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一休禅師辞世の句

越谷での葬儀は私たちが普段執り行っている葬儀とはかなり違いがあることを知った。 初めてではなかったが、戸惑いもあった。 やはり、ところが変わるとそうしたしきたりなんでしょう。 ほとんど二日間にわたってのことになり、お通夜の儀式が中心となっていた。 祭壇もかなり大がかりであり、故人の故郷をイメージした山や川、樹木、など自然を取り込んだ風景と風や雲もあしらわれていた。 そんなことを思い浮かべながら、一休禅師の「今死んだどこへも行かぬ  ここにおる  ここにおる たずねはするな  ものはいわぬぞ」の辞世の句がおもいおこされた。 これからもこの句を時々おもいおこし兄を偲びたい。

兄とお別れ

発病して5年、かなり元気になったと一安心していたやさきの5月頃からだったらしいが、疲れがひどくなったようだとの連絡を貰った。 日課の散歩のあと、疲れた様子があるとのこと。 5年前までは病気ひとつなく、医者要らずの兄貴だったので、又回復するぐらいに思っていたのが、今回はだめだった。 好景気の日本経済のなかで、四大証券に次ぐ証券会社の副社長に就任したのが平成3年、そのとたんに、不況に見まわれ、株価暴落!その煽りを受け厳しい会社対応、その記者会見とマスコミ対応に担当副社長として連日対応、その姿をテレビでみて、田舎に帰ってこいと言いたくなるような毎日であった。 その後、その対応が一段落すると、子会社の会長になり、現役引退後は少しはゆっくりしただろうと思っていた。 ふるさと東成瀬のことについてはいつも気にかけていたし、私がこんな立場になるに当たってもいつも気にかけてもらっていた。 初出馬の選挙の時もしっかりとついていてくれた。心配だったのでしょう。 私にとっては頼りになる兄貴だった。 勿論学業も私なんかは足元にも及ばなかったし、多くの面で小さい頃から可愛がって貰った。 79歳は少し早すぎた。 9月19日に見舞ったときはすこぶる元気でこの分だと大丈夫と思っていたが、残念。 私が手術するにあたっても自分のことよりも心配されたようだった。 我が家にとっても大きなショックな出来事でした。 ゆっくりやすんでください。 さようなら。

元気に学習発表会

東成瀬小学校の学習発表会が行われた。 例年よりも寒さが早いような今年、会場ももはや冬構えといった感じで、お母さん方の中にはショールやひざ掛けなどを持ち込んでのお客さんも多かったように見えた。 そんな中で発表が始まると子供たちの元気いっぱいの声や演技に会場は熱気にあふれ、寒さも忘れるかのようでした。 それぞれ各学年ひとつづつの発表であるが、すべてにおいてしっかりとした目的、発表の意義、学習した成果が込められており、さすがふるさと学習の成果を地域の方々にもしっかりと報告できる内容でとても素晴らしいと感じた。 しかもです、これからの村の在り方までも踏み込んだテーマまでもあり、随所に自分たちの村「東成瀬」が組み込まれておる他に方言もふんだんに使われており,先日の国文祭の影響や効果なのかなと勝手に解釈した。 最後の全校合唱は定番になった「悠久の風にのせて」は会場を圧倒した。元気元気!最高でした。 保護者の皆さんも元気がもらえたことでしょう。 ありがとう!東成瀬小学校の皆さん。ご指導していただいた先生方にも感謝したいものです。 転任された先生や退職された先生方も見えられ、その成長ぶりにそっと涙ぐんでおられた。 全校合唱にはわたくしもつい目頭が熱くなってしまった。 3年前のこの発表会は病院から半日だけ許可をいただき見に来たことを思い出しました。  

緊張の連続

今月は大きな事業が連続してあり、かなりハードな動きをしたためか、少し体力的にも精神的にも疲れが残っているような週初めである。 それに加えて、台風19号がかなりの大型で、村の事業に参加してくださる方々も交通機関の乱れやその動き、対応に職員は懸命に対応してくれたようで、何とか無事に終えることができそうである。 国文祭行事もまさしく、文化の原点でもあると思われる、昔語りや、方言など、地域に根ざした文化をしっかりと伝承しつつ、後世に残し伝えていくえていくことの重要性を「伝承文化」として確認し合えたものと確信しているところである。 先週は、医療保健部門では極めて権威のある保健文化賞を受賞することができましたことは、この上ない喜びであり村としても大きな誇りでもありました。その上天皇皇后両陛下にも拝謁することができ感激でもありました。 また、国保地域医療学会では村から4名の学会発表があり、これまで一番多い発表でありました。 このように医療、健康、福祉、教育など村が重点的に取り組んできた分野であり、これからもこうした取り組みを積極的に推進していきたいと考えているところであり、励みにもなりました。 そんな一方で、かねてから進めていた私の実家の解体作業が出張から帰った11日にはすっかりかたづけられ更地になっていた。 やむを得ない事情ではあるものの、どこか誠に寂しい限りで、自宅に入る前に実家の前にしばらくたたずんで育った当時を思い起こしたところでした。 時代は変化していくものでしょうし、空き家となってしまってはどうしようもありません。 複雑な気持ちで一杯でしたが、翌日からはそんなこととは別に忙しい日々を送っている毎日です。 昨晩は我が家の3年生になる孫が、野球スポーツ少年団の紅白試合があり、初めてバッターボックスにたち、レフトの守備位置についたそうで、いきなりデッドボールで出塁、それも緊張のあまり避けることができなかったりであり、出塁をしても足が震えて走ることができなかったなど、大笑いしました。夕食はたらこ飯のお寿司で初デビューをお祝いをしました。    

日美連のフェスティバル

日本で最も美しい村連合加盟の団体が集まってフェスティバルinきたしおばらが今日から二日間に渡って福島県北塩原村で開催される。 村からは、今年は村内4地域の地域づくり推進協議会の代表の方々4名にご参加いただき、この運動の趣旨をご理解いただき、今後の村における、この運動の中心になっていただきたく参加していただいた。 昨年までは、議会や商工会、観光協会などに 参加していただきましたし、これからも実際どんな活動をしているかを、全国で取り組んでいる状況などを聞き、話し合いにも参加していただき、今後の活動に役立てていただきたいと思っている。 前日に入らないと、時間に間に合わず、1日に着いて、時間があったので、裏磐梯地域であるこの村には、大きなスキー場やペンション、ホテルがあり、国立公園にも村でなっている、桧原湖や五色沼もあり、ホテルから歩いて10分ぐらいの距離が五色沼でした。 思い起こすと、40年以上も前に新婚旅行でこの五色沼にきた覚えがあった。 歩くと時間もかかり、夕闇も迫って早足で歩いたが、所々に「熊に注意」の標識でびくびくしながら散策したが、散策どころでもなかった。 遅くなるとほかのお客さんもほとんどなく、こんな時間には歩くべきではありません! でも景色はよかったし、五色沼の3個しかみることができませんでした。