カテゴリー別アーカイブ: スポーツ

スポーツ・芸術文化賞表彰  

平成24年度の東成瀬村スポーツ賞、芸術文化賞の表彰式があった。 小中学生、高校、一般の方々を含めて栄光賞4名、奨励賞25名と1団体に対しての表彰であった。 合計で30名、今年の特徴としては芸術・文化部門の対象者が多かったことと、成人者でもパークゴルフ東北大会レベルでの1位と入賞者、秋田県障害者スポーツ大会、秋田県スキー技術選手権大会での4位などの入賞がおったことであった。 スキー大会では第6回全国小学生アルペンスキー大会で小学校5年で高橋夢香さんが1位、同じく4年小野寺紅美さんが第2位という成績もありました。 また、全国小学生作文コンクールで「わたしたちのおまわりさん」と題して、古谷羽音さんが警察長官賞を受賞した。 素晴らしいことです。今後の活躍とさらなる前進を大いに期待したいと思う。 おめでとう。

地区のスキー大会

33回目を数える岩井川地区コミュニテースキー大会が開かれた。 一口に33回というが、地区だけの老若男女が参加してのスキー大会はそんなに数があるとは思えません。 地区の連帯感が薄れていくことに危機感を感じ、秋田県全体でコミュニテー活動の重要性を訴えて、全県各地で、地域活動が提唱され、それぞれの市町村では重点実施地区を指定して活動の支援をした時代があった。 それ以来東成瀬村では、私が住む岩井川地区が指定され、多くの事業を展開してきた。 おもな事業としては文化祭、環境美化運動、スキー大会がその主要事業であり、連綿として続けられてきた。 その一つであるスキー大会は、村にスキー場がなかった時代に、この地域の方々のご協力によって土地を利用することができ、簡易なロープトウを付けたことがきっかけとなり、現在のジュネス栗駒スキー場の整備につながってきたことになる。 当時のスキー場は極めて小規模なもので、スキーの愛好者は蔵王や安比、田沢湖などに出かけていたものであるが、こうした先人の熱意によって、冬季スポーツの振興のために、あるいは地区住民の活動の一つとしてスキー場整備をしてきたわけです。 そのきっかけとしてこのスキー大会が開かれて33回目にもなったことになります。 参加者は年々少なくなっては来ていますが、幼児から76歳の方までそれこそ老若男女が参加しての大会とあって、大回転競技から宝探し「けつぞり(おしり)」大会など、だれでも参加できる種目でほぼ半日皆で楽しく過ごしました。 終わってからは、会場を移して懇親会、じゃんけんゲーム等でにぎやかな一日となった。 こうした活動で地域が盛り上がっていくことを大いに期待したいところです。        

またぎ料理

好天の昨日、マスターズスキー大会の第2戦目、絶好の大会日和となって選手も気持ちよくレースに臨んでいました。 その好天の中、東成瀬村の猟友会の皆さんが恒例の「巻狩り」を行い、数匹の山ウサギを手にしてきた。 その猟の成果の話を聞きながら、今年初めての山ウサギの料理をごちそうになった。 毎年、ごちそうになっているが、山を数時間かけて難儀して得た獲物を、こちらはただごちそうになるばかりで申し訳ないような気がするが、何とも言われないごちそうで、感謝しながらいただいている。 特に、ウサギの小腸だそうですが、丁寧に洗い流し、もろみを付けた料理は絶品であるし、背肉の刺身、レバーの刺身も甘みがあって、とてもおいしい。 何よりもぶつ切りにした骨付きの肉と大根の鍋は、煮込むほどに味がしみ込み、何とも言われない甘みと骨からにじみ出る髄液とがまじりあってであろうがその味はどんな鍋にもない独特の味となり、箸を止めることができないくらいである。 そんな至福の時間は、ハンター特有の自慢話と相まってとどまることがない。 かっては、これにウサギあぶりの肉もごちそうになったことがあるのですが、これは最近は面倒なこともあってか、なくなってしまった。 とにかく、山郷のこの料理はほかのどこに行ってもごちそうになることができない。 料理の仕方は、地域によっていろいろ違いがあるようですが、私は慣れ親しんだこの地域の料理がたまらなくおいしい。 終わりに近くなって、今日の獲物の「競り」が始まったところで帰ったが、元気にせり上げて景気をつけていたようでした。 山を愛し、自然を愛し、狩猟を楽しむ人々がこの地域には少なくなったとはいえ、まだまだいる。 一定のマタギのしきたりをしっかりと受け継ぎ、後世に伝えていってほしいと思っている。 前猟友会長のご努力で東成瀬の狩猟の伝統をしっかりと記録に残しておこうと、DVDも完成しており、こうした伝統文化は今後も記録し、映像、録音などあらゆる手法で保存していくようにしたいと思っている。

マスターズスキー大会

全日本スキー連盟B級公認マスターズスキー東北大会が、ジュネス栗駒スキー場で開催された。 B級公認大会は、ジュネス栗駒スキー場でも初めてであり、長年開催を希望していたのがやっと実現した。 30歳以上からの参加で、最高は82歳の方もおられ、遠くは兵庫県からの参加者もおられた。 開会式では地元からのお礼を含めて来賓挨拶をさせていただいた。 組織委員会にもくわえられ、しっかりした運営組織もでき、選手も各種大会に参加しておられることから、綿密な打ち合わせとコース設定や、役員の方々の配置などかなり慎重なものであった。 これまでも、多くの大会を実施してきたスキー場側としても、あるいはスキークラブとしても相当神経を使った運営となったようでした。 コースも少し緩んだのですが、比較的よく整備され、選手からは好評だったように感じられた。 1戦目の終了近くには雨模様となり心配されたが、無事に日程を予定よりも早めに終了できてよかった。 選手役員に良い印象であれば、再びの開催にもつながることでしょうから、関係者の皆さんも頑張ってくれたものと思っています。 ありがとうございます。

3・11を思い出して

平成23年3月11日の手帳を出して、あらためて思い出してみた。 あの日は、議会の最終日で、お昼前に閉会したことから、秋田市での移植医療関係の会議に出席のため出張して秋田市手形の陸橋に差し掛かる直前にものすごい異常を感じて車の外を見を見ると、家家から人々が次々に出てくるし、電柱は揺れる、電線は波打つ、地面は盛り上がる、車も揺れる、間もなく信号も消える、これはすごい地震だ! それでもかなり長い時間揺れた感じで、車のテレビを見ていたが、宮城県での地震発生を知らせていた。 落ち着いたところで、とりあえず会議場に向かったが、信号が止まったままなのでかなり慎重に進んで行き、到着、会議の場所も当然のごとく停電であるものの、とりあえず会議は開かれた、理事長のお医者さんである加藤さんが、こうした非常事態なのでなるべく早く会議を切り上げたいとのあいさつで始まったが、途中何度も余震があり、お隣の婦人会代表の方は、わーといってこちらにしがみつくありさま。 30分もしないで会議を終えてとにかく早く帰らなければならないと気が焦ってばかり、会議の始まる前から電話で連絡が取れていたが、村のほうは特に目立った被害はないようだがすぐさま調査ために職員が行動に移ったとのことであった。 この時点では、副村長人事が内定し、議会からも承認をしていただいたことから、議会のあいさつに来ていた副村長から対策本部に入ってもらい、打ち合わせをしてもらった。 秋田での会議後3時30分にただちに帰途に就いたが、当然のごとく高速は止まってしまい、13号線を走ることになったが、すごい渋滞で、役場に到着したのは18時30分、地震対策本部での報告打ち合わせ。対策検討。 雨雪で冷え込みも次第に厳しくなった。 停電。 この日の積雪深は役場で193cm、地震の際に屋根に雪があったらどうしただろうか? 自宅に帰った時間は書いていなかったが、カップラーメンを食べたことは書いていた。 停電で、真っ暗やみの中で、孫たちも不安そうな夜になった。 地震の名称は「東北・関東大地震」(後で、名称が変更になり「東北・太平洋沖地震」となる)で14・46発生、震源地は岩手・宮城沖、マグニチュード9.0、地下で400kから200kのプレートが動いた。大津波発生とあった。 車での移動途中、車のテレビをずーっと見続けていたが、考えてみると、車のテレビだからこそ見ることができたのであって、停電ではこの様子は全く見られなかった。 その津波の様子はすべて見ることができたが、何とも言われない、ただただ驚くばかり、こんなことがあるのか、あまりにもリアルで、そのすごさに、押しつぶされている家屋、車、飛行機、すべてのものが押しつぶされ押し流され、道路を超え次々に襲いかかる津波の恐ろしさを、この世のものとは思えない状況に、まさかと思いつつ、これが現実なのかと目を疑いたくなるような状況であった。 こんなことが日記に書かれていたし、あらためて2年前を思い出してみたところでした。