春祭り

岩井川地区の春祭りが快晴の中で行われた。 我が家の孫たちも息子夫婦と朝早くから元気いっぱいで出かけた。 地域内の各家庭を回って、家内安全と繁栄を願う祭りの歌を歌いあげて、ご祝儀をいただいて回って歩く。 各家庭では可愛い子供たちの神輿、青年会の神輿が来てくれるのを心待ちにして待っていてくれるし、ごちそうを準備し、心付けをしてくれるわけです。 150戸近い家庭を回るわけですから朝早くから、回って神社に納める頃はお昼過ぎになってしまう。 皆へとへと、子供たちも疲れ切っていしまう。 それでも、伝統的な行事であり親子会が3っつ、青年会ひとつで合計4団体が地域を練り歩くわけですから、結構にぎやかであるし、伝統的な行事になっている。 これが終わると本格的な春の農作業の時期に入ることになる。  

慰霊祭を行う

先の大戦でお亡くなりになられた168柱の戦傷病没者の追悼式を行った。 数年前までは、忠魂碑のある屋外の公園で、ご遺族の方々と桜の満開の頃を狙って実施していたところでしたが、ご遺族も高齢化し屋外でのそうした行事も体力的にもむずかしくなり、室内で行うようになった。 屋外の行事をしていた頃は、山菜の最盛期をも狙っていたもので、それぞれのご遺族の方々が、新鮮な山菜のおひたしや煮付けなどたくさんのごちそうを重箱につめて持参し、皆さんでいただいたものでした。 その味たるやそれぞれのご家庭の味があり特別に美味しかった。それはご遺族が亡き夫、父親、ご兄弟、叔父に思いをはせて心を込めて作った最大のごちそうであり、それをごちそうになりながら、遠い昔のことを懐かしむように話してくださった数々を今でも思い起こすことがある。 それは、いつも鮮明であり、じっくりと話されることを、しっかりとお聞きすることはご遺族の方々に対しても、とても大切なことのように思えたものでした。 それがいつしか、そうした機会も薄れていくようになり、どこか寂しいような気もしないでもない。 これでいいのかと一瞬考えてしまうこともある。万事簡略化してしまってよいのだろうかと。 しかし、参加者も高齢化し年々少なくなってきていることも現実である。 それやこれやと考えるとき最愛のご家族を残して国に殉じた方々の英霊に感謝の気持ちを持ち続け、戦争の悲惨さを後世に残し続ける努力をすることは我々の現役世代のつとめであろうと思っている。 毎年恒例の行事でありながら、常にそうした思いを確認し合って不戦の誓いと戦争の愚挙を決して行わないという決意を示す意味からも大事な行事である。

枝垂れ桜が満開

東北地方のほとんどが桜の季節も終わろうとしていると思います。 ところが我が村は、ソメイヨシノが終わると同時みたいに役場周辺の枝垂れ桜が満開となっている。 昨日はスキー場関係の仕事で所用があって仙台に出かけたが、出席した鬼首スキー場の支配人さんと話す機会があって、話していたところ、角館、弘前の桜などや仙台近郊の桜の話になった。 その状況を聞くと、情報としてはほとんど東北地方は終わったというように感じた。 それなのに、我が村はまだ桜が楽しめる!すごいことであるではないか! そういえば、今年の雪も東北でも我が村を含めて秋田県南が特に多かった。この桜の開花時期もそうした気候変動に異常があるのだろうか?と思えてきた。 喜ぶべきことではないかもしれないが、桜をゆっくり楽しむのはよいが、農家の気持ちを考えるとそうはいかない。 いずれどこか異常な気候であることは間違いないように感じた。 今年のソメイヨシノは厚みのある花で、色もきれいだという。 山桜もピンク色が強いように感じている。 仙台はツツジがちらほら咲き出していた。

成瀬川に豪雪の影響

雪溶け水を満々たたえて流れる成瀬川にも今冬の豪雪の影響と思われる現象が見られるように感じている。 何も今年に限ったことではないとおっしゃられる方もおるかもしれませんが、私が感じる限りでは、流木が多くしかもその立木が根こそぎ流れてきて水かさが少なくなるとともに打ち上げられたままになっている状況が見られる。 よくもまーこんなに長い大木が流れるものだと思うくらいの大きさである。 昨年の春先にもあったと思うが、大きな淵の岩場に打ち上げられたままになっていたこともあったが、今年も村内のあちこちで見かけられる。 この処分は誰がいつやるのだろうか?河川管理者なのか誰なのか? 下流に下がって行っても頭首口なんかにそうした現象が見られる。 昔は、「川流れ木」と称して、その流木を見つけた最初の方々が自分の所有物としての印として石をのせておき、乾燥させてから、適当な大きさに切り、背負って自宅の冬分の薪に有効に活用していた。 今は全くそうした作業を見ることはなくなったが、その薪になる木は、結構熱量も高く珍重されていたし、専門にそうした薪を手間暇かけて集積し、商売にしておられた方もおったという話を聞いたこともある。 今流れてきている大木はほとんど杉が主体で、薪としてはどうなんでしょうか? それにしても、倒れて流れてきている杉の木の姿は実にするりとして、樹齢であれば相当(50年は優に過ぎていると思われる)なものであろうと思われるが、それを引き上げて利用するなどという方はおらないでしょうなー。  

草花も色とりどり

我が家とお隣さんの桜が満開だ! 先日までは役場周辺が桜の満開だったし、部屋からの臨める小学校の農園の斜面の桜は残雪に映えていた。 それが、今は我が家の周辺が満開だからそれだけ標高が高いことにもなろう。 町部の桜は葉桜、梅や桃も咲いているこちらの山里は桜から梅に桃と草花が盛りになる、それこそすべての草花が一斎に咲き競うという珍しい光景だ。 どうだ!言わんばかりである。