遊雲

この季節、どこを見てもほっとする風景がある。 朝な夕なに変化する風景は心が休まる。 雲一つをとっても、同じということはなく、その変化を楽しむことができる。 正に「遊雲」である。 遊雲と言えば、20数年前に放浪の書家「愛 翠洋」と知り合う機会があり、中学校の野球場でおよそ100畳にも上る発泡スチロールをつなぎが合わせた白の盤上に、「遊雲の湖」(ゆうみんのうみ)を墨痕鮮やかに書き込み、それを須川湖に浮かべる一大イベントを企画した。 書き込みには多くの参観者もあり、迫力ある書家の気迫に圧倒された。 見事に完成した発泡スチロールは須川湖に運び込み浮かべたが、ものすごい吹き下ろしの風に散乱してしまい失敗になってしまった。 それではと、須川湖にワイヤーを張り、シートに再度書き込んだ「遊雲の湖」を吊り下げたが、当日は穏やかな天気で見事なものであり、展示期間中には「尺八奏者」を招聘してのその字をバックにして演奏会も企画したが、残念ながら自然の猛威には太刀打ちできず、ひっくり返ってしまうアクシデントとなってしまった。 思い起こすと、そうした自然との状況を考えてはいたが、まさかそんなに強い栗駒下ろしがあるとは考えてもおらず、自然を相手にしたイベントの恐ろしをまざまざと見せつけられた思いがよみがえったところでした。 雲は、穏やかで夢も浮かぶし、その変化はまた楽しくもあります。 しかし、雲を含め、自然はものすごい脅威にもなることを我々は知らなければならいことを思い知った強い経験でした。 夕方の雲をじーっと見ているとそうしたことが思わず思い浮かんだ次第でした。 そうしたイベント思い切ってやれた時代もあったんです。 そういえば、村政施行100周年記念事業で、野球場を会場にした「みなみ こうせつ」のコンサートを行い、村民よりも多い約5,000人近い観衆に楽しんでいただいたことも思い出されます。 すごいことをしたものです。