3・11大震災における国土交通省東北整備局 徳山局長の対応についての評価が高くなってきている。
その教訓を中心とした講演を聞く機会が湯沢市であった。
銀行の主催で250名もの聴衆で会場はいっぱいであった。それだけ多くの方々が関心を持っておられたことの証であっただろうと思う。
局長は、仙台に赴任したのが大震災のあった1月に着任したばかりで、東北地方の地理も十分に明るくはなかったことでしょう。
そうしたハンデイを乗り越え、冷静にしかも、あとで判明したことであったようですが、有名な「徳山メモ」の存在が明らかになってきました。
このメモが、われわれ地方自治体におけるこうした災害時にも十分に活用することができる貴重な講演でありました。
整備局の災害対策の際に使用される部屋はかなり大きな部屋であり、そこには東北全体の河川やら道路などの状況がすべて把握できるビデをカメラが設置されており、海岸線の模様も映し出されることができるし、非常電源も完備され、飲用水、トイレの対応などかなりしっかりした対策が取られていることに、当然のこととはいえある意味で安心もした。
そうした状況下の中で、責任者としてのとるべき対応策が適切にしかもスピーデーのとることができた要因に、局長の技術者としての資質と同時に、冷静な判断を、その対策室に入る際に、メモとシャープペンシルを片手に入ると同時に、足るべき対応策をメモにして指示をし、あの緊急時に、しっかりと取られたことに対する講演内容は大いに参考になった。
今回の災害は、あとで分かったことですが、東北整備局長一人が対応できる一般的には権限を大きく超えており、まずは国土交通大臣あるいは本省局長の指示がなければできなかったことのようですが、それをいち早く東京から指示をするのではなく大臣が「現地のことはあなたにすべて任せる、責任は私が取るからしっかり対応しなさい」という大畠大臣からの指示に基づき、すべてのことにつて緊迫した状況の中で取り続け、およそ、20日間不眠不休で対応されたようです。
指示をした大臣も適切な対応であったことでしょうが、それを受けて、いかに緊急時とはいえ、ご自分の権限を越えた指示対応には相当大きなプレッシャーもあったことでしょう。普通であれば、予算がないからとか、これは支出するには無理があるなどと言ってなかなか役人としては取りえなかったのではないかと思う。
そこを、見事な決断と判断でこれだく迅速に、復旧にこぎつけたことは称賛に値するものである。
そういえば、その緊急時に直接現場に乗り込んだ方もおり、大混乱をしたこともありました。
そうしたこととは別に、復旧は進んだが復興の遅れは一体どうしたことでしょうか。
そうしたことを、あれこれ考えてみると、非常時における指示命令系統の一元化、あれこれ意見を述べることが果たしていかがなものかと思わざるを得ない。
その指示についても、大いに参考になることがあった今回の講演であはりました。