スポーツ, ノンセクション, 林業・林政, 芸術・文化 またぎ料理 2013年3月18日(月曜日) 爽風雲 好天の昨日、マスターズスキー大会の第2戦目、絶好の大会日和となって選手も気持ちよくレースに臨んでいました。 その好天の中、東成瀬村の猟友会の皆さんが恒例の「巻狩り」を行い、数匹の山ウサギを手にしてきた。 その猟の成果の話を聞きながら、今年初めての山ウサギの料理をごちそうになった。 毎年、ごちそうになっているが、山を数時間かけて難儀して得た獲物を、こちらはただごちそうになるばかりで申し訳ないような気がするが、何とも言われないごちそうで、感謝しながらいただいている。 特に、ウサギの小腸だそうですが、丁寧に洗い流し、もろみを付けた料理は絶品であるし、背肉の刺身、レバーの刺身も甘みがあって、とてもおいしい。 何よりもぶつ切りにした骨付きの肉と大根の鍋は、煮込むほどに味がしみ込み、何とも言われない甘みと骨からにじみ出る髄液とがまじりあってであろうがその味はどんな鍋にもない独特の味となり、箸を止めることができないくらいである。 そんな至福の時間は、ハンター特有の自慢話と相まってとどまることがない。 かっては、これにウサギあぶりの肉もごちそうになったことがあるのですが、これは最近は面倒なこともあってか、なくなってしまった。 とにかく、山郷のこの料理はほかのどこに行ってもごちそうになることができない。 料理の仕方は、地域によっていろいろ違いがあるようですが、私は慣れ親しんだこの地域の料理がたまらなくおいしい。 終わりに近くなって、今日の獲物の「競り」が始まったところで帰ったが、元気にせり上げて景気をつけていたようでした。 山を愛し、自然を愛し、狩猟を楽しむ人々がこの地域には少なくなったとはいえ、まだまだいる。 一定のマタギのしきたりをしっかりと受け継ぎ、後世に伝えていってほしいと思っている。 前猟友会長のご努力で東成瀬の狩猟の伝統をしっかりと記録に残しておこうと、DVDも完成しており、こうした伝統文化は今後も記録し、映像、録音などあらゆる手法で保存していくようにしたいと思っている。
スポーツ マスターズスキー大会 2013年3月17日(日曜日) 爽風雲 全日本スキー連盟B級公認マスターズスキー東北大会が、ジュネス栗駒スキー場で開催された。 B級公認大会は、ジュネス栗駒スキー場でも初めてであり、長年開催を希望していたのがやっと実現した。 30歳以上からの参加で、最高は82歳の方もおられ、遠くは兵庫県からの参加者もおられた。 開会式では地元からのお礼を含めて来賓挨拶をさせていただいた。 組織委員会にもくわえられ、しっかりした運営組織もでき、選手も各種大会に参加しておられることから、綿密な打ち合わせとコース設定や、役員の方々の配置などかなり慎重なものであった。 これまでも、多くの大会を実施してきたスキー場側としても、あるいはスキークラブとしても相当神経を使った運営となったようでした。 コースも少し緩んだのですが、比較的よく整備され、選手からは好評だったように感じられた。 1戦目の終了近くには雨模様となり心配されたが、無事に日程を予定よりも早めに終了できてよかった。 選手役員に良い印象であれば、再びの開催にもつながることでしょうから、関係者の皆さんも頑張ってくれたものと思っています。 ありがとうございます。
ノンセクション 終わった 2013年3月16日(土曜日) 爽風雲 こんなタイトルもないかもしれませんが、正直なところ議会が無事閉会するとほっとする。 しかも、提案した議案が全て可決承認しての閉会は「終わったな」とゆっくりする。 議会での議論はそれだけ緊張感を持っての議論であり、深い意義があることになる。 そうした、気構えと意識を持って臨まなければならないとしっかりと心すべきであると心得ている。 それだけに、議会で議長が閉会を宣告するとゆっくりする。 今回の議会では、定例会で行われる一般質問とことに3月定例議会では次年度の予算案を審議する重要な議会であり、予算審議特別委員会が設置され、集中的に審議されることから、職員も私自身もかなりの神経を使い、その準備に入るし、事前に検討も加えている。 そうしたこともあり、閉会するとゆっくりすることになる。 今回はその緊張感の後は会費を出し合い懇親会でお互いのご苦労をねぎらい、歓談し合った。 特に先日は管理職2人が退職する事からその慰慰会ともなった。 その二人から、今まで聞いたことのない話も聞き、感慨深いものがあった。 ご苦労さんでした。 そんなこんなで、実にゆっくりした、楽しい議会閉会の後の懇親であった。 退職者は管理職の二人と、幸寿苑の介護員二人がおり、本当にお疲れさんでした。心から感謝とお礼を申し上げたい。 また、3年間でありましたが、秋田県から派遣していただいたMさんも秋田県に帰られることになった。権限移譲に伴う指導を中心に本格的な事務事業に対する事務取扱、特に障害者自立支援法関係の福祉関連事業などをきっちりと整備、指導をいただいたことに心から感謝したい、ありがとうございました。 今後ともよろしくお願いしたいとおもっています。
農政 攻める農業? 2013年3月15日(金曜日) 爽風雲 東北農政局長が直接秋田に来て、県内の市町村長と意見交換する機会を作り、より良い農政の推進をしていくとして、農政局の地方センターが市町村長に日程を調整して参加を求めての懇談会があった。 そうした要請もあり、かなり無理をして参加した割には、市町村長の直接出席は半分にも満たなかったし、代理出席さえもない団体が結構あった。 内容的にも、攻めの農業を目指しての意見交換、懇談会といいながら、しかも一方的な事業説明でなく意見を聞きたいとしながら、説明も資料に基づき早口で説明、その上、これまでと名称が変わっただけだとか、内容的には変わりないなどと、言った具合で、これでは事務的に詳しい事務担当者の会議にしてほしかった。 それに、局長さんが直接出席しての機会であることから、市町村長に出席を求めていたのに、その局長さんは欠席、これは一体何だのだろう?と思った方々も多く、そんな会話があった。 意見交換も前向きな話しは殆どなく、本省につなぐ、話して置くなどといった回答で、どうも白けた会であったように感じてならなかった。 従って、会場からは、攻めの農業なら、当然海外に攻めて行くのだろうから、それなら、海外並みの「直接支払い」をすべきであると、ズバリと指摘されたのには全く回答なし! 私からは、政策の全般において、地域には地域特性があり、全体的な網かけではなく、地域にあった支援制度の創設、例えば直接支払制度における、畑地と水田の一括委託から、耕作の難しい畑を除外するなどの施策を求めたが、全体的な制度としては無理であるとのこと、それでは、利活用が可能な農地が放棄されふことになりかねない気がしてならない。 そこいらあたりを考えてもらいたいものである。方どおりのかいとうであった。 こうして延々と3時間も続いた。 来年からは参加者も少なくなりそうだ。 当然ですよね!
スポーツ, 雑感 3・11を思い出して 2013年3月14日(木曜日) 爽風雲 平成23年3月11日の手帳を出して、あらためて思い出してみた。 あの日は、議会の最終日で、お昼前に閉会したことから、秋田市での移植医療関係の会議に出席のため出張して秋田市手形の陸橋に差し掛かる直前にものすごい異常を感じて車の外を見を見ると、家家から人々が次々に出てくるし、電柱は揺れる、電線は波打つ、地面は盛り上がる、車も揺れる、間もなく信号も消える、これはすごい地震だ! それでもかなり長い時間揺れた感じで、車のテレビを見ていたが、宮城県での地震発生を知らせていた。 落ち着いたところで、とりあえず会議場に向かったが、信号が止まったままなのでかなり慎重に進んで行き、到着、会議の場所も当然のごとく停電であるものの、とりあえず会議は開かれた、理事長のお医者さんである加藤さんが、こうした非常事態なのでなるべく早く会議を切り上げたいとのあいさつで始まったが、途中何度も余震があり、お隣の婦人会代表の方は、わーといってこちらにしがみつくありさま。 30分もしないで会議を終えてとにかく早く帰らなければならないと気が焦ってばかり、会議の始まる前から電話で連絡が取れていたが、村のほうは特に目立った被害はないようだがすぐさま調査ために職員が行動に移ったとのことであった。 この時点では、副村長人事が内定し、議会からも承認をしていただいたことから、議会のあいさつに来ていた副村長から対策本部に入ってもらい、打ち合わせをしてもらった。 秋田での会議後3時30分にただちに帰途に就いたが、当然のごとく高速は止まってしまい、13号線を走ることになったが、すごい渋滞で、役場に到着したのは18時30分、地震対策本部での報告打ち合わせ。対策検討。 雨雪で冷え込みも次第に厳しくなった。 停電。 この日の積雪深は役場で193cm、地震の際に屋根に雪があったらどうしただろうか? 自宅に帰った時間は書いていなかったが、カップラーメンを食べたことは書いていた。 停電で、真っ暗やみの中で、孫たちも不安そうな夜になった。 地震の名称は「東北・関東大地震」(後で、名称が変更になり「東北・太平洋沖地震」となる)で14・46発生、震源地は岩手・宮城沖、マグニチュード9.0、地下で400kから200kのプレートが動いた。大津波発生とあった。 車での移動途中、車のテレビをずーっと見続けていたが、考えてみると、車のテレビだからこそ見ることができたのであって、停電ではこの様子は全く見られなかった。 その津波の様子はすべて見ることができたが、何とも言われない、ただただ驚くばかり、こんなことがあるのか、あまりにもリアルで、そのすごさに、押しつぶされている家屋、車、飛行機、すべてのものが押しつぶされ押し流され、道路を超え次々に襲いかかる津波の恐ろしさを、この世のものとは思えない状況に、まさかと思いつつ、これが現実なのかと目を疑いたくなるような状況であった。 こんなことが日記に書かれていたし、あらためて2年前を思い出してみたところでした。