慰霊祭を行う

先の大戦でお亡くなりになられた168柱の戦傷病没者の追悼式を行った。 数年前までは、忠魂碑のある屋外の公園で、ご遺族の方々と桜の満開の頃を狙って実施していたところでしたが、ご遺族も高齢化し屋外でのそうした行事も体力的にもむずかしくなり、室内で行うようになった。 屋外の行事をしていた頃は、山菜の最盛期をも狙っていたもので、それぞれのご遺族の方々が、新鮮な山菜のおひたしや煮付けなどたくさんのごちそうを重箱につめて持参し、皆さんでいただいたものでした。 その味たるやそれぞれのご家庭の味があり特別に美味しかった。それはご遺族が亡き夫、父親、ご兄弟、叔父に思いをはせて心を込めて作った最大のごちそうであり、それをごちそうになりながら、遠い昔のことを懐かしむように話してくださった数々を今でも思い起こすことがある。 それは、いつも鮮明であり、じっくりと話されることを、しっかりとお聞きすることはご遺族の方々に対しても、とても大切なことのように思えたものでした。 それがいつしか、そうした機会も薄れていくようになり、どこか寂しいような気もしないでもない。 これでいいのかと一瞬考えてしまうこともある。万事簡略化してしまってよいのだろうかと。 しかし、参加者も高齢化し年々少なくなってきていることも現実である。 それやこれやと考えるとき最愛のご家族を残して国に殉じた方々の英霊に感謝の気持ちを持ち続け、戦争の悲惨さを後世に残し続ける努力をすることは我々の現役世代のつとめであろうと思っている。 毎年恒例の行事でありながら、常にそうした思いを確認し合って不戦の誓いと戦争の愚挙を決して行わないという決意を示す意味からも大事な行事である。