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交通災害共済研修

image image 秋田県総合事務組合が行っている交通災害共済事業の研修視察地に、全国でも順調に事業が運営されている愛媛県組合を選び審査委員の方々と共に研修した。 加入者の減少、災害認定に当たっての複雑化、加入団体の脱退、民間保険会社の進出など抱える課題は互いに大きかったものの、大いに参考になった。 これからの事業に役立つものと考えている。 台風24号の影響をもろに受けて、移動には事務局もかなり苦労したようであった。 今朝の台風予報では、進路の真っ只中に秋田県地方があり、そちらのほうも心配でならない。 何とか進路がずれるかしてほしいと願うばかりである。 瀬戸内海も台風予報の影響で曇っており、フェリーもゆれている。

打ち合わせの連続

    休日明けには多くの打ち合わせが待っている。 朝一番から河川整備計画の打ち合わせなどが行われた。 この数年間河川の総合的な整備計画の早急な必要性が求められてきたが、政治状況などから遅れに遅れてきたところでした。 このたびやっと、その計画のための検討が再開されることになったようである。 この後すぐに秋田に走り、市町村職員の退職手当問題、特に酒気を帯びての運転による懲戒免職処分が行われた事案で、退職手当の支給事務、事業を行う組合として不支給とした決定に対し、訴訟があり、この裁判において第一審で敗訴した。 この事案に対し、高裁に組合として訴訟を提起し、そのために今後こうした事案に対し審査会を立ち上げ、対応するための打ち合わせが行われた。 法律的問題でもありかなり専門的なことから判断していかなければならないし、今後大きな問題、課題として対応しなければならないだろうと考えている。 公務員に対する世論の厳しい見方とともに、労働者としての権利、退職手当の趣旨など相当広い範囲からの判断が求められることになりそうである。 難しい局面もあるだろうし、難しい判断も予想されるところである。 終わって、町村事務の共同電算化事務事業組合の臨時議会に引き続き管理者会が開かれた。この後、事業委託したコンピューターセンターを視察した。 セキュリテーも極めてしっかりしており、その規模、地震対策のための免震構造も三振構造で秋田県では最先端ではないかと思ったところでした。 このあと、森林の外国資本による買い占め防止のための県条例制定にあったの審議会委員としての説明をしていただいた。 実際問題として、そうした事実があるのか、懸念されることがあるのかと同時に、個人所有の財産についてそうした規制を求めることができるのか、慎重にすべき課題ではないのかと思ったところでした。 とにかく広い分野の打ち合わせ会議で一日が終わったところであった。 次々とあらたな課題は出てくるものです。 帰り際に見た空では今日もまた、いろんな形をして雲が遊んでいた。

中国山脈もみえて

image image 隠岐からの帰りは、台風の影響が少しあってか、多少波が高かった。 境港まで約3時間あまりの海路の旅、隠岐には約40年ぶりであった。 離島振興法がかなり充実し整備も進んでいるとはいえ、苦労も多いだろうと感じた。 離島なるが故に漁業の価格が輸送手段の高騰から成り立たず、仕方なく養殖漁業に転換しても、採算性が厳しい、更にこれに関わる販売店、土産屋も経営出来ず、次第に閉店することとなっているようでした。 過疎地の陸路輸送、離島の海上輸送の課題はますます大きなポイントとなってきている。 そういった観点からすると、我々過疎地はまだまだ頑張れる要素があるように感じられる。 海をジッと見ながらそんなことを考えながら隠岐を後にしました。

隠岐諸島へ

image image image 隠岐の海士町と西の島町を訪問している。 鳥取県七類港から フェリーで約3時間あまり途中知夫村の来去港、西ノ島町の別府港、海士町の菱浦港などに寄港しての航路である。 海士町では山内町長さんと離島振興、キャッチコピー「ないものはない」の趣旨、町おこしなどを、斎藤会長とご一緒に意見交換させて頂いた。昨日まで日本で最も美しい村連合の戦略会議が開かれており、最終日で出席した方々を見送りされていた、大変忙しい合間の町長さんに面接できて、恐縮した。 海士町にその手伝いを兼ねてきていた、地域おこし協力隊の佐藤さんの案内で町内を視察させて頂いた。 先日、魁新報のシリーズもので紹介された、海士町在住の秋田県出身の秋元さんと町営学習塾の話しができて、とても参考になり、今後の方向付けにもなった。 民家を借りての塾であり、間もなく、別建ての施設が計画されているとのことでもあった。 何よりも、この離島で秋田県出身者が頑張っていることに感激もした。 200人を超える移住者がいること、その多くが、教育などのための移住であること、そのきっかけ、今後にかなりの関心を持つこととなった。 それは秋元さんを含む指導者であり、勉強、受験生であることにも 強い関心を持ったところでした。 隠岐諸島は多くの島で構成されていた、歴史的にも古く、海路の重要港湾があり、後鳥羽上皇や後醍醐天皇などの遠流の地でもあり、政治に関わって流された著名人も多かった歴史の地域でもある。 直木賞作家・安部龍太朗さんの「天馬翔ける」の最後の場面で、天馬密輸の輸送中に、嵐に遭遇、避難した港はどこだったのか?船から下ろし疾走させた草原はどこだったのか?西ノ島の鬼舞展望か国賀の魔天崖の地であっただろうか?最終目的地の境港に無事つき、運んできた「天馬」を幕府に献上したロマンあふれる小説を思い出した。 そうした尽きない想像が次々と浮かんでくる、要衝の地の隠岐であった。 海士町は小綺麗な掃除の行き届いた、街で、気配りのある町とみた。 公共施設もさりげなく掃除が行き届いていた。

村の診療所開設責任

image image image 全国国保地域医療学会の開設者サミットが私の役割、前段では保健師の発表が落ち着いてしっかりと無事に発表することができてホッと一息、私が心配することもないわけですが。 サミットでは、医師確保、行政の役割、福祉を含む地域包括医療・ケアを全国の都市へ、「連携と協働」が新たな目標として示されたように感じた。 この発表では大森病院の小野院長が宿題発表をし、極めて具体的な発表内容で会場は熱気が高く、感動的でもあった。 行政の協力、理解を求める声もあったが、私からすると、どうして住民の為になる医療現場を理解しないことが不思議でならない。 医療機関と行政である福祉と保健師、看護師、社会福祉協議会と同時に各種団体の連携がますます大事であることを確認できた。 現場主義の大切さを改めて感じたところでした。 この学会の創設者の一人でもある、広島県みつぎ病院の山口先生の特別発言で、保健師はデスクワークよりも、住民に出来るだけ接し以後の対策をとるべきであるとするのみならず、具体的な活動を求めてまた。