カテゴリー別アーカイブ: 雑感

あぜ道の花

雪が溶けて川端やたんぼ道も散歩コースとなってきた。 この時期一番喜ぶのが私の散歩の道連れである「ココア」である。 その太い足で引っ張られるものですからなかなか大変である。 その途中に写真を撮ろうとしてもなかなかとることができない。しっかりと腰にリードを結びつけないとカメラぶれがひどくなる。 しかも、花そのものも小さな花が多く、見過ごしそうになる。 名前もうろ覚えで、後で図鑑なんかを見て確認したいがそんな時間もないままにしてしまっているが、それはそれでいいと自分に言い聞かせている。 まだまだ周囲の草も大きくならないので、可憐な花は今のところ際だって美しく見えるし、この私にも見つけることができる。 朝の散歩コースに見る草花は何となくすがすがしく見えてならない。 楽しみの一つである。 今日もがんばるぞ!といった気分になってくる。

戦没者の追悼式

いよいよ春を思わせる暖かな気温の昨日、今年の戦傷病没者の追悼式が行われた。 先の大戦では東成瀬村からは168柱の英霊が遠いかの地で国難に殉じたことを我々は決して忘れてはいけないことを確認し合いながら、英霊とご家族の皆さんに心からなる感謝と敬意を表する機会でもある。 戦争がいかに悲惨であるかは、戦争世代が遠くなりつつある現在、いかにしてその歴史を確認し決して再び戦争という事態を繰り返さない誓いを、こうした機会に確認し合うことは大きな意義があることであると思っている。 こうした日本の中にあって、世界的には殺戮し合う紛争と戦争が頻発していることは、その要因が何であれ絶対に回避するような努力が必要である。 そうした平和解決に日本の果たす役割は大きいのであろうが、その日本を取り巻く環境は必ずしも安穏とした状況にはないのもまた現実である。 戦後における領土問題に対する外交文書などが新たに発見され、その意義も歴史的に非常に重要であるであろうと考えられるにも拘らず、独善的な解釈のもとに、無理難題を現出させている外交問題は今後ますます重要の問題になってくるであろうし、経済問題と同時にそのかじ取りは複雑化してくるように考えられる。 そうした意味合いからも、少なくとも国会などでは大きな大局観からしっかりとした対応をしていただきたいものである。  

大局的な判断を

「大局的な判断」を求められることは国政などでは特にあるのではないかと思われる。 その一つとして、今回の参議院環境委員長の解任決議案の取り扱いこそ、その大局的な判断をすべき事案でないだろうかと考えられる。 時は今まさに日中関係が、かってないほどのぎくしゃくした関係であることは誰しもが感じているときである。 しかも、それは歴史認識、教育などにも関わり同時に国内事情と経済、イデオロギーを含めた広範な外交問題など我々には到底理解できないくらいの複雑な背景があるわけで、軽々に論評などできるはずもないのですが、それだけに、かって外務大臣をも経験された環境委員長が、一日だけ日程を急きょ変更して、簡単には会見のできない外交問題の権威者がお会いできるという突然の日程ができたことに対し、対応することがなぜ認められないのだろうか? 折角のこうした外交のチャンスを逃す手はないと思えるのですが、それを許可なく日程変更をして委員会を開催できなかった責任を「解任」という手段に訴えなければいけない姿勢に唖然とした。 委員会審議が重要であることは誰もが認めるところであろうものの、その一日の変更あるいは副委員長とかが代行できなかったんだろうか、また、一日遅れただけの国益と外交の中枢におられた方々の会談の国益とは比較対象にはならないかもしれませんが、どうしても理解に苦しむ。 大局的な判断での国政であってほしいし、国会運営であってほしいし、柔軟であってもよいのでないだろうか。 そんな国政であってほしいと願わずにはおられない。 我々のところであっても、もしかしたらそうしたことが期待されることもある場合がないとは言えないかもしれません。 そのためには、相互理解があり、信頼関係も構築されていなければならいことになるかもしれません。 しかし、それが前提ではなくとも、「大局観」はいつの時代も求められることであるように考えている。                    

クールビズに思う

昨日の新聞で思わずそうだそうだと思ったことがあった。 定例の記者会見で知事が記者から「どうしてこんな寒い中でクールビズをやっているのか。理解に苦しむ」との質問に、持論を披瀝されたようである。 クールビズ実施前の庁内の会議でも、「俺はやらないよ」と言ったそうである。人の服装をああだ、こうだというのは、どうでもいいこと。不快感を与えない範囲で服装は自由だ」と言うことらしい。 私もクールビズが始まった頃からどうもおかしい、人それぞれに体調があり、体感温度も違うであろうし、それを一律にネクタイを外せ、洋服は着ないで出てほしいとか、決まって夏になるとそうした文書が出回る。 クールビズが始まった頃は、多種多様な服装でおしゃれに気を遣ったシャツなどが出回り大きな市場となったし、現在も懸命な売り込みがもう始まっている。 私も流行に乗るみたいに、いろんなものを結構買い込んだし、高くついたような気がするが、どうもしっくりこない、やはり服装は自由がよいような気がする。 それぞれの判断でよいと私も正直思っているところに、今回の記者会見で何となくしっくりした。 たまたま昨日は仙台の会議に出席したが、それこそ暑いくらいの気温でしたが、私が自宅を出たときは雨であり気温も10度未満、会場はもちろん初夏の風情、服装も自由であったし、だいたい10度未満のところから出かけてクールビズも何もあったものではありませんよ。 そこで暑かったら、ネクタイを外せばよいし服も脱げばよい話であってどうでもよいのではないかと思いたくもなる。 臨機応変でよいと思いますよ。 それと今度は秋から冬にかけては、ウオームビズとかで室内温度を20度とか22度とかに設定し徹底した節電対策をとっている。 これも又やむ終えないことかもしれませんが、いかに着込んでもこの一律温度設定ではいかがなものでしょうかねー。 端で見ていてもとても寒そうで仕事も効率がよいとはとても言えないような気がしてならない。 本当に気の毒なくらいである。 なんぼなんでももう少し配慮がほしいような気がしてならない。 この時期、年によっては暖房を外すことが無理な状況である日も多いのではないだろうか? 服装はそれぞれが寒暖を考えて判断し、暖冷房はもう少し弾力的に考える必要があるように思うがいかがであろうか。 もちろん、電力事情もあり節電対策など経費節減には最大限の努力をすることは最優先課題であることには言うまでもありません。 仙台への往復の東北道の風情は目にも優しい芽吹きの木々が誠に爽やかであった。 朝の景色と帰りの景色は明らかに大きく変化しているように感じられるくらいの変化であった。 それだけ、植物の自然界は待ちに待っていたのであろうと思われるような変化でもあった。 もう少しで、わが村も一気にこのような景色になることでしょう。

したたかさは健在

情報誌を呼んでいたら、週刊誌の記事からの一文があった。 それでは、ホリエモンこと堀江貴文氏が仮釈放されて記者会見した際の体重の変化に驚き、1年9カ月にわたる刑務所生活の実態と食事などに触れておられた。 その食事も、一日の食費500円でこんなに食べられるんだと驚くくらいの内容にびっくりしていたし、それを知った私もそういうものなんだと思った次第でした。ちなみに一日のメニューは、主食のご飯はこめ7に麦3の麦ごはん、これに朝はノリやつくだ煮、サンマ缶詰、週に2回ぐらいは納豆や漬物、味噌汁、昼食は麺類、カレーライス、牛丼などであり、夜食の副食はハンバーグやチキンのグリル、焼き魚などだったそうです。 この食生活と刑務所での担当係をこなし、健康維持のための運動部活動などで規則正しい生活でそうした体重になったのだようです。 同時に得意分野のITを駆使した有料のメールマガジンを駆使して何と年間一億円以上を稼いだそうです。 さらに、仮釈放時には出所の様子を有料でネットに流し一日だけで1・5億円を稼いだと言うんですから驚きです。 これは、週刊新潮や週刊女性などの記事から時事通信の記者が紹介したものですが、したたかな人は考えることは違うものです。 確かに、出所後のテレビ会見は私も見たのですが、すっかり落ち着きはらって、謙虚さが見えたのですが皆さんにはどう映ったでしょうか。 これからどんな活動をするんでしょうかねー? 寒いには寒いんですが役場前の桜の芽もかすかに膨らんできました。