東成瀬に鉄道計画!

(わが村にも鉄道計画があった!)

これまで、郷土資料でも「消えた鉄道敷設」として大正の初期に十文字駅より東成瀬村に通ずる鉄道を敷設するための測量がなされた、それによると田子内にも停車場ができるよていであった。その後、昭和四年三月、水沢町より若柳村を通り増田、十文字に通ずる鉄道敷設の件が当時「椿川線鉄道計画」といって衆議院の誓願委員会において採択されたが、結局計画倒れに終わった、とある。昭和7、8年ごろには鉄道敷設予定地に測量士たちによって、杭が打ち込まれてもいたようだ。この計画は吉野鉱山の規模拡張からの鉱石搬出や東成瀬村の豊富な森林材の搬出にも関係していたようだが、吉野と十文字間の地元住民の鉱煙と鉱毒被害のための田んぼが荒廃するとして反対運動もあったとかで立ち消えとなった。とある。 そうした郷土資料にも付いていなかった実際の計画概要図が増田町の千田元町長から見せて頂き、村の玄関に掲示させていただいている。 この計画図では、十文字から東成瀬村桧山台までの計画で、前述した内容とは少し違うようだが、いずれにしろ村にもそうした計画概要があったことは、とても興味深いものとなった。 是非ご覧下さい。 正しく大正ロマンです!

成人式

(新成人との記念写真) (アンケート記入中の成人者たち) 成人式を行った。 今年は21名のうち16名が参加しての成人式になった。 中学校の学級主任と担任、更には現在の校長先生も見守るなかで、学級担任から指名点呼を受け起立したその姿はどこか凛々しくもあり、逞しくも感じられた。 次代を担うこの新成人には常に前向きで果敢に挑戦する気概をもって前進して欲しい。 また、東成瀬村出身であるといつどこでも発信できる人間になり、故郷「東成瀬村」に誇り持てるようになって欲しい。我々も頑張るが皆さんも頑張って欲しい。 そんな期待をこめての祝辞を述べさせていただいた。 

村の夏祭り

(こども仙人太鼓でオープニング) (YOSAKOI仙人郷で盛り上げ) (出店で大にぎわい) (約20分の打ち上げ花火でフィナーレ)

私の地元の地域での夏祭りが昨日行われた。例年行事ながら地域の方々と帰省した人達が会場のあちこちで談笑し、一杯やりながらの楽しそうな夜となったようだ。最後は、恒例の打ち上げ花火で締めくくった。 我が家からも短い休みを終えて今朝早く埼玉に三男家族が帰って行った。 帰られると寂しいものです。無事に帰って欲しいと願うばかり。 いよいよ秋に向かいます。

須川高原は秋の気配

(須川高原はすでに秋の気配があった)  (成瀬川で遊ぶ孫) (こんな光景も少なくなった、川で遊ばせたいですねー!) 帰省した孫を連れて須川高原に行く途中、岩井川の城下、通称「桜淵」の下流で川遊びをさせた。 渓流に生息するハヤの稚魚が沢山泳いでおり、夢中になって遊んでいた。水は少し冷たく感じられたが、私もしばらくぶりに腰まで浸かって、つかの間の休みを孫たちと楽しんだ。 なかなかこんな機会はないばかりか、第一 川に入ろうにも川までの道が手入れされておらず、行くにもいけない。 以前は、この時期帰省した人達が一番の楽しみは川にいって遊ぶことが故郷を感じる最大の楽しみであったろうに、なかなか行けないでいる。 発電事業者の管理下になっている水路の上を通ることから、危険であるとして、その上の橋が厳重に管理されて通行できないのが現状で、何とか一時的でも通行できないか交渉したが、「いわゆるお上のお達し」で事故の場合の責任問題があり、通してもらえない。 ならば、その管理が及ばない下流に橋を架ければどうなるのか? そこまでしてでも、川に親しませたい想いは強い。何とかしたいものです。 久し振りに入った成瀬川はかなりきれいになっている。合併浄化槽や台所や洗濯など家庭の生活環境の変化にもよるものでしょう。 栗駒にはすでに秋の気配が漂っているように感じたし、露天風呂からはススキ越しに鳥海山もきれいであった。 お湯加減も良くゆったりとできた。      

家族が増え出す

(定番の花火遊び)

お盆休みに帰って来た三男家族4人が加わり11人が現在の我が家。もう二日すると更に次男家庭が5人が増える予定だが、こちらは孫たちも大きくなりそれぞれの予定があって、なかなか揃わないかもしれないとのこと。 段々そうなるんでしょうなー。 いずれにしろ、賑やかな時期が来ました。 みんな元気でそれぞれに暮らしているのが何よりです。