湯沢市政施行10周年
(顕彰者の皆さん、おめでとうございます)
(東成瀬中学校の吹奏楽部を指導してくださった佐藤久美子先生の指揮は爽やかで何故かホッとしました)
湯沢市が一市二町一村の合併をしてちょうど10年になる昨日、記念式典が行われ出席した。
議長ともどもに出席した、ところがご案内をいただいたのに私の席はあるのに議長の席がない!私も探したがない。ところが羽後町議会議長の議長さんもない、さらに山形県の議長会長さんや他の議長さんがたの席もなくなんとなく申し訳ない気がしてならなかった。
チェックミスだったんでしょうなー。
我々もこうした記念式典はあるのですから十分注意しなければならないと思ったところでした。
何かにつけて、平成の大合併は課題のあったところであったと思っている一人ですが、今回もお誘いを受けた村としても、いろんな思いで出席した。
特に、時の知事が全市町村を回り強力に合併を推進、その知事が今回は違う立場で祝辞を述べていたが、そのなかで「心配である」とのべていた。
あれ!どうしたことだろう?一瞬我が耳を疑ってしまった。あれほど全国屈指の合併促進知事として名を馳せたかたが、何を今さら!と思ってしまった。
何が心配なのだろう?
二言目には交付税は30%は減額される、国の財政は破綻状態だ!赤字国債は1000兆円を越えると、主張している。それはそれとして、ならば国政で改革して欲しいものである。
更に、市町村合併推進当時、我が村と県北の村を例示して、「猿と熊を加えれば一万以上になるだろう」と言い、合併しない選択肢もあるだろうと、合併しないことにたいしての諦めなのか、うそぶいたのかどうなのか真意は未だによくわからないが、公の場で堂々と発言し、小バカにしたとしか思われない発言を、今回もまたまた挨拶でのべたのには、驚き、10年間も同じことを言い続けていることに、あきれてしまったし、会場からの笑いを取ろうとしたのかも知れないが、笑いも少なかった。
こうも何度も何度も言われるといいかげんにしてくれ!と言いたくなるし一体市町村合併って何だったのか?人口規模がどうの、財政が維持が出来ないなどといっていたのに、合併しても、交付税の10年の算定特例を延長することなど、合併前に約束していたことがことごとくなしくずし的に破られているのではないか。
合併しなければ一定規模以下の自治体は維持困難とおっしゃっていた方々の考えと現実はどうなっているのでしょうか?
そして、合併自治体とその構成旧自治体はどうなっているのでしょうか?
旧町村単位の人口数の推移はどうなっているのでしょうか?
どこも取り上げないし、なぜか避けているように思えてくるのはどうして?10年このかた、その実態にはどこも触れようとしない。その不思議さが感じられる。
どうしてなんだろう。
「心配」とはそのことなんだろうか?昭和の合併でも同じ現象があったではないか。
まさかまさかそこまでは考えていないでしょうなー?