カテゴリー別アーカイブ: 芸術・文化

学習発表会

東成瀬小学校の学習発表会があった。 「つくり上げよう!ハートフルステージ!」を学習発表会のテーマにしての発表会であった。 校長先生からその意味が説明があり、「心のこもった」ステージにしようとする思いのこもった内容にしたいとする気持ちの表れた各学年の発表であった。 この春に入学したばかりの一年生の素晴らしいい成長ぶりを示してくれた元気な開会挨拶から始まった。 会場は多くの家族がたくさん参観に訪れ、ひとりの孫や子供のために6人ぐらいは参観者という家族も多かったようでした。 かなりの長い時間、しかも内容の濃い演目もあり、会場からは「すごい大作だ!」といった声が上がっていました。 ふるさとの歌・悠久の風にのせて は聞くたびにそのコーラスぶりが元気になり、会場は心地よい雰囲気になりました。 ガンバレ成瀬っ子!

 

難しいぞこの写真とり!

昨晩、孫たちのグループ「yosakoi仙人郷キッズ」の練習会があった。 孫がどうしたわけか珍しく疲れたといって練習には参加しないということでいたら、何かに使うのでしょう集合写真を撮るとのことで、すでに午後からJAグループのパークゴルフ大会に出て、そのあとの懇親会にもしっかり出席したので一杯どころではなくいただいてきた。 その上、物産協会の総会もあり、そこでは挨拶のみとさせていただいたが、地域おこし協力隊員もこの分野での活動をしていることから、お互いに足を引っ張らず、協力し合って物産振興あるいは新たな物産振興の起爆剤に協力隊員がなればと大いに期待して、協力を願ってきたところでした。 そんなわけで、帰宅をしたところに孫の集合写真撮影に急きょ私が連れて行くことになり行ってみたら、そのにぎやかなこと、しかもキッズですからなかなかカメラに集中することは無理に近い。 当然のことです。 それを、若いお母さん方はなれたもので、しっかりとまとめ上げて写真にするんですから凄いものです。 私の撮った写真はご覧のとおり。 何が難しいといっても写真ではこの年代の写真くらい難しいものはないのではないでしょうか? 私はそう思っています。 それを見事にまとめあげるのですから大したものです。 お見事見事!

ミュージカル「 小野小町」

わらび座で「小野小町」のミュージカル初日公演が25日から始まった。 脚本が内館牧子さんであり、普段から秋田魁新報の寄稿を必ず読ませてもらっているし、どんな「小野小町像」が演出されるのか、内館さんの考える歴史上の絶世の美人、秋田美人の原点とも言われる人物がどう描かれ、歌人としての小町、教養豊かな小町がどのようにして育ったのか、出羽の国から京に上り、帝の寵愛を受ける迄になったのかが、どのようなストーリーで進むのか非常に関心があった。 約2時間、休憩も入らず、一気に舞台は進み、私は小野小町の全体像も、人物像も考えてみると何の知識もなかったことに気づいた。 もちろん、古今和歌集の六歌仙の歌人の一人として、いろいろな場面で必ず紹介されていたので少しは理解していたぐらいであった。 それが今回のミュージカルで「花のいろはうつにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」を詠んだ小町が晩年になって「我死なば焼くな埋むな野に捨てて 痩せたる犬の腹を肥やせよ」と呼んでいたことを知り、その激しかったであろう京での短くも燃えるような生涯と達観し尽くしたような心の変遷を今回のミュージカルで知ることができ、しかもその人となりが見事に演出され、全体像が理解できて、とても楽しいものになった。 その生い立ち、京に上ることになったいきさつ、京でのめまぐるしく変わる生活と環境、その後の出羽の国、雄勝に帰ってから、92歳までその地で暮らしたといわれていることなど、実にわかりやすい構成となっていた。 もちろん、この構成などには全国の多くの地域で小町ゆかりの地があるように、異論もあるようでありましょうが、脚本を担当した内館さんの豊富な資料収集によったものであり、私たちはそれはそれとして理解してよいとも思っている。 初日公演には、内館さんも見えられ、フィナーレであいさつをされていた。 どんなミュージカルになるのかどきどきハラハラの2時間であったが、幕が下りとほっとしたし、素晴らしい演劇であり、構成であった、と脚本家としても満足しておられたようでした。 京の都から見た出羽の国(蝦夷の国)という地方蔑視、、女性に対する偏見に敢然として立ち向かう小野小町像が見事に描かれていたものと思った。 それはとりもなおさず、現代の地方に対する考え方、見方と同時に、女性に対する偏見などに対する作者の強烈な考え方でもあるように感じた。 いつの時代も女性は強い、強くなければならないのでしょう! 小野小町とその母親「大町子」の熱演が輝いていたし、作者の心が写っていたように感じた。

縄文土器完成

祖父母と孫たちが共同で作った土器が自然乾燥した後から焼き上げて見事な土器が完成した。 素晴らしい色合いの土器で、家に持ち帰って、母親は花を生ける花器にしたというし、私は水差しにして使うといっていたら、どうやらどちらも、孫の反対にあって無理であった。 つまるところ、水を入れると時間経過してから自然に水が漏れるとのこと。 砂を使っていないし、あくまでも土器の形づくりをしたわけで、そうした使い方をするためのものではないことが分かった。 考えてみればその通りであり、しっかりと飾っておくことにしよう。 この、土器つくりの際に天候の都合で実現しなかった、石器発掘作業を経験したようですが、何点かの石器などを発掘して大喜びで、その様子を帰ったらさっそく報告してくれた。 とてもうれしそうで、いい経験をしたようです。 正しく縄文ロマン事業であり、子供たちの夢も広がったことでしょう。

ALTにお茶会

image 茶道玉川遠州流のお茶会を、日本で頑張っている、ALTに経験して貰い、日本文化の一端を紹介し、さらには普段から何かと文化などの違いで苦労しておられる外国から来られている若い人達を招待する企画が、横手市睦合の農村環境改善センターで開かれた。 当日は、秋田県阿部宗修支部長さんもおいでになり、日本のお茶について説明してくださり、終始お茶の楽しみ方、日本文化の深さなどを分かりやすくはなしながらのお茶会で、私なんかは全く初めての経験で、かなり堅苦しく考えていたのであるが、もっと気軽にお茶を楽しむことができることを知った。 釜や茶碗、お菓子、歩き方、畳のへりを踏まないこと、部屋に入って来るときの第一歩目、掛け軸、花など詳しく話しを伺うことができた。ALTの方々もかなり関心があり、またお茶会があれば来たいと楽しそうに話しておった。 私も、妻からの誘いもあってでかけたがいい経験で、かなりあった。