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県庁同窓会

毎年9月定例県議会開会中の夕方、秋田県庁美入野会(横手高校同窓会)の総会が開かれ、その後に県議会議員、市町村長を交えての交流懇親会が開かれている。 私も同窓生の一人であり市町村長の一人として欠かさず出席させていただいている。 この会は、本庁在籍者170名の同窓生で構成されているようで、出先機関を含めると結構な同窓生が活躍しておることになります。 今回は昨年から就任した塩田謙三同窓会長や教頭、戸部同窓会事務局長も出席して、学校の様子や、同窓会の近況などが報告された。 その中で、驚いたというべきか、時代が変わったんだなーと思えることがあった。 それは、新入生を迎えての恒例行事である裏山での「団歌練習」が、最近は裏山周辺に住宅が建ち並び、その団歌練習がうるさいというクレームが寄せられると言うことである。 これは一体どうしたことなんだろう?伝統ある団歌練習がこうしたことで、縮小あるいは取りやめになったりすると残念でならない。我々の時代は、この練習の時は、数百名の練習に、生徒指導の教師がたった一人、遠くから見ているだけか、近づいても新入生の姿勢や態度などをだまってみている程度で、特に練習の仕方や気合いのかけ方などに注意することもなく、伝統的な上級生と下級生の関係をしっかりとたたき込まれることを「よし」としていた光景であったように覚えている。 確かに、上級生は怖かった!時折教室にも休み時間にきて部活の勧誘などもしておった。 そうした関係をしっかりと築き上げて、学校は規律が保たれていたのでしょう。 今にして思えば、懐かしい限りである。 また、同窓生がふと思いついて、団歌練習風景を見に「裏山」に出かけたところ、意外な光景に出くわしたとのこと。 それは、女子の上級生が新入生の男子生徒に注意か気合いかかけていたが、その男子生徒が突然、泣きべそをかきだしたとのこと! これには驚いてしまった、と話しておられたそうです。時代が変われば変わるものだとつくずくがっくりしたと言っていたそうです。 そうなんでしょうなー。 ところで、この同窓会に行っていると、県庁の各課を回っているとどこかに同窓生がおるもので、特に用事がなくとも寄って挨拶をしている。 たまには、相談することもあるので助かることも多い。こうしたおつきあいは大事にしていきたいと思っている。 ちなみに、県議会議員は6名、市町村長は4名となっています。

国語の力が衰えている

毎年文化庁の「国語に関する世論調査」の結果を新聞などでお目ににかかる。 そのたびに、愕然とすることが多い。 普段何気なく使っている言葉遣いや、言葉の意味、熟語の意味や使い方など、全く別の意味で使っていたり、書いたりしていることに気づき唖然とすることが多い。 正しい使い方をしているものと思って、解説を読むと違っているか、やや似た使い方をしているものの、適切ではないものも多いのである。 これが、文章にして表現する場合は辞典などを調べて書くことができるのであるが、会話だとこれができず、間違ったままで過ごしてしまうことになる。 従って、話している相手の方は、ははーこの人は間違った違い方をしているな。これぐらいの人間かと思ってしまうことになるのであろう。 これまで、相当間違った言葉づかいをしたままであるように思えて、冷や汗やら、「ざわっ」とした思いでいる次第である まして、このブログであっても、かなり間違った国語を使ってきているように思えてならない 言い訳めいているが、読み返しをしておればよいものを、いきなり書き込み、読み返しもせずに公開しているのが現状であり、これからは少し気を付けなければと思っているところである。 手書きの文章が最も良いのであるが、そうすると相当な時間を要するし、そうした余裕もないままいきなり文章にしてしまっているのが現状であり、細心の注意をしなければならないと思う。 同時に、手書きの文章もやっぱり大事にしなければならないと思う。 職員には、出張の復命書は必ず手書きの報告を求めているが、最近はごく一部の職員が守っているだけであり、ここいら辺りを徹底すべきか、ほかに何か、職員の国語力の維持のために良い手立てがないか相談してみたい。 私自身もそうした意味合いから、正しい国語の使い方に対する意識をより強めるよう心掛けなければならないという思いを強くしている。

保育園運動会

ここ数年保育園の運動会は天候に恵まれず、体育館での運動会が多かったように記憶している。 昨年、私は病変が見つかり、カメラでの処置をしようとしたが、途中までは順調であったようであるが、最後の最後のところでうまくできず、手術をすることになったために、悶々とした日々を過ごしていた時であり、医師から許可をもらいこの運動会に出た覚えがあった。 その時も、雨のため体育館になってしまった。 孫の運動会は楽しみであり、欠かしたことがなくどうしても参加したく許可をもらった。 今年は、天候も薄曇りながら絶好の天気でみんな楽しそうであった。 ところが、今年は今年で、私が関係している職員互助会の前事務局長が急逝しその葬儀と重なり、挨拶だけとなってしまった。 いつも思うのだが、この保育園の運動会には、本当に多くの家族が来てくれる。うれしい限りである。 この機会にと思って、保育園の運営を民間にした効果がじわりじわりと出てきているように感じていることを申し上げ、さらによりよい保育事業になるよう、皆さんから積極的な提案と、ご意見などをお寄せいただけるようにお願いをしたところでした。 子供は地域の宝であり、みんなで応援してあげたいものである。 この開会式の後、すぐに、秋田市に向かい、葬儀に参加したが、初めての神式の葬儀で、弔辞などでも使ってはいけない言葉などをネットで調べたりして準備したが、何せ初めてのことで、緊張した。 「忍び手」という神前でのしぐさ、挨拶、ご遺族に対する挨拶など、なんとか無事に終えることができた。それにしても多くの参列者であったし、それだけ故人の交際の広さを知った次第でした。 懸案であった、一つの自治体に対し、管財人が金曜日に説明に伺って大筋でのご了解を得られたようであり、職員団体をまとめている本部でも単組に説明してくれているようで、ほぼ問題なく配当事務が進むものと感じたところでした。 さぞ、故人も喜んでおられるものと思っている。 伺いますと、ご家族や友人などの方々にも、今回の破産手続き以降かなり苦しんでおられたようで、故人も私と全く同じに第一に考えていたのが、組合員に対する配当をいかに確実に高配当するかの一点に絞って対応してきた結果が、債権のほぼ7割以上ということになりそうでほっとしているところである。

互助会の債権者集会

秋田県市町村職員互助会(3月解散)が破産申請をし、東京地方裁判所が破産決定を開始した。 破産管財人による債権者と債権額の確定が、まとまり昨日裁判所において、債権者集会が行われた。 参加者からの色々な意見があったものの、大筋では、管財人からの報告が了承された。 この後、1ヶ月の法定期間中に査定申し立てがなければ、十一週後には、債権者に互助会が保有していた資産から、債権者に債権額の一定割合の計算で支払われることになる。 その割合は債権額の7割を越える見込みであることが、管財人さら示された。 市町村の債権額については、これまでの判例の主旨を理解しつつも、主務官庁の指導を得て運営してきたことや、構成団体の委託事務として運営してきたことは問題があるとは言えないこともあり、総合的に判断して管財人が決定をした。 これは、互助会が互助会としての機関決定をし、加入団体の委託事務で取り扱ってきたことでもあることから私は理解できる。 何よりも会員の債権額を出来るだけ確保したいと思い続けてきたものとして、心底から良かったと思っているし、市町村を含む会員から異議の申し立てがなく、無事破産処理が進むことを祈っている。 一人でも、一つの市町村でも申し立てがあれば、その手続きが遅れ、1万人以上の会員や債権者に対する債権額の支払いが何時になったら出来るのか分からなくなってくることのようである。 それは、相当慎重であるべきと考える。 ところで、これを担当していた、互助会の前事務局長のM氏がこの債権者集会に出張していた、月曜日、ホテルで急逝された。 連絡をもらい、ことばを失った。 相当な苦労、激務をこなして貰っただけに、茫然自失であり、その心労は大変なものであっただろうと思う。 奥様からこうした破産処理に至ってからの日常生活をお聞きし、言葉もなかった。 私とは、その処理に当たっては、全く同じ考え方で対処していただき感謝に耐えない。 ほぼ彼の意向と同じ方向の手続きとなっていたこことであり、もう少しと言うところで、残念でならない。 心からのお悔やみを申しあげたい。 ありがとうございました。 最後まで心残りであったあったことでしょう。 安らかにお休みください。

六十路の会

毎年、村内で還暦を迎えられた方々を対象にした「六十路の会」を開催してきた、今年も対象者65名を対象に希望者を募ったところ25名が参加し、久しぶりの再会から、同じ年で、村内で生活しているにもかかわらず同じ年であったことを初めて知るきっかけづくりになり、その後は親しく会話をしたりする友達になったりして、とっても良い機会になっていたことであったという話を聞くことが多い。 「六十路の会」という名称を付けたのは10年ぐらい前であったが、それ以前は秋田県の先進的事業地を視察するという「秋田県の記念日事業・先進地視察事業」の一環で始められ、そうした施設の入館料や視察のためのバス借り上げ料を秋田県が負担して行われていたのである。 当時は、対象者も多くまた、参加者も多く、大型バス5台以上も連ねての大事業であった。 その後県の負担もなくなり、しばらくは、村が負担してその事業を継続してきたところでしたが、「先進的事業」が色あせてもきたことから、独自に視察先を決めたり、参加者と相談をして事業内容を決めて、村内の事業を視察する内容に変更してきた。 これが結構好評で、続けられており、村内であってもなかなか見ることがないこともあり、半日を視察にあて、午後から懇親の場にしてきている。 今年の会もすっかち盛り上がり、約3時間ばっちり懇親を深めあっていた。   ◆ 昨日は、すっかり秋の気配が濃厚となりやはり、彼岸を中心にして気候は間違いなく訪れてくることがはっきりとわかる日となった。 この日、近隣のスポーツ少年団3チームによる、横手警察署増田幹部交番管轄の青少年健全育成少年野球大会が村の球場で開かれた。 久しぶりに子供たちの元気なユニホーム姿をまじかに見て、わくわくしてきた。 私が、スポ少の野球指導(?)をしていたころとはその技術といい、体力といいそれはそれは雲泥の差があり、さすが現代っ子の吸収力と指導力のすごさに改めて感心してしまった。 少ないメンバーの中で、しっかりと練習をし、大規模校と一歩も引けを取らない試合に成瀬っ子のたくましさを感じたところでした。 午後からの「六十路の会」でも孫さんがそのスポ少で活躍している話を聞き、すっかり盛り上がりました。 頑張れ成瀬っこ!