カテゴリー別アーカイブ: 雑感

打ち合わせの連続

    休日明けには多くの打ち合わせが待っている。 朝一番から河川整備計画の打ち合わせなどが行われた。 この数年間河川の総合的な整備計画の早急な必要性が求められてきたが、政治状況などから遅れに遅れてきたところでした。 このたびやっと、その計画のための検討が再開されることになったようである。 この後すぐに秋田に走り、市町村職員の退職手当問題、特に酒気を帯びての運転による懲戒免職処分が行われた事案で、退職手当の支給事務、事業を行う組合として不支給とした決定に対し、訴訟があり、この裁判において第一審で敗訴した。 この事案に対し、高裁に組合として訴訟を提起し、そのために今後こうした事案に対し審査会を立ち上げ、対応するための打ち合わせが行われた。 法律的問題でもありかなり専門的なことから判断していかなければならないし、今後大きな問題、課題として対応しなければならないだろうと考えている。 公務員に対する世論の厳しい見方とともに、労働者としての権利、退職手当の趣旨など相当広い範囲からの判断が求められることになりそうである。 難しい局面もあるだろうし、難しい判断も予想されるところである。 終わって、町村事務の共同電算化事務事業組合の臨時議会に引き続き管理者会が開かれた。この後、事業委託したコンピューターセンターを視察した。 セキュリテーも極めてしっかりしており、その規模、地震対策のための免震構造も三振構造で秋田県では最先端ではないかと思ったところでした。 このあと、森林の外国資本による買い占め防止のための県条例制定にあったの審議会委員としての説明をしていただいた。 実際問題として、そうした事実があるのか、懸念されることがあるのかと同時に、個人所有の財産についてそうした規制を求めることができるのか、慎重にすべき課題ではないのかと思ったところでした。 とにかく広い分野の打ち合わせ会議で一日が終わったところであった。 次々とあらたな課題は出てくるものです。 帰り際に見た空では今日もまた、いろんな形をして雲が遊んでいた。

中国山脈もみえて

image image 隠岐からの帰りは、台風の影響が少しあってか、多少波が高かった。 境港まで約3時間あまりの海路の旅、隠岐には約40年ぶりであった。 離島振興法がかなり充実し整備も進んでいるとはいえ、苦労も多いだろうと感じた。 離島なるが故に漁業の価格が輸送手段の高騰から成り立たず、仕方なく養殖漁業に転換しても、採算性が厳しい、更にこれに関わる販売店、土産屋も経営出来ず、次第に閉店することとなっているようでした。 過疎地の陸路輸送、離島の海上輸送の課題はますます大きなポイントとなってきている。 そういった観点からすると、我々過疎地はまだまだ頑張れる要素があるように感じられる。 海をジッと見ながらそんなことを考えながら隠岐を後にしました。

隠岐諸島へ

image image image 隠岐の海士町と西の島町を訪問している。 鳥取県七類港から フェリーで約3時間あまり途中知夫村の来去港、西ノ島町の別府港、海士町の菱浦港などに寄港しての航路である。 海士町では山内町長さんと離島振興、キャッチコピー「ないものはない」の趣旨、町おこしなどを、斎藤会長とご一緒に意見交換させて頂いた。昨日まで日本で最も美しい村連合の戦略会議が開かれており、最終日で出席した方々を見送りされていた、大変忙しい合間の町長さんに面接できて、恐縮した。 海士町にその手伝いを兼ねてきていた、地域おこし協力隊の佐藤さんの案内で町内を視察させて頂いた。 先日、魁新報のシリーズもので紹介された、海士町在住の秋田県出身の秋元さんと町営学習塾の話しができて、とても参考になり、今後の方向付けにもなった。 民家を借りての塾であり、間もなく、別建ての施設が計画されているとのことでもあった。 何よりも、この離島で秋田県出身者が頑張っていることに感激もした。 200人を超える移住者がいること、その多くが、教育などのための移住であること、そのきっかけ、今後にかなりの関心を持つこととなった。 それは秋元さんを含む指導者であり、勉強、受験生であることにも 強い関心を持ったところでした。 隠岐諸島は多くの島で構成されていた、歴史的にも古く、海路の重要港湾があり、後鳥羽上皇や後醍醐天皇などの遠流の地でもあり、政治に関わって流された著名人も多かった歴史の地域でもある。 直木賞作家・安部龍太朗さんの「天馬翔ける」の最後の場面で、天馬密輸の輸送中に、嵐に遭遇、避難した港はどこだったのか?船から下ろし疾走させた草原はどこだったのか?西ノ島の鬼舞展望か国賀の魔天崖の地であっただろうか?最終目的地の境港に無事つき、運んできた「天馬」を幕府に献上したロマンあふれる小説を思い出した。 そうした尽きない想像が次々と浮かんでくる、要衝の地の隠岐であった。 海士町は小綺麗な掃除の行き届いた、街で、気配りのある町とみた。 公共施設もさりげなく掃除が行き届いていた。

宅配のおはぎが届く

「なるせゆいっこの会」(会長・鈴木春一)では彼岸の中日に、おはぎを宅配してくれる。 この会は、「結」というのがかって、農作業の際に人手の足りない時代に、隣近所、親せきが手伝いあって農作業をやりくりする共同、手伝いあう、人手を貸したり借りたりする互助制度であったが、これが田植えなどの人出が一度に必要な時には、大切な制度であった。 この結を大事にしよう、お互いに助け合って生活しよう、協力し合って地域がそうした気持ちを持ち続けるようにしたいとする方々が集いボランテアグループ「ゆいっこの会」を作った。 その活動の一つとしてこの「おはぎの宅配」があり、買い物の手伝いがある。 最近は、これが機械化が進み、ほとんどなくなってしまったが、農村では隣近所がこうして助け合い、協力し合って日々の生活が営まれてきた。 一方で、昔ながらの伝統的な食事やごちそうなども、お互いに届けあいをしてきたが、生活の変化、家族構成などからそうしたことも煩わしくなってきたのかそれも次第に薄くなってきた。 こうしたことから、ご老人夫婦、ひとり暮らし老人家庭などで彼岸の中日に、ご先祖様にお供えする「おはぎ」を作るのもおっくうな場合が多く、だけれども、お彼岸にはご先祖様にあげたい、という希望も多く、この会で作って宅配を数年前から続けてきており、大変喜ばれている。 今年はおよそ100戸を超えるくらいのご家庭から希望があり、おはぎ3個とブドウを入れて届けてくれた。 対象家庭も、心配せずにお供えでき、気苦労が解消してゆっくりとしていることでしょう。 ところで、今年の彼岸は20日から26日までで、その中日が23日といううことだようです。 この中日は昼と夜の長さ、つまり日の出と日没(太陽の上縁が地平線に出た瞬間と同じく沈んだ瞬間だそうです)が等しい日といううことと思っていたら、東京では、それが9月27日なんだそうで、そうなのか今まで覚えていたのが違うのかと思ったが、あまりこだわることもなく生活していて特に困ることもないしなーと思ったところでした。 何でも一定の計算式でするとそうなるんだそうです。  

久しぶりの休日

昨日は久しぶりの休日になった。 天気は良し!楽しみにしていたゴルフに出かけた。 岩手県のゴルフ場は休日でありながら、昼食付きで8000円ぐらいであり、一日ゆっくりスポーツを楽しむには、そんなに高い遊びではないように思う。 昨日は、あちこちのコンペがあり、ものすごい混みようで、最終スタートにかろうじて予約が取れ、ちょうど休暇と所要があって帰郷するとの情報があった漫画家(漫画ウイードの作者)高橋よしひろさんをお誘いし一日ゆっくり楽しんだ。 今年、5回目ぐらいとのことであったがテーショットも飛ぶしアイアン、ウッドもかなりの距離が出、すっかり参ってしまった。 風もなく最高のゴルフ日和であった。 日頃の創作活動や、生活、などよもやま話をしながら、高橋さんもゆっくりとしたようでした。 私のスコアはというと、これはもう紹介できるようなものではなく、10年近くやっているが全く進歩がないのでありまして、これは運動神経がないというか、ゴルフが合わないというか、もうそんなものはどうでもよく、ただひたすら歩き、汗をかくようにすることと、夜はすっかりと疲れて休めることに喜びを感じていると言いたいところであるが、実は、ゴルフの後は正直、なんでこんなに進歩しないのかと悩みぬいている。 ああすればよいのか、こうすればよいのかと悩むことが多いのです。 こうなると、のめりこんでしまいがちであり、反省が多く、また行きたくなり、今度こそと思っているが、その機会がほとんど無く、しばらく休むことになると、その反省点を直すにも、次の機会には、また一からやり直しということになっているのが現状である。 まあいいでしょう、そのうちチャンスがあったら誘ってもらっていくことにしたい。 そんな想いで横になったらすぐに眠ってしまったようでした。 夜には雨が降ったようでしたが、それさえも気づかないくらいゆっくりと眠れた。 朝、直売所に行ったら山菜や野菜がたくさん並んでいた。 芙蓉と秋の空もまた爽やかである。 天然のマイタケなどきのこが出ていたようでしたが、一つしか残っていませんでした。いよいよ本格的なキノコシーズンです。 いつもの年であれば、彼岸の中日である明日23日頃には、例年であればストーブに火を入れたりするころとなるが、今年はそんな気候ではないようです。