予算特別委員会
(特別委員会審議の模様。写真は議会広報担当提供)
村議会の予算特別委員会が二日間の日程で開催され、その一日目が昨日行われた。
9名の議員と村からは職員が説明のため窓口業務をのぞきほとんど全員が出席して開催された。
これは画期的なことであり、職員にとっても議員からどんな質問があるかかなり緊張しての出席であっただろうと思う。
私からすれば、そうした緊張感を持つことはとても大事なことであり、しかも所管事項についてしっっかりと勉強し、どんな質問をされても常にこたえることができるように準備しておることの大切さをしっかりと肌で感じたことであろうと思っている。
そうした審議の過程で、もしかして予算のあり方について改めて感じることもあったのではないかとも思うし、それは今後の事業を計画する意味合いからも重要なことであろうとも考えられる。
議会でも、これまでと同じように管理職員との議案審議をしてきたわけですが、それをさらにつっこんで直接職員から予算の内容について確認できることによる意義もあるものと感じている。
こうした形で、議会と行政執行部が率直な議案審議を通じて村政に前向きに取り組んでいただけることはありがたいことであるとも感じた。
審議の途中で午後2時46分となり、3年前の今日未曾有の3.11大震災が発生し、その被災者の方がたのご冥福を祈って全員で黙祷を捧げた。
あのときも今日のような天候で、私も秋田市に出張して手形陸橋付近であの地震に遭遇した状況がまざまざと思い起こされた。
道路が波打ち、電柱はゆらゆら揺れるし、自宅から飛び出してこられる方々がたくさんおった。
ももなく信号が止まり交通渋滞が始まった。
やっとのことで会議場に着いたが、会議は医療関係者の会議で、お医者さん方も多く参加していたが、さすがに会長のお医者さんは、極めて簡潔に事情を理解しての会議運営で、30分ほどで終えて、帰途についたが、、、、、、、。
自動車道は止まり、国道13号もものすごい渋滞、自動車のテレビを見ることができて、その災害状況はつぶさに見ることができたが、ただただ唖然とするだけであった。
次第に雪も強くふりだし、吹雪となった。
結局、役場に帰ったのが秋田市内から5時間近くもかかってやっと到着、対策本部での対応で帰宅できたのが夜遅く、夕ご飯もあり合わせのカップラーメンで真っ暗な中での夜となった。
いろんな思い出が去来したし、妻の誕生日も何もあったものではなかった。