。ところが、日本はこれとはまた違って、福祉は高く、負担少なくとなっている。 1980年代、高福祉・高負担で国民は利益配分を受けたが、その利益負担つまり負担分配の方向をしっかりと示す政治家の役割が重要になってくる、と締めくくった。 政治家であり、豊富な経験と知識、卓越した官僚であった佐々木滿さんのお話がこの後聞けないのは残念であるが、一時代を画したすばらしい方のご功績に心から謝意を申し上げたい。 ありがとうございました。 後任は、どうやら県庁OBの方が就任するようだ。

幸寿苑の敬老会

特別養護老人ホーム「幸寿苑」の敬老会が開かれた。 子供の頃から厄介になっていた方々が数人入所されていて、何となく複雑な思いがした。 あの元気な方々が年齢には勝てずに入所されており、うれしそうに昔話をしてくれるのでじっくりと聞いていると時間がどんどんたってしまう。中には、自分の体がままならなく、歯がゆそうに目に涙を浮かべている方もいて、思わず手を握ってしまう。それでも、今でも覚えていてくれて、懐かしそうに話したり、うなずいたりしておられた。 余興には、踊りの会の皆さんがボランテア活動の一つとして出演してくれていた。 出演者の方々を知っている方もおり、入所されているその地域の方々に紹介すると、盛んに拍手や大きな声で声援していた。

孫たちが敬老

今年の敬老会の最後はわたくしの地元の岩井川地区の敬老会で終わった。 どうした訳かいつもの年は参加率の多いはずの地区参加者が100人足らずであった。 それでもいつもお世話になっている先輩方が楽しく集いにぎわっていた。 いつもの、地区のご婦人方による「歌謡踊り」や懐かしい「やくざ踊り」などで盛り上げ、さらには岩井川児童館の孫たちによる「ハンドベル」の演奏と司会者により、孫たちが自分のうちのジイチャン、バーチャン、中には大きいジイチャン、バーチャンの名前を紹介させて、参加者の皆が、ほー誰それの孫かと改めて喜んでいました。 新しい試みでした。 昨日は、この敬老会の前に簡易水道工事の浄化施設の安全祈願祭があり工事の無事をお願いしてきた。 敬老会の後には、すぐそばの「なるせ直売所」に小さな孫たちと愛犬「ココア」と散歩、直売所も結構なお客さんでした。 話題は、やっぱりキノコでした。 みんな期待しているんですなー。 でも、朝一でキノコは売り切れてしまうんですよ!

話好きな年配者

椿川と大柳地区の合同敬老会が開かれた。 この二つの地区が合同で開催されるようになって数年になる。すっかり定着してきている。 昨日も、皆さん全員にあいさつしながら久しぶりにお会いしての話が弾む。 そんなときにふと感ずることがあった。 年配になればなるほど話好きであることであった。 足が思うようでない、腰が痛い、耳が遠い、目がよく見えなくなったなどなどと体が若い時の頃を思い出しながら、昔話や、地域のこと、薬や薬草などと参考になることもたくさんお聞きすることができる。 そんな話をしてくれるのが、年配者であればあるほど懐かしく次々と話が弾むことが多い。 やっぱり、こうした形で年に一回ではあるが直接お話しできることは大事であるという思いが強くなった。 わずか2時間ぐらいではあるが語り合える幸せを感ずるひと時であろうと改めて感じた。 来年の再会を楽しみにしていることを申し上げて、健康であってほしいとあいさつでもさせていただいた。