(東成瀬村ふるさと館に展示されている石斧のレプリカ)
秋田魁新報のトップ記事に、大型磨製石斧の材質がこれまでの緑色凝灰岩とされていたが、研究が進みこのたびこの地質学の権威舎でもある、明治大学教授による鑑定結果から北海道日高地方の糠平川で産出される「アオトラ石」であるとの見解が報道された。
昭和40年11月に東成瀬村田子内字上掵の樹園地農道工事現場で、地下50CMの場所で発見された。
村に寄贈したらとの話も発掘した方に働きかけてくれたようでしたが協力していただけず、結局県立博物館が所蔵することとなった。
当時の村の広報にも私が広報担当として取材して記事にしておりますが、村に残すべきであったと今にして思えば残念なことであった。
当時は実際にこの石斧を削り取って鑑定したものではないだろうと思っているし、そんなこともできなかったであろう。
今回は、高度な機器など活用しての鑑定であり、確定的でではないだろうか。
そうすると、緑色凝灰岩は結構産出されることから、近くの山から採取して縄文人が石斧にしたのではないかとの意見であったと聞いている。
それが、アオトラ石、しかもそれが北海道日高地方にのみ産出することからすると、一本の重さ4.4キロ、小さいものを合わせると4本もある、長さも60・2cm小さなものでも32cmもある。
これをどうやって津軽海峡をわたってきたのであろうか?
あるいは、原石を運んできて上掵遺跡で磨いたのであろうか?
北海道との交流は?
縄文時代からこうした交流があったことだけは確かなわけで歴史、考古学などの観点から解明が今後進められることになるであろう。
我が村でも、この上掵遺跡の発掘事業、題して「縄文ロマン事業」を継続して続けておる最中にこうした新たな状況になったことから、今後ますますこの事業を協力に関係機関の協力をいただきながら取り組んで生きたいと考えているところです。
古代に馳せる大きな夢であり希望でもあります。
村の歴史に新たなページが加わわることなることにもなりかねません。