爽風雲 のすべての投稿

幸寿苑の敬老会

特別養護老人ホーム「幸寿苑」の敬老会が開かれた。 子供の頃から厄介になっていた方々が数人入所されていて、何となく複雑な思いがした。 あの元気な方々が年齢には勝てずに入所されており、うれしそうに昔話をしてくれるのでじっくりと聞いていると時間がどんどんたってしまう。中には、自分の体がままならなく、歯がゆそうに目に涙を浮かべている方もいて、思わず手を握ってしまう。それでも、今でも覚えていてくれて、懐かしそうに話したり、うなずいたりしておられた。 余興には、踊りの会の皆さんがボランテア活動の一つとして出演してくれていた。 出演者の方々を知っている方もおり、入所されているその地域の方々に紹介すると、盛んに拍手や大きな声で声援していた。

浄化槽の維持管理

(毎月このEM活性液が浄化槽設置家庭に無料で配布されている、この活性液は水の浄化に役立つとされており、注目されている) 村の下水道対策については、公共下水道、農業集落排水事業と我が村で取り組んだ高度処理合併浄化槽に大きく分けられると思う。 そのどれを採用して下水道対策にするかはそれぞれの自治体が決定することになる。 村の場合、いろんな角度から慎重に決定し現在の高度処理型の合併浄化槽対策に取り組み、さらにその基準を村独自の厳しい基準を設けて、排水基準として実施してきたところである。 もちろん、議会や村民の方々にも説明をいたしながら確認了解の元に実施してきた。 さらには、屎尿処理と台所や選択など生活雑排水対策として、EM活性液を無料で配布しそれぞれかくかていで投入してもらっているところです。 ところが、この活性液が村内を回ってみると、どうも十分に使われていないような感じがしている。 それは、玄関先なでに月々に配布しているのに結構な本数が残ったままになっているご家庭があるのには残念でならない。 是非こうしたことのないように、使って頂きたいものであると思っている。 広報などででも十分な周知をしていかなければならない事柄でもある。 集落の水管理も十分にして頂きたいとも感じている。 先般の議会でも、合併浄化槽になってから、水路のにおいが強い、あるいは川の魚が釣れなくなったとの村民の多くからの声があるとか、池の魚を食べたくないなどといった話があるとのことに、我々の十分な説明不足を反省しなければならないとも思うが、垂れ流ししていた生活雑排水がどれほど環境汚染をしていたか、それを改善すべく高度処理合併処理浄化槽対策を国が定めた基準以上の厳しい対策で対応し水質改善を図っているのに、なおかつにおいが強いとか、川の魚がつれなくなった、池の魚は食べたくないという科学的根拠があるのだろうか、どうしたもんでしょうかねー?

孫たちが敬老

今年の敬老会の最後はわたくしの地元の岩井川地区の敬老会で終わった。 どうした訳かいつもの年は参加率の多いはずの地区参加者が100人足らずであった。 それでもいつもお世話になっている先輩方が楽しく集いにぎわっていた。 いつもの、地区のご婦人方による「歌謡踊り」や懐かしい「やくざ踊り」などで盛り上げ、さらには岩井川児童館の孫たちによる「ハンドベル」の演奏と司会者により、孫たちが自分のうちのジイチャン、バーチャン、中には大きいジイチャン、バーチャンの名前を紹介させて、参加者の皆が、ほー誰それの孫かと改めて喜んでいました。 新しい試みでした。 昨日は、この敬老会の前に簡易水道工事の浄化施設の安全祈願祭があり工事の無事をお願いしてきた。 敬老会の後には、すぐそばの「なるせ直売所」に小さな孫たちと愛犬「ココア」と散歩、直売所も結構なお客さんでした。 話題は、やっぱりキノコでした。 みんな期待しているんですなー。 でも、朝一でキノコは売り切れてしまうんですよ!

話好きな年配者

椿川と大柳地区の合同敬老会が開かれた。 この二つの地区が合同で開催されるようになって数年になる。すっかり定着してきている。 昨日も、皆さん全員にあいさつしながら久しぶりにお会いしての話が弾む。 そんなときにふと感ずることがあった。 年配になればなるほど話好きであることであった。 足が思うようでない、腰が痛い、耳が遠い、目がよく見えなくなったなどなどと体が若い時の頃を思い出しながら、昔話や、地域のこと、薬や薬草などと参考になることもたくさんお聞きすることができる。 そんな話をしてくれるのが、年配者であればあるほど懐かしく次々と話が弾むことが多い。 やっぱり、こうした形で年に一回ではあるが直接お話しできることは大事であるという思いが強くなった。 わずか2時間ぐらいではあるが語り合える幸せを感ずるひと時であろうと改めて感じた。 来年の再会を楽しみにしていることを申し上げて、健康であってほしいとあいさつでもさせていただいた。

家屋解体

いろいろな事情で家屋の解体が進んできている。 特に核家族化と高齢化が進み、それまで住んでいた住宅が空き家となるケースも随分とここ数年顕著になっている。 さらにここ数年の豪雪で空き家となっているケースがその後の対策で課題ともなっていることはわが村ばかりでなく近隣の自治体や県単位でも問題となっている。 そんな状況となる中で、わたくしの実家も家族が病を得てなくなり更には不慮の豪雪事故があったりで何とも言いようのないくらい困惑していたところに、甥までが50代で急な病気で入院したまま亡くなってしまい呆然としていた。 そんなこんなで、わたくしの実家も今後のことを甥たちや親類でじっくりと話し合って、残念でたまらないし、悲しくもありやるせない気持ちでいっぱいであるが、今後の管理を考えると致し方がないという思いになっている。 私が小学6年生の時に父親が新築したものでおよそ築60年は経過している。 当時はかなり大きな家であったし、建築材も丈夫で昭和45年の秋田県南東部地震でも壁が一部落下したがびくともしなかった。 いまだもって、まだまだ住むのには十分であり、今でも実家に行くとどこかゆっくりとする思い出多い建物であるが、そうした事情で解体せざるを得ないことになった。 このほど、ご先祖様の仏様の魂ぬき、神様のお祓いなど一連のしきたりをし近く解体することになる。 昨日は甥たちとそうした昔をしのび、わたくしの知っている限りのことを話しておいたところでした。 寂しいものですが、やむを得ないことなんでしょう。 住む集落の中でも、ここ数年でこうした家屋解体は進むような話が出ており寂しい限りです。 一方で、若い世代が住む住宅やアパートなどの要望もあるようで時代の変遷は激しいというか、変化してきているものです。