ノンセクション 秋色かすかに 2013年8月23日(金曜日) 爽風雲 お盆が過ぎると、私たちの周囲にもかすかな変化が日に日に感じられてくる。 暦でもそうですが、今日は「処暑」、夏の暑さが和らぎ、暑さの峠を越える頃で、萩の花も咲きだす頃、そう言えば、先日の朝の散歩でその花を見かけた、そんな24節気での一つであるそうですが、まさしく暦通りの天候になりつつある。 一方で、東日本、西日本では暑さが続き、雨のほしい地域や、ダムの水も干上がり、取水制限など厳しい状況であるようです。 先日帰省した息子の住む、沖縄那覇も連日30度を越しておるばかりか、もう台風12号が発生近づいているとの情報に気を病んでもいる。孫たちも暑いだろうなどと。 こちらの孫も夏休みも終わりに近づき、宿題の仕上げが大忙し。 そんな朝、空にも微妙な変化があり、雲の変化を見るのもまた楽しいひと時である。
ノンセクション 路傍の草花 2013年8月22日(木曜日) 爽風雲 散歩の途中で見かける草花をよく見ると、それぞれに特徴があって楽しいものである。 そのためにもじっくりと眺めることがとても大事であり、観察能力、草花に対する知識もなければならない。 当然のことながら、図鑑などに親しみ、普段からそうしたたしなみと、関心を持っていなければならないし、何よりも、散歩だからと言ってむやみにただ単に歩くのでは、とてもとてもそうした草花の名前などや特徴をつかむことは無理である。 そういったことで、自分の無能ぶりを弁解みたいにしているのが情けない。 どうしてそうしたことを言っているかと言えば、自分の息子たちにはそうしたことには、ほとんどかまってやれなかったし、一緒に散歩などと言うことはなかったこともあり、何か質問をされても、うるさいぐらいで片付けてきたような気がする。 それが今、孫が散歩についてくるようになり、あれこれ質問されても答えることができない! これは問題である。 とにかく気象のこと、草花のこと、動物、昆虫などなど、ものすごい範囲での質問にネットで調べたり懸命にやっては見るものの、こと路傍にある草花は調べようにもとてもとても無理である。 しかもそれが、雑草であったりもするものですから、これは大変である。 昭和天皇は、植物研究の大家であられたようですが、雑草であっても「名前のないものはない」、とのことであり、さてこれからどうするか? とりあえずは、そうした路傍の草花を県内の植物研究家が発行している植物図鑑などがないのかを探してみたいと思う。 これは気の遠くなうような話でもあるが、まーじっくりとやってみようと思う。 一番いいのは、知り合いの方の自然観察会への参加や詳しい方からお聞きするのもいいでしょうが、時間もあり(またまた言い訳めいている)、とりあえずそうした本があるのかないのかから始めよう。
ノンセクション 竹山の女弟子一号 2013年8月11日(日曜日) 爽風雲 津軽三味線の高橋竹山の女弟子第一号の方が青森で料理屋を開いており、お客さん方に求められると、師匠直々の技術を余すところなく聞かせてくれているとのことで、我々もその機会に恵まれた。 全くの門外漢であるものの、あの力強いばちさばきは聞く者が圧倒されてしまう迫力がった。 民謡も最初の5曲ほどは男の歌い手が出演してくれたが、そのあとの小一時間は、師匠の思い出話やら、修行中のこと、竹山師匠の普段の生活など三味線以外のことにも触れながら、生々しいお話をまじえながらの演奏であった。 殊に三味線は「太鼓をたたくものではない」修行中に「ばち」で太鼓部分を叩くとすぐにわかられてしまい、「三味ではない」と怒られてしまう。 いかに腹を叩かないようなばちさばきをするか、それはそれは大変であったそうです。 後年になると、なにかをラジカセか何かで長い時間黙って聞いている、「何を聞いているの」と聞くと「何にも聞いていない」という、あるときイヤホンを外したままにしていたので聞いてみたら、ジャズであったそうです。 とにかくジャズが好きで、かなりの時間それを聞いて楽しんでいたようで、三味線に通じるものがあったようです。 その後、三味線がいろんな楽器とコラボレーションで演奏されるようになったが、そんなことを予想していたのでしょうか。 このほか、三味に関すること、民謡、など多くの話しを聞く機会があってとても楽しい時間であった。
ノンセクション, 地域興し, 政策 小さな集落こそ大事 2013年8月7日(水曜日) 爽風雲 国文祭のPRにスギッチが来てくれた。 部屋にあいさつに来てくれる直前に毎年ではあるが、この時期私の部屋に「オニヤンマ」(私の地域では「ヤマアケズ」という、その語源はわからない?)が毎日のように飛び込んでくる。そのアケズを捕まえようと必死になっていたところでしたが、昔取った杵柄?、うまい具合に捕まえた。早速糸をもらい飛ばして遊べるようにして持ち帰ることにした。 ついでに、スギッチの胸につけてやった。 この暑いのに本当にご苦労さん!聞くとあいさつを言葉にしては基本的にはいけないんだそうで、本当に済まいないような気がする。 あまり堅いことを言わないで、自由に喋れるスギッチでもいいのではないだろうか? 記念写真のバックにする幕も持参!しかもこれが優れ物! 早速、わが方でも取り入れてほしいと言ったところでした。 そのあと、村の集落会館の竣工祝賀会に出掛けた。 小さな、それこそ12戸ぐらいの地域でありながら、皆が集まってのコミニュテー活動の中心施設として整備要望があり、その必要性を感じており、いろいろな整備手法と合わせて村単独の制度とを組み合わせて実施している。今回これに沿ってわずかではあるが住民負担も求めしかも住民の自主的運営をしっかりと確認しての完工となった。 どちらかと言うと、大きな規模集落は公共で整備ができるし、運営もほとんど公的な施設運運営が可能であるにもかかわらず、こうした地域集落は、負担が求められたり、運営も自主運営が、つまり住民負担がある訳で、これは本質的には無理があるのではないかとの考えから、村としては積極的に支援していく必要性を感じて、取り入れている制度である。 その喜びの祝賀会が、何と正午開始となった。 集落からは全員、しかも二人ぐらいの参加と、ご婦人がたの手作りの料理、若い世代も6人も参加しての盛り上がりぶりで、真昼間からの祝宴も賑やかなものでした。 この施設を利用して、冬期などは留守番役の方々の集まりの場にし、午後からは学校や保育園からの帰りの子供たちの集合の場、迎えの場所、老人と子供の語らいの場、等無限に広がる場として活用してほしいと願っている。 若い連中は私も野球やスキーで一緒だったものですから、しっかりと地域活動を頑張るように気合をかけてきた。
ノンセクション 本音か舌禍か 2013年8月3日(土曜日) 爽風雲 これまでも結構その発言が物議をかもしだしておられた政府の要人が、憲法問題のシンポジュウムで、例え話として出した話が国際的な反響を呼んでおられるようだ。 映像を見ないで聞いていると、なになに!と思ってしまうような発言であったのであるし、これは問題になりそうだなと思った。 つまり、その前後の発言や、シンポジュームでの経過がわからないと、にわかには信じがたいよぷな発言であったように思える。 実際、その録音したものを後で聞いてみると、会場の雰囲気も、どっと笑いか、苦笑なのかどよめきかはよくわかりませんが出ていたようである。 憲法の改定について国民がどれだけ強い関心を持っているのかは世論調査などの結果を見ればわかるのであるが、実際我々の身近なところでどのような世論が巻き起こっているのかと言うと、まだまだの様な気がする。 しかし、そうも言っておられない重要な問題もありメデアの情報なども十分に活用し勉強しなければならないとも思うが、現実は経済、景気、雇用、生活などより身近な問題で精いっぱいであるのが本当のところではないか。 そんな中での発言であり、その要人は、独特の言い回しや、歯に衣着せぬ発言、ブラックユーモアなどかなり刺激的な発言でも有名であると思っている。 先日も、予算と事業要望などで、直接お会いする機会があり、ものすごい多忙な中時間をとってもらえたのですが、その際も雄物川の中流域での堤防のない地域、いわゆる氾濫の危険がある「無堤地域」がこんなにありその対応を要望した際にも「まだそんなところがあるのかねー」と率直な感想を述べられていた。 それだけ、ずばりと核心を突いた発言をされることに、出席した方々はある意味ではとても良い印象を持っておられたように感じた。 それだけに、今回の発言も、その前後をよく聞くなりし、総合的に判断しなければならないことであると同時に、海外での反応もニュースなどで見る限りかなりニュアンスに微妙なの違いのある論評であるようにも思える。 同時に、あまり騒がずに、政府や学者、知識人等一部の人間によって、こそこそ、どさくさにまぎれて憲法を改正するなどと言った姑息な手段が許されるとは思ってもいないだろうし、論外であるしそうであってはならないことだけは確かなことである。 いずれ口は災いのもと舌禍事件にならないことを願っている。 我々であっても、普段何気ない会話の中で、つい口を滑らしてしまうこともあり、それが家庭の中での会話でさえあるのですから、気をつけなければならないと思っている。 その口のきき方で、夫婦間が気まずくなったことが何度もあったもの。 その時に思い出されるのが高校の下宿先のお母さんから、何の時だったか思い出せませんが「佐々木さん、人と話をするときは一回舌で転がしてから話をしなさいよ」と教えられたことが今でも耳に鮮明に残っている。つまり、思ったことをすぐに口に出すのではなく、一瞬でも間をおいて話すようにとの教えでした。 このことは、これまでも失敗したたびごとに何回も思い出しているし、いいことを教えてもらったと感謝している。 ところで、昨日は29回目になる仙人修行の開講式があった。 どうしたわけか、今年の応募状況は極めて悪く、4名の参加しかなかった。 イベントや旅行などでは最少催行人員等の規定をもうけるこがあるでしょうが、そうしたことは予想もしておらなかったことから、内容の濃いイベントして実施することにした。 イベント支援の応援には、地域おこし協力隊員の中村君、8月1日から任命した佐藤君の二人も参加して頑張ってもらうことにした。 十分な情報の発信がもしかして少なかったのかなと反省しているところである。今後も常に、いつもやっていることだからこれでいいではなく、新たな対応を模索しつつ、変化を持たせた企画をしていかなければならいことであると強く感じている。 前例踏襲は見直そうと改めて感じている。 口は災いのもとも、慣れから来ることが多いのです。