ノンセクション あけましておめでとうございます 2013年1月1日(火曜日) 爽風雲 平成25年巳年元旦、あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。 巳年は私の年、6回目の年男になる、太平洋戦争の開戦の年に生を受け、数々の変化にとんだ年を重ねてきたことになる。 新たな思いで新年を迎えた。 今年は、準備を重ね、企画をしてきた事業を具体的に実行に移す大事な年にしなければならないと考えている。 ともすると、実行を急いで詰めの甘さがあったのではないかと感じられることもあったので、そこいらあたりをしっかりと事前準備に時間をかけていきたいものであると思っている。 しかしながら政権交代とともに、経済対策がかなりのスピード感を持って推進されそうな状況から、そんな悠長なことを言ってもいられない場面もありそうであり、それだけ情報の確保と事前に村が推進すべき事業の選択と準備、企画はこうした時期にこそ重要になってくるものと予想される。 村政運営も、そうした流れを着実につかみ、しっかりと活用することこそが我々の役割であろう。 首相は、経済・教育・外交を立て直すとして、そうした方向のもと経済対策に3本の矢としての、金融政策・財政対策・成長戦略を強力に推進するとしている。 これらが、村にとってどうかかわってくるのか、ただ漫然とその具体的な方向が明らかになるのを待つのではなく、何が村として関連付けることができるのか具体的に考え、その方向を具体的に事前に協議検討して準備をしておかなければならないと思っているところである。 こう考えると、ゆっくりもしていられないようにも感じてくる。 性格がそうであるからばかりではなく、気合いをかけて今年も頑張らなければという思いで、元旦参りをしたところでした。 大晦日から大荒れの天気で、参拝客は少なかったとのことのようでした。
ノンセクション 今年を振り返って 2012年12月31日(月曜日) 爽風雲 おかげさまで今年も多くの課題を抱えながらもなんとか年の瀬を迎えることができました。 列記してみますと次のようなことがあった年でありました。 ● 新年早々JAこまちのガソリンスタンド閉鎖計画の提案がありこれに強く反対を表明した ● 2年連続の豪雪対策本部の設置と「空き家」対策並びに雪下ろし対策に苦慮 ● 秋田県市町村職員互助会の運営にあたって破産申し立てによるその対応 ● 村の主要産業であった葉タバコ生産農家が1農家のみとなるも、その技術を生かしてリンドウ栽培、平良カブ生産に取り組む ● 医師対策に走り回る、4月から大森病院、羽後病院、秋田大学病院、山本先生、小西先生などのご協力で診療所を運営 ● 23年3月11日の大震災の影響などもあり、村の発展計画を1年遅れで策定、住民座談会を開催した ● ショッキングな職員の勉君の自死事故に直面 、● 温泉施設の揚湯管屈曲による温泉停止、夏季の水不足(栗駒山荘、ホテル・ブラン、パークゴルフ場)対策 ● 相次ぐ地震による利用客減少と経営対策として第3セクター・秋田栗駒リゾートの経営陣に常務を配置 ● 「通年議会導入」についての議会特別委員会報告があり、」執行部としても議会改革の一環としての報告として受け止め具体的な検討に入る ● まちづくり計画としての行財政計画と職員削減と今後の職員対策と組織の在り方などの検討の必要性 などがあった。 特に、私としては生涯にわたって忘れることのできない勉君の自死事故については、ずっと頭から離れないであろうし、胸の中に重く受け止めていくことになる。 なぜだろう?何があったのだろう?毎日顔を合わせていてなぜ気が付かなかったのか?悩みがなにであったのか?多くのクエスチョンマークがつき、悩みが深まるばかりである。 彼は、新たな分野の新エネルギー対策に取り組んでおり、前例がまりない分野でそれなりの苦労はしていたであろうことは容易に想像がつく。しかしかれは、その分野では悩んでいたかもしれないが、自信を持って取り組み、自分の意見もしっかりともって県庁、農政局などにも交渉していた。なかなか自説を曲げない部分もあり頼もしくもあり、私は任せてみようと思っていたし、それに応えていてくれたと思っている。 それだけに、「なぜだ!」「どうしてだ!」と思えるのである。 もう一方では、互助会の三浦前事務局長が破産問題が東京地裁での債権者集会の2日前に準備のためであろう東京出張でホテルで突如倒れて不帰の人となってしまった、これまた愕然とした。 互助会の運営は主務官庁からの指導で運営してきたところであるが、公費の充当の解釈で厳しいい指導を受けることとなり、運営が困難との理事会決議に基づき、破産申し立てを秋田地裁に提出、以後、債権者が11,000人を超える大型事案のため東京地裁に移管になり、やく2年その対応に懸命に努力をしていただいた。この間多くの中傷もあり、かなり悩んだようでもあるがやっと解決の方向が見え、ほぼ我々が目指した職員の掛け金確保が期待できることに安堵しつつも、もう少しでの結果を見ずにしての他界は残念無念であった。 そうした一方で、来年4月からは診療所の常勤医として佐々木聡医師が赴任してくれることに決定したことはありがたいことである。 また畜産事業としての草地改良事業と「赤べこの里復活」がある程度道筋が見えてきたこととこれに関連しての畜産行と食品産業の立地と法人化、農業法人の動きが複数見込まれること、仏壇製造工場の現地法人立ち上げが具体的なってきた。 学力テストでも優勝な成績を収めることがでたし、日本で最も美しい村連合の各種大会に出席して、新たな取り組みの方向が見えてきたことなど、希望をつなげる年でもあったようにも思える。 多くの方々、職員に心からお礼を申し上げ今年の締めくくりとしたいと思います。 ありがとうございました。 良い年をお迎えください。 写真は、孫が雪遊びをしていて見つけた「ミノムシ」の巣です。モミジの木の約2メートルぐらいは高い位置につけていました。 やっぱり今年も豪雪かな。
スポーツ, 私事, 雑感 スキーは楽しい 2012年12月30日(日曜日) 爽風雲 昨年まではどちらかというとスキーは仕方なくやるかといった感じであった孫が、どうしたわけか「スキーは楽しい」という。 どうした心境の変化なのかは分からないが、とにかく一緒にスキー場に出かけた。 年末で、帰省客であろうと思われる方々も多く、家族ずれが圧倒的に多い。おかげさまでスキー場のスキーやボード、ウエアーなどのレンタルをしてくださるお客さんも結構多い。ありがたいことです。 こうしたお客さんの動向をみると、少しは景気が上向いてきたのかなと思えてくる。 冬休みと同時にスキー場で企画している「スキーキャンプ」も今年から3日間から5日にしたのに参加者は昨年と同じくらいの参加者があり、親御さんも子供たちも随分思い切ったものだなーと感じた。 この分だと、キャンプが終わっての子供たちの変化は相当なものがあるだろうと予想される。 たくましく雪焼けした子供たちを見て、団体生活をした成果が家庭でもびっくりするのではないだろうか。 帰省客の中には、初めてのスキーだという一家もあり、リフトに1回乗ったまでは良かったが下りてくるまで相当難儀していて、少しでやめるのかと思っていたら、なんともう一度行くという、その意気込みがすごい。お父さんは汗だくになり、風邪をひかなければよいがなーと思った。この分だと、夕食はバタンキューだろう。 こちらも、今年初めてのスキー、孫の「スキーは楽しい」という意味がなんのことだろうと考えながらリフトに乗っていろいろ話をしていると、どうやら同級生を探しているようだ。その会話の中から、ジュニアスキークラブに入る話からそうしたことを言っているようだ。 そうだとすれば、少しスキーに慣れなければと思ったところでした。 確かに言っているように、昨年からすると体力的にもかなり丈夫になり、スキー操作もかなり自由にできるようになったし、第一「甘え」が少なくなり「我慢」もできるようになった。やはり成長しているようです。できるだけ手伝わないで、多少の遅いのはじっとこちらが我慢して、手をかけることなく自分でやらせるようにした。 我慢比べです。 昨日の天気は誠によく、このところの天気にうんざりしていたものですから、すっきりした気分のする青空で、飛行機雲も見事な天気で、孫との会話も飛行機雲から、リフトから見える動物の足跡、キラキラ光る雪の結晶、その様子などいろんなことがたっぷりと出来る時間もあり、とても楽しい様子であった。 レストランも多少時間がかかっていたようですが、たくさんのお客さんでにぎわっていた。 その会話に耳をそばだてて、お聞きしておいて、参考にさせていただくのも私の仕事かなと思っている。 他の市町村の知り合いの方々も多く、お礼のご挨拶も大事であるのです。
ノンセクション 無事仕事納めができる 2012年12月29日(土曜日) 爽風雲 今年も無事仕事おさめができました。 一昨日とは打って変わって穏やかな天気の中での仕事納め、身辺整理やら、たまりにたまった書類の整理などに職員は、お客さんの対応の合間に片づけ方に精を出していた。 特に、ここ10年以上も手をつけかねていた、電算室の整理に思い切って挑戦した担当者は、かなり難儀しただろうと思う。 この電算業務は、それなりの知識がないとなかなか手をつけることができず、さればと言って、黙ってそのままにしていると、機種の交換やら、ソフトの変更などで不要になった機材や、資料等は溜まっていくばかりで、それでなくとも手狭になるスペースが、ますます狭くなり、どこに何があるのかさえ分からなくなり、ますます日常業務にも影響が出てくることになりかねない。 万が一災害やあってはならないことであるが、電算機材の電源などかがショートなどをして、焦げたり最悪の場合火災にでもなったりしたらそれこそ大変なことになる。 聞いてみるとバックアップデータを最低2か所、あるいは3か所にしているが、これとても、毎週の木曜日に手作業委でデーターをコピーしているそうであるが、これからの課題であるようだ。 どこの市町村でも同じ悩みは抱えているであろうが、こうした電算業務を、ベンダー任せにしていることによる、電算室の管理、危機管理と機器管理整理をどうしているのであろうか? それぞれの現場担当者も、自分自身のパソコンを平常業務として使用しているうちはいいのであるが、一旦エラーーが出た場合とか、不都合なことが出た場合、電算室のどの部分が自分の親器なのかさえ分からないでいる場合が多いとのことには、愕然としたし、さもありなんといった感じもした。 電算室の機器はかなり整理され、すっきりしたし、その合間にそうした話を聞き、今後どうするか具体的に研究しなければならないと感じた年末でした。 この課題はどうしても避けて通れない課題であることだけは確かである。 町村会の共同処理業務もそうした観点からすると、大きな前進の一歩であると思っている。 今年も、いろいろありましたが年末にはそうしたことを反省しながら、来るべき新年に向けて英気を養う時間としたいものである。 役場玄関前には、早くも「門松」が例年通り飾られていました。