カテゴリー別アーカイブ: 教育

市町村合併って何だったんだろう?

  平成の市町村合併が強力に推し進められ秋田県も69市町村から25市町村になった。 全国6番目くらいの合併の進んだ県となった。 その合併に対しては手厚い財政支援があり、多くの自治体が参加し合併に取り組んだわけで、合併特例債、交付税の特例措置などのほか秋田県独自の財政支援も行われるなど、それはそれはあらゆる支援が行われた。 我々、単独自治体は、その方針に沿わなかったわけであるから黙って眺め、何ら口を挟む余地がなかったわけで、それはそれとして耐ええながら、独自の行財政運営を進めてきたところである。 ところが、最近になって、市町村合併によって行政区域が広範になった、旧町村単位の支所運営に要する経費が係りましになる、あるいは当初かから一定期間の特例として交付税措置が決められていた。 しかし、最近になって、そのことのすべてについて、さらに期間延長とか、特別措置を要望する意見が大勢を占めて政府国会に要望することが相次ぎ、結局のところそのすべてが認められそうな状況である。 これって何だろうと思わざるを得ない。 一体、平成の市町村合併は何を目的に進められたのだろうか? 先日のテレビでも、そもそも市町村合併が進められるべき大都市の東京や大阪ではあまり進まなかった。北海道ももちろん進まなかった。 北海道の場合は当然として、大都市周辺での近接している自治体こそこの市町村合併の効果があったはずなのに、進まなかった。そもそも論みたいな研究機関の主席研究員からの意見もそえられての放送内容であった。 そうしたこともあり、最近の報道やいろいろな動きを見るにつけても考えさせられことでもある。 今要望されていることや、話題になっていることや現象は当初から想定されることでは無かっただろかと思うばかりである。 今更あれこれ言っても無駄でしょうし、それだけの支援もまた必要でしょうがねー。どうもねー。 昨日は、子ども・子育て関連3法が成立したことを受けて、村としてもその計画樹立に向けての準備に入りました。 その諮問会議で、よりよい計画樹立のためのご意見をお願いし、村としての子育てが実りのある計画になるよう願っている。

「時」をテーマに東中祭

東成瀬中学校の学校祭が、時永遠(ときとわ)  「感動の瞬間」「永遠の絆」のテーマの元、たくさんのご父兄を迎え、さらに折から村を訪問しておられた日本でもっとも美しい村連合の東北ブロック研修のお客さんも参加されての東中祭であった。 今回は、こうした方々ばかりか教育に関心のある方々はどんな学校祭になるのか結構関心があったように思われた。 合唱、全校ブラスバンド演奏、生徒会中心の運営など特徴がしっかりと発揮された学校祭であったように感じた。 ほかに椿川地区の秋のフェステバルがありそちらにも出席することとなり、全部を鑑賞できなく残念であったが、生徒たちのたくましく想像力あふれたイベントと企画には大きな拍手を送くりたいし、大いなる活躍と、前進を期待したいと思っている。 椿川地区では、落語家の桂三若さんを迎えての落語鑑賞と結構それぞれ工夫した地域活動を行っておりました。 大変結構なことです。 こうした形で、それぞれの団体、地域が自主的に活動を展開していただくことは何よりも好ましい姿であると考えている。

学習発表会

東成瀬小学校の学習発表会があった。 「つくり上げよう!ハートフルステージ!」を学習発表会のテーマにしての発表会であった。 校長先生からその意味が説明があり、「心のこもった」ステージにしようとする思いのこもった内容にしたいとする気持ちの表れた各学年の発表であった。 この春に入学したばかりの一年生の素晴らしいい成長ぶりを示してくれた元気な開会挨拶から始まった。 会場は多くの家族がたくさん参観に訪れ、ひとりの孫や子供のために6人ぐらいは参観者という家族も多かったようでした。 かなりの長い時間、しかも内容の濃い演目もあり、会場からは「すごい大作だ!」といった声が上がっていました。 ふるさとの歌・悠久の風にのせて は聞くたびにそのコーラスぶりが元気になり、会場は心地よい雰囲気になりました。 ガンバレ成瀬っ子!

 

隠岐諸島へ

image image image 隠岐の海士町と西の島町を訪問している。 鳥取県七類港から フェリーで約3時間あまり途中知夫村の来去港、西ノ島町の別府港、海士町の菱浦港などに寄港しての航路である。 海士町では山内町長さんと離島振興、キャッチコピー「ないものはない」の趣旨、町おこしなどを、斎藤会長とご一緒に意見交換させて頂いた。昨日まで日本で最も美しい村連合の戦略会議が開かれており、最終日で出席した方々を見送りされていた、大変忙しい合間の町長さんに面接できて、恐縮した。 海士町にその手伝いを兼ねてきていた、地域おこし協力隊の佐藤さんの案内で町内を視察させて頂いた。 先日、魁新報のシリーズもので紹介された、海士町在住の秋田県出身の秋元さんと町営学習塾の話しができて、とても参考になり、今後の方向付けにもなった。 民家を借りての塾であり、間もなく、別建ての施設が計画されているとのことでもあった。 何よりも、この離島で秋田県出身者が頑張っていることに感激もした。 200人を超える移住者がいること、その多くが、教育などのための移住であること、そのきっかけ、今後にかなりの関心を持つこととなった。 それは秋元さんを含む指導者であり、勉強、受験生であることにも 強い関心を持ったところでした。 隠岐諸島は多くの島で構成されていた、歴史的にも古く、海路の重要港湾があり、後鳥羽上皇や後醍醐天皇などの遠流の地でもあり、政治に関わって流された著名人も多かった歴史の地域でもある。 直木賞作家・安部龍太朗さんの「天馬翔ける」の最後の場面で、天馬密輸の輸送中に、嵐に遭遇、避難した港はどこだったのか?船から下ろし疾走させた草原はどこだったのか?西ノ島の鬼舞展望か国賀の魔天崖の地であっただろうか?最終目的地の境港に無事つき、運んできた「天馬」を幕府に献上したロマンあふれる小説を思い出した。 そうした尽きない想像が次々と浮かんでくる、要衝の地の隠岐であった。 海士町は小綺麗な掃除の行き届いた、街で、気配りのある町とみた。 公共施設もさりげなく掃除が行き届いていた。

保育園運動会

  なるせっこ運動会が開かれた。 この時期、なかなか天候は変化しやすく、「○○心と秋の空」と冗談を言い合ってきたし、その時々の誰かを、例えば園長さんのせいにしたりしてきたのですが、昨日は全く文句のつけようのない秋晴れの下、園児たちは思う存分元気いっぱいの運動会を見せてくれました。 家族のみんなが見に来てくれているからでしょうか、普段元気に練習していたであろうに、この日は、甘えて泣くやら、だっこするやら、座り込むやら、にぎやかなものでした。 保育士さんたちは、そんなことは、とっくに御見通しで、どんどんプログラムを進める。 毎年のことながら、よくもまーこんな遊戯種目を考え付くものだと感心しきりの声があちこちで上がっていた。 午前9時に始まり、お昼までびっしりの日程を見事にこなし、大盛会の運動会を終えた。 子供たちも、ご家族の皆さんも、何もかも忘れて熱中しきって、はまり込んだ運動会で大満足の様子が強く感じられた。 この日のため、仙台などの宮城県、岩手県、青森などからおじいちゃんおばあちゃんが駆け付け、久しぶりの孫と過ごせてさぞ楽しかったことでしょう。 皆さんありがとうございました! なるせっこばんざーい! 終わりは理事長の万歳三唱でした。