今年の議会開会

平成27年の村議会が開催され、今年は議会議員の改選年にあたり任期一杯の4月29日までの109日間とされた。 今議会には、米利用施設設置条例を議決いただき米粉などの米の利用施設として幅広く活用することにしました。また特別養護老人ホーム「幸寿苑」を湯沢市の「雄勝福祉会」を指定して管理をお願いすることにしました。福祉施設などの運営を民間に委託、指定管理などをする方向が年々強くなってきており、その運営にノウハウのある民間事業所に実際の運営をお願いし、これからも入居者に対するサービスの提供はしっかりととっていただけるものと確信しての指定管理です。 昨日は、この議会の後も多くのお客さんがご挨拶にみえられ、合併浄化槽の維持管理の問題、成瀬ダムの新年度予算が閣議決定されたことに伴い22億円あまりが決まり今後国会で審議されること、その予算額が昨年よりも少ない要因などを含めての話し合いをしました。 一方、NHK秋田放送局長さんからは、懸案であったNHK秋田放送のラジオ番組がFM波を使っての受信が年末までには可能に成るための受信中継局が蛭川と岩井川に建てられることになった。 この運動は10年以上も前から要望していたもので、やっと念願が叶うことになるといううれしい話でありましたし、粘り強く運動はするものであるとつくづく感じたところでした。 秋田県では初めてですし、全国でも4j箇所ぐらいしかない事業となり、災害強靱化対策の一環とはいえ今後こうした要望は強くなっていくものと思われる。 朝の散歩の途中、近頃あまり見かけれなくなった雀がたくさんいたのでパチリ!餌付けでもしているのか随分と多くいた。

通年議会の開会

image 昨年から始まった「通年議会」が2年目に入る。 議会改革の一環で条例化し施行されたわけでるが、なにせ、秋田県では最初の施行であり、どんな事案、対応が議会、行政で対応する先例がないことから懸念もされていたが、双方と事務局など担当レベルでも相当綿密な協議打ち合わせをしながら、対応してくれて、全く問題なく、むしろ、有効に機能しこれまでの議会運営、行政執行の双方に効果があったように理解している。 今日は2年目に入る最初の議会で、年間を通じて開催される議会の日程が決定される議会になることになるものと考えられる。 今年も議会とともに村政進展に最大の努力をしなければならないと朝の散歩をしたところでした。 今朝は、スキー場付近から朝日が上る気配があり、さらに出勤のときには薄日が差し込み、青空ものぞく穏やかな朝方であった。 我が家の紅梅も過ぎ塩梅である。

重たい雪

昨日の雪は重かった。 この雪は、雪だるま作りやかまくら作りには誠に作業しやすい雪だっただろう。 都合で、車庫二つを管理することになっているが、その一つはかなり大きい。 農業用の倉庫、牛の畜舎も兼ねていたものですから長くて軒先が今年の雪だとつかえてしまう。 とても手に余って、重機械を頼んだ。 この分だと今年はまだまだこれに頼るしかないだろう。 車庫も雪を寄せると、息がつけるようになってすっきりしているようだ。 午前中はスキー場に行ったが、圧雪作業の後に降った雪が多く、私の脚力ではとても手こずってしまい、3本ほどでやめた。 怪我でもしたらとんでもないことになるからなー。 そこに、新設した牛の畜舎関連施設に後背地の山から雪が落ちているとのことのようで心配していたら、担当者が見に行って大丈夫とのことで一安心。 でも、最近の降雪状況からすると、根拠はありませんが、恒常化のように感ずることから、何とか対策を考える必要を感じている。 具体的に考えてみたい。

買い物ツアー

image image (黄金山神社) image image (女川マリーンぱーくのお魚市場) 家内にたまにはこうしたツアーにも参加してよ!と言われ宮城県女川町への、バス会社の新春買い物ツアーにでかけた。 出てみたらなんと参加者の多いこと!ほとんど夫婦連れ。これでは私も参加しなければいけなかった。 早めに起床、雪片付けを済ませ、薄暗い7時前には出発。 途中、涌谷の国史跡に指定されている黄金山神社に参拝、商売繁盛祈願、私は不自由しない程度のお願いをした。 羊羹本舗、蒲鉾本舗、目的の魚市塙「女川マリンパル」に。 本来の市場は被災しており、仮設の市場での営業、狭いながらも懸命に復活に向けて頑張っていました。 女川町とは前町長さんとご懇意にしていたことから、被災直後にお見舞いに来てからのことで、順調に復興されているようでした。 参加者は、買い物ツアーとあって、お母さんがたの買うこと買うこと! まさしく買い物ツアーでした。 往復久しぶりにゆっくりと過ごした。

盛大な葬儀

我々町村の強力な指導者であった齋藤正寧井川町長(秋田県町村会長・全国町村会副会長・秋田県国保連合会理事長)が肺癌を発症してから3年、治療を続けていたが、1月4日急急逝された。 元気に治療をしながら元気に公務をこなし、あんなに元気だったのに、茫然自失であった。 その葬儀が昨日10日井川町民葬と齋藤家の合同葬としておこなわれた。 故人の人徳が偲ばれるようなまことに盛大にとり行われた。 我々としては、大きな支柱を失ない、特に地方創生という大きな課題を抱えている今 困惑仕切って居るように感じているのではないだろうか。 私も副会長として何ら役に立つことは出来なかったが、多くのご指導をいただき大変感謝している。 そうした思いをこめて弔辞で述べさせていただいた。 全国の町村長で山梨県早川町町長の9期と同じでこの2月には10選を目指して一旦は出馬表明したが、医師との検査結果から、断念した、残念であったことでしょう。心中を思うとなんとも申しあげようがなかった。 会長とは、いろいろな思いでがあるが、その一つに、モンゴル共和国との友好親善交流会に会長とご一せていただいた。 遊牧民の住居である、ゲルでの体験、馬乳酒を一気に飲み干す豪快さ、出てくる食事を解説してくれ、残さず食べる健啖ぶり、食通であり、グルメぶりは楽しい話題で持ちきりであった。 そんな食通をして、我が村のいぶりがっこと熊の油の味噌漬けは、珍味、最高と激賞され嬉しい限りでした。 会長が認めるんですからこれは、自信を持って良いことであると思っている。 モンゴルでは、奥さんのたてるお茶を参加者に大草原でもてなす気配りなどをするやさしい方でもありました。 一方、国や県には堂々と町村の意向を提言、一歩も譲らない姿勢を貫かれた。 実に頼もしい指導者でした。 本当にありがとうこざいました。 齋藤会長安らかにおねむりください。 葬儀からの帰りに今度は電話が入り、火事が発生とのこと。 椿台でほとんど全焼とのこと。 この冬に大変なことになってしまった。 幸いなことに怪我などがなかったことは不幸中の幸いなことであった。被災した鈴木さんには心からお見舞い申し上げたいし、日赤からの毛布、救急箱などをお届けした。 早速現地で見舞い、消防団など関係者にお礼申し上げた。