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仙人修行の交流から
3日間の修行を終えた17人の「仙人」に認定書をお渡しした。
20代から60代までの17人の方々は、それぞれの職場に帰って行った。
職業も多種多様で、出身が横手市大雄出身の方は、東京の世田谷で税理士事務所を経営しておられる方で、なんでも弟さんが以前にこの仙人修行に参加したことがあり、ある時一杯やっていたら「何を言うか兄貴、俺は「仙人」だぞと言って威張って認定書を見せられた」それからいつかは俺もこの仙人修行に参加しるぞと心に決めたそうで、今年64歳思い切って参加した、とのこと。
これで弟さんとの会話の種ができたのであろうか。
事務所の職員もこの参加には大賛成であったようです、その理由の一つにはヘビースモーカーをやめるためのきっかけとして参加なのかと勘違いしているようだと笑っておられたし、日常的には問題がなければほんの数時間しか事務所には顔を出さないでいるし、どうしても自分がやらなければならないつめた仕事は、土曜、日曜日なのであるが、おらないと窮屈でなく、ゆっくりしていられるからであろうと思っていると笑っておられた。
禁煙をするのかどうかは聞かないでしまったが、それがもしかして禁煙につながるきっかけであればこれまたこの修行の効果でもあろうと思うのであるがどうであろうか。
宮城県の唐桑半島から参加の方は、大震災の数日前に震度5の地震の際に、これは大地震が来るぞといった予感がし、家族は奥さんと二人だけであったが、身の回りをすべてを整理し、発電機まで準備したそうで、あたりの方々や奥さんからもそんなにしないでと笑われてしまったが、その予感が当たり、全くあわてることなく対応できた話を伺った。
同時に、現在の被災地での様子や復興の状況の問題点を生々しく話してくれた。
この方は、国土交通省を退職して数年になる方でしたが、自分も現役時代そうした災害現場での対応経験があり役立てると思っていたが、実際は一人では何もできず歯がゆい思いがしていると同時に、「復興」の意味をはき違えているのではないか、今こそ抜本的な対策が必要なのに、その基本方針、基本的方向さえも明らかになっていない残念がっていた。国がやるべきことを地方に全部投げ込んでいるとしか思えない、とのことであった。
かって、国の職員であった方がおっしゃることには非常に現実味があった。
また、被災後「絆」という言葉が使われているが、何か違和感があってしようがないとのこと。つまり、「絆」は大震災が発生したから大事なことではなく、普段からそうした絆がきずかれていてこそ非常時にその絆でもって支援しあったり、協力し合ったりすることであって、災害が発生したからと言って急にそうした言葉で結びつきを強めようとしてもそうそう簡単にはいかないと感じている人が多いのではないかといううことであった。
そこで実際生活し、被災者を毎日見ておられる人ならではの感覚であった。
さらに、現地では、被災者とそうでない家庭の支援対策では大変な違いがあり、本当に気の毒なのはその、対象にならない家庭の多くが、大変な思いで生活をしておられることの現実を、我々はどう理解したらよいのか詳しく聞くことはできなかったが、多くの課題が残っていることの重要性を認識したところでした。
この修行でもいろんな方々のお話を伺い考えさせらてイベントでもありました。
昨日は、私の後援会の11回目のチャリテーパークゴルフ大会が多くの参加者で行われ、ものすごい暑さにもかかわらず、高原のため風もあり楽しくプレーをし、親善交流の機会となった。
仙人修行再開
昨年は、大震災があり、これまでの参加者が被災地からの方々もあることから見合わせたところでした。
さらには、このイベントがマンネリ化してはいないか?あるいは、参加者が固定化し新たに参加する方々が少なくなりつつあったようなことと、お世話をする方々が毎年同じような方々に難儀をかけていることなどから、少し検討してみようということで「休止」ということにした。
しかし、やはり夏の恒例行事が、ある意味では「風物詩」ともなりつつあった「仙人修行」を休む決断には少なからず勇気が必要であった。
今回、思い切って多くの方々に御難儀をおかけすることにはなりますが、再度企画をし、募集をしたところ、17名の方々が参加してくれた、最高は19回目の方を含めて複数回参加が10名で、初参加が7名でした。
中には「仙人の郷」の由来について興味を持ち、その研究をしておられる方もおり、これまで我々が単に「口承」を下に説明していたその由来についてかなり詳細に研究を重ねておられる方もおり、感服すると同時に、確たる史実を根拠にすることもなかったように考えていることと、さらにはそれを検証することなく、ごく自然にその口承を下に、一つの確定的な用語として使用してきたことについて、改めて考えさせられているところである。
しかし、「仙人修行」という言葉や名称がいけないと言うことではなくこれはこれで良いネーミングであったと思っているし、村を「仙人の村」「仙人の郷」としてきたことも間違いではないし「仙人キャラクター」も良かったと考えている。ただ、その口承によるものについて、できるだけ史実や根拠づけを調査研究することは大いに意義のあることであると思っているし、研究してくださる方には敬意と感謝を申し上げるとともに、その調査研究には大いにご協力申し上げたいと思っている。
暑い夏、17名の方に、厳しい3日間の修行の成果を「仙人認定証」として差し上げたいと思っている。
滝行に使う「わらじ」つくり「、断食」、4回にわたる「座禅」お寺さんでの作務、写経、広葉樹林での除伐作業、仙人の郷料理つくり、の合間に村内のエコツアーなどを体験していただくことになっている。
夏の花は際立つ色彩
散歩の途中で見かける草花はそれぞれの季節によって当然違う。
夏の花は、特に色が鮮やかなように思える。
しかも、存分に水やりをしているご家庭の花の色具合は特に鮮やかなように感じる。
花の名前にはとんと知識のない私にとっては、ただ単に「きれいだ」とか「鮮やかだ」とかしか言えないが、村の花である「やまゆり」とは別に、確かこれは「ユリ」だよなー、だとすればいろんな百合の花があるんだなーと感心してみた。
我が家でも、孫が学校で育てた「朝顔」を夏休みに入る直前に持ち帰って、丁寧に水やりをしていて、たくさんの花びらをつけている。
南側においてある花も夏の花らしくそれはそれは鮮やかな私の大好きな色合いでさいてくれている、結構咲いている期間もも長いようで、朝夕の水やりも楽しい。
今まさにオリンピックの真っ盛り、それにしても「金」が少ないような気がするが、選手は懸命に頑張っているようであるが、柔道選手が負けて泣いているのがいやに気になる。悔しいのは痛いほどわかるし、これまでどれほど厳しい練習を重ねてきたのか、それほどの苦労が、長い時間を思うと堪らないものがあるのでしょう。
しかし、それこそ負けは負けでしょうから、次に向けて闘志あふれる言葉で奮起を期待したいのである。格闘技をするような選手がめそめそ泣いていてどうするんですか、しっかり頑張ってほしいものである。
そんなオリンピック報道の陰で、政界はどうなっているのでしょう?
採決は間違いなく引き延ばし戦術としか言えないように思えてくる。
この調子だと、以前に書いたことがある「来年の同時選挙もあるのかな」とばかなことをいったことがあるが強靭な粘り腰には驚かされる。
自民党では、公共事業の拡大を図ろうとして「国土強靭化法案」を提出とのことであるが、わたくしはてっきり、公共事業の拡大法案だとばかり思っていたら実はそうではなく、もっともっと大きな目標を持った総合的な法案であることが先日、要望会の秋田県選出議員のあいさつで分かった。
勉強不足でありました。
夏休み前に、政界に動きがあるのかな?
「遠い風 近い風」の紹介
毎週土曜日の秋田魁新報の10面「遠い風 近い風」を楽しく読んでいる。
これには、東成瀬出身の佐々木 桂さん(東京在住、東成瀬出身の詩人・エッセイスト)が4週間ぐらいに1回寄稿しておられる。寄稿を初めてもう3年以上になるのではないないでしょうか。
桂君の実家は、わたくしの自宅のお隣さんであり子供のころから知っており、年に数回は自宅に突然帰ってきて実家の畑作業やら家の手伝いを元気にや り、持ち前の飾らない性格で秋田弁で誰とでもしゃべいりまくっておる好青年である。青年の範疇を過ぎたかな?でも、気持ちは若くて快活で行動派そのもの、 まさしく頼もしい限りである。
詩集、エッセイ集を発行しておるほか、ブログでの情報公開、中央紙や雑誌、機関紙などへの寄稿、特に旅行記事、お酒、食事など幅広分野でのフリーライターとしての活躍は注目されてもおられるようです。
私が、最も気に入っているのが、それだけ中央で活躍している彼が、そうした記事に、必ずのようにご自分の出身地を「東成瀬村」であるとはっきりと記述されておることである。
たいていは、田舎出身者の方はできるだけ伏せておくように思うが、彼はそうしたことしないではっきりと書いておられる。
私は成人式などで、これから社会に出て活躍していく新成人に、いつでもどこでも自分の出身地が「東成瀬村」であることをはっきりといえるような人間になってほしいと言い続けてきました。
その際に、桂君と漫画家の高橋よしひろ君のことを例にして紹介しています。
お二人とも、堂々と東成瀬出身であることを話しておられるようですし、ありがたいと思っている。
昨日、「遠い風 近い風」を読もうと新聞を開いたら、いきなり私が数十年も前に彼に話したことが、書かれていました。
何と「桂君、ちゃんと勉強して、いい大学行けよ」だったそうです。今そんなこと言ったのかなーと思い、なんとなく気恥ずかしい気がしないでもない。
彼が述べているように、勉強なんて楽しいもんでもなんでもない、むしろいやですよ。彼にとっては嫌なことを言う先輩だなーなんて思っていたことでしょう。
しかし、彼はしっかりと著名大学に入り、自分の目指している職業につき一流雑誌の編集者を経て、フリーライターとして大活躍している。
私にとっては、自慢の隣の家の「桂君」であり、東成瀬村にとっても誇りをもって紹介できる存在なのであります。
記事も、肩ひじ張らずに気軽に楽しく読めますし、何よりも楽しくなってくること請け合いです。
また、何よりも、その交際の広さは別格とのことであり、人間性の豊かさは人を引き付けてやまないとの評価ですし、特に日本酒については、半端ではないようですぞ。
両親譲りかもしれませんが、、、、、。