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100万都市広島

西日本の中心都市のひとつ広島はやはり観光や会議などに訪れているのでしょうかやはり多くのお客さんが多かった。 原爆記念碑や平和記念公園でのバスも相変わらず多い、戦争当時の産業奨励館は無残な姿で後世に残すために保存しているが、その維持にも多くの苦労があるようだ。正面からはよく見ているが、今回は別の方角からもみることができた。 いろんな思いがめぐらされた。 宿泊されたホテルのロビーには色紙が準備されていた、なんだろうと思ったら千羽鶴を折り平和記念公園にあげるものであった。 すべての市民や訪れるお客さんにも戦争の悲惨さをこうした形でしっかりと認識しつつ、語り継ごうとしている姿勢がうかがわれた。 近くには、頼山陽史跡資料館があり見学した。 江戸時代の歴史家、画家、詩人などとして、あるいは学問にも秀でて広島藩の学者として迎えられた人の資料館である。 特に書家としてはその筋の方々はたぐいまれな書家として崇拝されていたようであるし、詩人としても若くして名をはせたようでした。 旅好き、酒好き、女好きの一面もあり、一言でいえば、「自由人」という言葉がぴったりの人であったようです。 一方では思想家でもあったのではないのでしょうか。 実は、頼山陽の掛け軸を私の亡き父が持っており、生存中に何回か聞かせられたことがあり、頼山陽の名前だけは知っていた。 しかし、どのような人物であったかは調べもしなかったし、掛け軸もうろ覚えに記憶していただけである。 今回、そのゆかりの地に行き、書画を見、概要に触れたことになる。 いつも持ち歩いている私の両親の小さな写真とともに訪れているうちに、頼山陽はそうした自由人でありながら、親孝行で旅に連れて歩いたことを知った。 私は、両親の元気なうちには旅行にも連れて行くことができなかった。 写真で連れて歩いてもどうしようもないとつくづく思ったところでした。

呉市と広島を視察

image image 台風24号の影響をあまり受けないで瀬戸内海をフェリーで渡り、呉市で戦艦「大和」関連のミュージアムをしっかりと見学した。 戦艦は戦艦として、あの製造技術と、発想力、頭脳の凄さに驚くと同時に、その船舶技術、海洋技術などの工業技術、科学技術があらゆる面で、今に脈々と引き継がれ活きていることに、驚嘆した。 昨日発表された、ノーベル物理学賞の受賞においても、日本の科学技術の粋が活かされて実証実験によって証明されたとのこと、それに関わった科学者は100名を越えているとのことに、誇らしさを感じたところでしたが、それが今日また日本人の素晴らしさを改めて感じることとなった。 この後、広島市郊外の自動車のマツダ工場を視察した。 会社設立と歴史などと共に、昔懐かしい三輪車などから、ル・マンレースで総合優勝した車、次世代の車、水素自動車などを見ることができた。 自動車の組み立て工程では、昨年トヨタ自動車工場でも見学した折に感じた、作業員の方々に対してどこか空しいようなかんじが禁じえなかった。 大変失礼ながら、機械化された中での人間がする事の単純化作業と機械に追われているようで 何かはかないような気がしてならなかった。 やむを得ないと言えばやむを得ないし、それが、現代企業の宿命であり当然のことでありましょうが そうした機会にふれることのない私にとっては、大変な作業なんだなーとつくづく感じたところでした。 大企業はそれをとことん追求していくことであることの現実を垣間見たことにもなった。

交通災害共済研修

image image 秋田県総合事務組合が行っている交通災害共済事業の研修視察地に、全国でも順調に事業が運営されている愛媛県組合を選び審査委員の方々と共に研修した。 加入者の減少、災害認定に当たっての複雑化、加入団体の脱退、民間保険会社の進出など抱える課題は互いに大きかったものの、大いに参考になった。 これからの事業に役立つものと考えている。 台風24号の影響をもろに受けて、移動には事務局もかなり苦労したようであった。 今朝の台風予報では、進路の真っ只中に秋田県地方があり、そちらのほうも心配でならない。 何とか進路がずれるかしてほしいと願うばかりである。 瀬戸内海も台風予報の影響で曇っており、フェリーもゆれている。

職員の訃報

54歳の民生課参事・高橋明君が9月28日に急逝した。 昭和54年役場職員となり、農業委員会、税務課、建設課、国保診療所、民生課などに勤務、この間介護保険業務や後期高齢者医療制度などの国による制度改革に伴う、広域的な共同業務移行に伴う準備に、職員として派遣、他市町村の職員と協力しながら何かと気苦労の多かったであろう業務をしっかりとこなし、現在の制度立ち上げに大きく貢献していただいた。 昭和54年と言えば、現在の庁舎が完成した翌年であり、役場業務が新たなスタートを切った年である。 彼は、職員の傍ら青年会活動にも参加、スキー、野球などを楽しみ持ち前のパワーあふれるプレーと滑りを見せてくれたし、現在は職員の親睦団体の会長を務められるなど信頼感強い職員であった。 剛毅な性格はしっかりとした信念を持っておられる一面でもあったものと思っている。 これから中堅職員としてしっかりと頑張っていただかなければならない人材であり誠に残念であった。 ご家族の方々にも心から哀悼の意を表したいと思います。 今日午後葬儀があり、弔辞を述べさせていただくが、何やらやるせない気持ちでいっぱいである。 紅葉が次第に山から次第に下りてきつつあり、里では秋の草花が咲きあなたをやさしく送ってくれているようです。 どうぞ安らかにお眠りください。 明君、これまで大変ご難儀をかけました、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。 心からのご冥福をお祈り申し上げます。  

水の町視察

理事会が美郷町であり、補正予算、秋田県に対する要望事項などを審議決定の後、一年一回の県内町村事業研修を行った。 美郷町は、六郷、千畑町の2町と仙南村の3町村合併によって秋田県でのし市町村合併の先陣をきって誕生した町である。 仙北平野の広大な面積を要し、農村風景の美しいい町であり清水群の町、最近は、合併によって学校統合が進むその空き校舎など施設の有効活用対策として企業誘致を進め成功しているし、漢方薬の龍角散本舗との提携による薬草栽培への取り組みなど幅広い総合的な街づくりで注目されている町であると思っている。 昨日は、その一部である私は知らなかった偉人・坂本東嶽というう方の邸宅と庭、そこから望める明治29年に発生した陸羽地震の震源地である千屋断層が天然記念物に指定されていること、その七代目理一郎(東嶽)という方が、犬飼毅(木堂)と親交があり多くの書が資料館にあった。この方の八代目龍太郎が千屋村長として、あるいは衆議院議員として村勢発展に尽力された方であることなどを知った。 次に農業用水としての「関田円型分水工」を見た。この近くでは岩手県の胆沢町にある分水工が知られていたが、美郷町にもあることは知らなかった。 180孔もあり、それが有効に機能し、各地域に平等に分水される農業技術に改めて感嘆の声が上がっていた。 更に、このあまり水を使っての小水力発電が2台あって、これに非常な関心を持った。 というのも、わが村でも、小水力発電には関心があり、是非参考にしたと感じたところでした。 最後は「ニテコサイダー」で有名なニテコ清水を視察、こうした清水が町内には126か所の湧水があること、清水が枯れることもあるが、このニテコ清水は枯れたことがないとのことであった。 湧水というと、六郷だけかと思っていたが、実は、六郷、千畑、仙南の全域で清水が豊富にあることも知った。 清水はわが村も決して少ない方ではなく、そのおいしさは勝るとも劣らないと思っている。 一昨年であったと記憶しているがわが村の「蛭川清水」で水を汲もうとしていたら、先客があり、どこからお出でになったのかとお聞きしたら「六郷」から来たという、「えっ」と思ったが、ここの水がおいしいとおっしゃる。これには絶句してしまった思い出がある。 もしかして、水枯れだったのかもしれないし、そうでないかもしれない、少なくともわが村にあるほうぼうの清水が少なくなったことはあるが枯れたことは聞いたことがない岩手県の釜石では「仙人味水」が国際的なコンテストで三ツ星に認定されたそうだ。