カテゴリー別アーカイブ: 芸術・文化

お見舞い

image 14日に熊本県で発生した断層地震が今日の未明に発生した地震の前震だったそうで、何とも言い様のないようなくらいの地震で、なくなられた方々に心からお見舞い申し上げたい。 発生時間が夜、更に未明と言うことで、被災された方々は本当に着の身着のままでの避難であったようでどんな思いであられるのかお察し申し上げたい。 被災されている市町村の皆さんも懸命な対応にご苦労されていることでしょうし、しかも被災範囲が非常に広範囲であり、人命救助はもちろん避難所対策も緊急性を要することから、政府は対策本部をいち早く立ち上げものすごいスピードで自衛隊、警察、消防などの他、緊急援助隊などの派遣を決定する姿勢は頼もしく感じている。 国会審議も柔軟であり、さすが緊急時対応は素晴らしいものであると感じている。 災害対応がスムースに進むことを心から祈っていたい。 熊本県の錦町とは土砂災害協力協定を結んでおり、被害状況をお聞きしたところ現在は被災しておらないようでこちらの方はひと安心と言ったところです。 今日は田沢湖の秋田わらび劇場でのミュージカル「ハルらんらん」の初日公演に来ています。 何か申し訳ないような気持ちでもありますが、折角のご招待なのでゆっくり観劇させていただきます。

功労者表彰

IMG_0617 昨日は年度末にふさわしいくらい極めて密度の濃い日程の一日であった。 その日程の中に、平成27年度東成瀬村表彰式も行った。 今年度は功労賞として自治功労者4名、スポーツ賞の栄光賞6名、奨励賞21名と団体1、芸術文化賞の栄光賞4名と団体1,奨励賞8名の方々、団体に表彰状と記念品を贈った。 特徴的であったのが、芸術文化賞に多くの該当者があったことで、こうした傾向は今後も強まっていくように感じたところでした。 幅広い分野でそれぞれの得意とする能力を発揮することができることはとても素晴らしいことであり、多いに賞賛したいと考えている。 今後も一層の努力、研鑽を重ねてますますご活躍されることを期待したいと思っています。 おめでとうございました。

コミュニティ文化祭

image image image image 私の地元地域の文化祭が行われています。 コミュニティ活動の重要性が盛んに秋田県全体で唱えられるようになった頃が今から40年以上も前になります。 我が村でも、地域の結び付きが希薄になりつつある時代に入り、何とか歯止めをかけようとして、県政全体としても取り組まれるようになった。 そうした施策としてコミュニティ活動の拠点としてセンター建設にも秋田県単独事業として助成されることになり、岩井川地区でも部落財産を処分して負担金500万円を支出してコミュニティセンター建設をした。 総事業費用は国庫児童館、老人憩いの家、生産活動施設など諸々の複合施設として、数千万円を越える事業費であったのではないか。 来年は40周年の節目にもなることになるようだ。 それにしても、39年もこうした世代を越えての芸能発表、作品展示など内容豊かに継続して来た実績は、大いに評価されるべきことであるものと感じた。 最後には羽後町出身の歌手、岩本公水さんの公演が沢山のお客さんに来ていただいて盛大に行われていました。

石斧(せきふ)の材質

IMG_0424         (東成瀬村ふるさと館に展示されている石斧のレプリカ) 秋田魁新報のトップ記事に、大型磨製石斧の材質がこれまでの緑色凝灰岩とされていたが、研究が進みこのたびこの地質学の権威舎でもある、明治大学教授による鑑定結果から北海道日高地方の糠平川で産出される「アオトラ石」であるとの見解が報道された。 昭和40年11月に東成瀬村田子内字上掵の樹園地農道工事現場で、地下50CMの場所で発見された。 村に寄贈したらとの話も発掘した方に働きかけてくれたようでしたが協力していただけず、結局県立博物館が所蔵することとなった。 当時の村の広報にも私が広報担当として取材して記事にしておりますが、村に残すべきであったと今にして思えば残念なことであった。 当時は実際にこの石斧を削り取って鑑定したものではないだろうと思っているし、そんなこともできなかったであろう。 今回は、高度な機器など活用しての鑑定であり、確定的でではないだろうか。 そうすると、緑色凝灰岩は結構産出されることから、近くの山から採取して縄文人が石斧にしたのではないかとの意見であったと聞いている。 それが、アオトラ石、しかもそれが北海道日高地方にのみ産出することからすると、一本の重さ4.4キロ、小さいものを合わせると4本もある、長さも60・2cm小さなものでも32cmもある。 これをどうやって津軽海峡をわたってきたのであろうか? あるいは、原石を運んできて上掵遺跡で磨いたのであろうか? 北海道との交流は? 縄文時代からこうした交流があったことだけは確かなわけで歴史、考古学などの観点から解明が今後進められることになるであろう。 我が村でも、この上掵遺跡の発掘事業、題して「縄文ロマン事業」を継続して続けておる最中にこうした新たな状況になったことから、今後ますますこの事業を協力に関係機関の協力をいただきながら取り組んで生きたいと考えているところです。 古代に馳せる大きな夢であり希望でもあります。 村の歴史に新たなページが加わわることなることにもなりかねません。

出羽の国の昔っこ

IMG_0409 IMG_0413 IMG_0415 IMG_0417IMG_0418IMG_0419   国民文化祭が昨年度秋田県全域で華々しく開催された。 その前年にはプレイベントも開催され昔語りに関心のある方々が多数参加されましたし、本番の一昨年も全国からたくさんの参加をいただき大成功であった。 これを一過性の事業とすることなく継続して後世に伝承すべく検証しつつこれからもこの事業に取り組んでいきたいという熱い思いもあり、昨日県内外から6人の語り部により12の昔話を披露していただきました。 語り部も年々高齢化しており、語り部の確保にはそれぞれの地域でも苦労、ご難儀されておるようで懇親会の場でもそうした苦労話を伺うことができました。 その点、我が村の場合は若手の語り部が登録されておりうらやましがられていました。 昔語りは我々が子供のころに親から眠るときに聞かされた昔話の印象が濃く、その話の全てを覚えていたわけではなく、聞かされている途中には眠ってしまったのが私の昔語りで、今の孫達にもそうしたことを話して聞かせているが、これがどうしたわけかなかなか眠らない。 話が面白くないんだろうか、あるいは話の内容に興味がないんだろかどちらなんでしょう。 民話としての「昔語り」と私が覚えている「昔語り」とは微妙なずれがあるように感じているものの本質的な違いはないだろうと思っている。 いずれこうした語り部の方々が、地域からおらなくならないように努力をしなければならないだろうと強く感じたところでした。 それにしても、記憶力、元気さは並大抵なものではありません。 ますますご壮健で頑張ってほしいものです。