福祉, 雑感 春の息吹き 2016年3月24日(木曜日) 爽風雲 (山々の風景と春の花) (挨拶する佐藤秋田県社会福祉協議会会長) 昨日の朝は霧が立ちこめ、夜に降った雪が山々の峰や梢を化粧してくれていた。そこに朝陽が指し誠にきれいな輝き一杯 の仙人郷でした。 散歩に見かける花もいよいよ咲きだして楽しみも増えてきた。 午後からは秋田県社会福祉協議会の評議員会があり、出席した。 多様化する社会福祉活動の重要性は益々重要であり、福祉需要も複雑になり、これに対応するための市町村社会福祉協議会の指導機関でもある県社協は、地域福祉トータルケア推進と合わせて福祉施策の狭間にある方々に対しての有り様、対策が今後の課題であるとして、今後具体的に検討して行くこととした。 生活困窮者自立支援制度が施行されたものの、そうした制度の狭間にある方々が年々増加していることから対策が急がれるところでもあると感じた。 村の社協でもこうしたことに対しては、ある程度進めているもののより一層重視していく必要があるように感じたところでした。
福祉 彼岸の中日 2016年3月20日(日曜日) 爽風雲 (心のこもった美味しいぼたもちが配られました) 今日は彼岸の中日、ご先祖様の墓はまだ雪にうずもれている。 それでも今年は雪が少なく雪消えも早い感じがするし、近くに見える実家の墓も墓参りを待っているのかもしれません。 彼岸の中日であると同時に、春分の日でもある。 彼岸の中日と春分の日は21日と思っているが、年によって違う、大体2年ごとに変わるようだ、今年と来年は3月20日で再来年とその次の年は3月21日となるようだ。その前も2年ごとに交互になっていたようだ。 春分の日は24節気の一つであり、一つの季節の区切りでもある。 毎年この日に、ボランテイア団体「なるせゆいっこの会」(会長・鈴木春一)では、高齢者ご家庭などが彼岸の中日に各家庭で作る「おはぎ」を作りたくても面倒でなかなか作れないことも多いことから、ご先祖様に申し訳ないといったことを耳にして、会員の方々が協力しあって「ゆいっこ宅配ぼたもち」のサービスをしてくれて喜ばれている。 なかなか気づかないことでもあり、とても喜ばれている。 その希望者も年々増えてきており、ご難儀をおかけしますができるだけ続けてほしいものです。 各家庭でもとても暖かなサービスに手を合わせて喜んでくれているようです。 ありがとうさん!
教育, 福祉 元気に卒園 2016年3月18日(金曜日) 爽風雲 なるせ保育園(菊地保子園長)で今年度の卒園式が行われた。 今年は少し少なく10名の卒園児でしたが、とてもアットホームな感じの心のこもった卒園式でした。 加えて、今年は祖父母も参加してくれて、保護者の感激と祖父母の孫さん達にかけた思い、優しい眼差しが印象的でした。 園児の将来にかける夢も一人一人から元気にはっきりと述べられておりましたし、よくもまあじぶんの希望を述べることができるものだと感心させられました。 元気にすくすく成長することを願いたい思いで一杯でした。
福祉 福祉活動の充実 2016年3月3日(木曜日) 爽風雲 村の福祉活動の最前線の一つに東成瀬村社会福祉協議会の活動があります。 これまでも、県下の社会福祉協議会の活動の中でも極めて意欲的に取り組んでいる団体として注目されてきましたし、住民主体の活動を中心にしての活動を心がけてきたことがその成果として現れているものと感じているところです。 最近は、国や県の福祉施策がめまぐるしく変遷し福祉協議会活動がどちらかというと押しやられてきたようにも感じているところから、今後は社会福祉施策の目の届きにくい分野や、対象者の把握に努め、そういった対象に対して、温かい手をさしのべていく姿勢がより求められるものと感じている。 27年度の事業を総括し、28年度の事業に取り組むべき基本的姿勢を協議し合う、東成瀬村社会福祉協議会の強化委員会と財政対策強化委員会を開催して、より具体的な相談をし一定の方向付けができた。 デスクワークよりもまず地域に溶け込んでそうした福祉需要の掘り起こしを強化すべく確認し合ったところでした。
ノンセクション, 福祉, 雑感 祝い金をさしあげ 2016年2月8日(月曜日) 爽風雲 ほぼ2か月に一回、誕生と米寿、白寿のお祝いに各家庭を訪問して直接お祝いをお届けしている。今日は、米寿の対象者10人と誕生して2か月の家庭を訪問した。 天気がよく青空が晴れ渡り、その地域その地域の独特の景色があり、それを見るのも楽しみのひとつである。 米寿の方々の顔色は誠に血色がよく、長生きのコツはここいらへんにあるんだなーとつくづく感心してしまう。 旦那さんとのなれそめの頃のことや、両親のこと、兄弟姉妹のこと、行商に歩いたことやら商売のこと、旦那が憲兵であったことなど始めての昔話をじっくりと聞くことが出来た。 生まれて2か月の赤ちゃんをだいて、幸せを感じた一時でした。