カテゴリー別アーカイブ: 雑感

雪の山

image 一昨日の積雪深が、役場測量地点で185cm、前日からの降雪39cmと今冬では、最高の記録ではなかったかな。 朝一番の動きは、新聞屋さんだと思うが、配達には軽トラが多い。 雪の日であっても、まだ除雪車の作業が終わらない前に配達する場合も当然あるわけで、そうした場合であっても、軽トラはぐんぐん雪を漕いで走ってくれるようで頼もしい存在である。 一昨日は、その軽トラも走れないくらいの降雪量で、配達も全くの歩きでした。 私も、早朝の除雪は、まず、新聞配達の車の後を確認してから、除雪を始めるが、雪をこいだ跡を見ることによって、その日の雪の深さを確認出来る。 こんな事は、ひと冬に1回あるかないかである。 ところが、昨日も物凄い風で、吹き溜まりもあり2日連続ので降雪量となり、玄関からはとても出ることも出来ず、仕方なく車庫から出るはめになった。 こんな事も珍しい。いよいよ豪雪対策本部設置かなと言う状況下である。 除雪、排雪場所も次第に雪山となってきている。 ドーザー、ブル、ロータリーだけでは対応出来ず、他の重機械も取り込んでの総動員体制に近づきつつある。 こうした体制を常に取れるよう建設業さんとの連携も非常時には欠くことが出来ないことになる。 そんな合間に、子供は関係なく雪山に登って意気軒昂である。

雪の事故

秋田での会議を終え懇親の場に携帯電話が鳴った。 何だろうと思ったところ、実家の義姉が除雪作業中であったらしいが、裏の池に落ちて亡くなったとのこと、挨拶もしないまま大急ぎで帰ってきた。 聞いてみると、午後の昼食後に暖気になって、屋根の雪がすっかり落ち、その雪が下屋部分に落ちて、一階部分がすっかり閉ざされた状態になり部屋が暗くなってしまい、それを掘り起こそうと出かけたのではなかっただろうか。 その掘り起こそうたした雪と下屋部分の雪が暖気でさらに滑り、池に入りこむようになっているのがここいら辺りの家の環境であり、そのすべりおちた雪と一緒になって池に落ちてしまったのであろうか、恐らく一瞬の出来事であっただろうと思う。 しかも、今年の雪の状況からして、池と雪のてっぺんとは数メートルはあり、とてもとても一人で這いあがるような状況ではなかったのではないか。 今冬の雪による事故は県内ばかりでなくあちこちで報告されている。 その際の注意点として、一人での作業はしないように、あるいは命綱をつけることなどが注意事項とされているが、現実はそうした作業はなかなか取れる状況ではなく、自然と一人作業が多いの現実である。 まさか、私の身の内からそうした事故が起きるとは予想だにしておらなかっただけにショックも大きい。 雪の事故を他人ごとみたいに感じていたことであったが、現実問題としてはそうした事故が我々の身の回りにあることを改めて感じた。 いつもはかなり慎重な作業を行う義姉であったし、農作業でも、段取りも良く落ち着いた作業をしている人であったので、残念でならない。 やはり、油断せずに、作業は2人以上でできるだけやるようにしなければならない。 先週も、道路に滑り落ちた雪を除雪する際も、義姉に手伝ったのであるが、作業しやすいようにすっかり段取りをとり、手伝ってくれたのに、どこかに油断があったのであろうかと思うと、本当に残念でならない。

思いやりのコラム

猛烈低気圧の影響で日本列島は大荒れに荒れた。特に首都圏を中心に東北太平洋岸では、普段あまり雪が降らないために交通機関や歩行者にも大きなダメージを与えてしまった。 転倒者や骨折事故、車は全くダメといったことになってたほか、日本海側から太平洋岸の首都圏、東北太平洋岸に出かけたバスや自動車も、自分の車はそれだけの備えをしていたのであるが、他の車にはそれだけの準備がないために、渋滞に巻き込まれてしまったようで、12時間遅れなんかはざらであったようである。 そんな状況をメデイアは象徴的に報道していた。 気象庁の予報が外れたといったことも大きく報道されていた。 そんな中で、新聞のコラム欄でもこの爆弾低気圧と雪に対する考え方、あるいは基本的なそのコラムニストの考えが文章の中に表れていて興味深かった。 我々雪国に住む人間にとってはごく当たり前の備えなり日常の生活の一部であるのであるが、その違いについて、雪国に住む人間に対する、ある意味過酷な生活をしている地方に対する思いやりが感じられるコラムとまったくそんなこととは別に、他者についての気遣いなどは全く触れずに、ご自分の雪作業の大変さや、対応などのみを文章化していることに気づいたところでした。 「メートル単位の雪と暮らす北国の人には申し訳ないが」といった表現だけで、我々からするとどことなくこのコラム担当の方は、地方についてもしっかりと思いやりを込めて書いているんだという気持ちにさせてくれる。 やはり、こうしたわずかなことであっても、しっかりと気遣いは大事であるような気がしたところでした。 自分も何か書くときにはそうした心がけが大事であることをあらためて感じた次第でしたが、さてできるかどうか。 気持ちだけでも持ち続けたいものである。

「かまくら」を作る

小正月のころには「かまくら」を、友達同士で作り、敷物やら食べ物をあれこれ持ち込んで子供たちの世界というか、なんか特別な雰囲気で、こっそりと秘密めいた喜びを感じた思いでがあった。 最近の子供たちと言っても、孫たちはとてもまだ自分で作ることはできないので、親たちから作ってもらって中に入って遊ぶ程度である。 自分の息子たちはどうしたかというと、あまり作ってやった覚えもなく、どちらかというとスキー場通いが忙しく、そうしたことをやってあげた思い出が少ない。 そんな思いでいたところ、連休中の一日、息子が孫たちに「かまくら」を作ってくれていた。 雪も降り、出来上がったかまくらに、ほんわりと雪が積もり型の良いかまくらになっていた。夜になってから中で飲み物や、餅を焼いて食べることにしていたようだが、折からの吹雪もようになって、ローソクで明かりをつけて、中に入っただけであったが、孫たちは大喜びであった。 早速、沖縄にいる孫たちにメールで送ってやったら、うらやましがられていたようである。 天気具合を見て、かまくらの中で、甘酒を飲ませてあげる計画が進んでいるようだ。 ところで、昨日からサーバーが不調でパソコンがつながらず、こうなると全くお手上げ状態である。 電力がないと生活が混乱すると同じで、ITもどこかに異常が出ると相当な混乱をきたす時代であり、あまり頼りすぎもどうかと思うが、今更そうした時代での業務にすっかりと慣れっこになってしまうとどうしたらよいのか困ってしまう現実があり、複雑な思いがする。

年賀状に思う

毎年年末になると年賀状のことについていろいろな話題が出てくる。 それもこれも、時間に追われて、郵便局でお願いしている期日までになかなかポストに出すことができず、あーだこーだと言って弁明にこれ努めている。 そんな一人の私であるが、今度こそは、あて名書きだけは住所録から打ち出して印刷することをご勘弁願うことにして、必ず自筆で下手であっても何か一言添えてご挨拶をしたいと思っている。 今年の課題にしようと思っている。ちょっと気が早すぎはしないかなと思うが、実は、新聞を読んでいたら、投書欄に「年賀状を出せるのは喜びなのだ」という投稿があった。 80才になられる方で、「いくつになっても年賀状をいただくのはうれしい、家族の写真や消息を確かめ、手跡を確かめ、送ってくれた人の顔やその人とのつながりを思い浮かべるのは、元日ならではだ。」 私にもあるのですが、最近は「病気で体力も劣え、また加齢のため年賀状を書くのが億劫になってきたので、今年限りで欠礼させてくださることをお許しください」といった年賀状が届くようになってきた。どこかさびしく残念な思いに駆られる。 この方も、退職して20年余りやはり年賀状が億劫になって今年限りと思ったことがあったようですが、元日の朝のうれしさを思うと、やめることができない。とのことです。 年賀状を書きながら、そうか、年賀状を出せるというのは喜びなんだ、と気づいた。「私は元気です」と知らせることのできる喜びである。そして、「あなたを忘れていませんよ」という返信は、生きる励みになる。生きている限り、これからも書き続けよう。と結んでいる。 そうなんですよね! 特に私なんかは一昨年に大きな病変が見つかり手術という人生において最大の危機に直面したものにとって、その後の体調がどうなのか、あるいは、元気なのか、もう駄目なのか、その後の状況も知りたいこともあることであって、なかなか聞くことは気が引けるわけで、そうした意味合いからすると、その本人から年賀状が届くということは礼儀からしても大事なことであると思った。 そんな時に、一言添えた年賀状は非常に大事であると思った次第でした。ちなみに一昨年は「一陽来復」として年賀のご挨拶をし、できるだけの方々に対し一言を添えてご挨拶をした。 外国ではクリスマスカードが年賀状にあたると思うんですが、これは年賀状とはまた違った趣であり、やはり日本文化の「年賀状」はやはり年賀状であるのです。 そんな思いでこの投書を読んだところでした。 大荒れの天気も一息ついて、昨日の夕方はかすかな夕焼けもみられ、除雪機械も幾分緩んだ気温の中、排雪場所に雪を一気に押し寄せていました。